プライバシーがとても軽くなっている

最近,何か自身の身辺あたりがおかしいと感じることがつづいている。

ある週末午後のこと。声もかけず知らぬ間に自宅の庭に入ってきた男性が,庭に面する居間の中を覗き込んでいる。私は夏風邪の後,ようやく起き上がれるようになって,居間で新聞か何か読んでいた。そこで,その男性とばっちり目が合ってしまったのである。知っている男性だった。目が合わなければ,家族に応対してもらうところだが,目が合ったので仕方なく玄関へ出た。

ボサボサ頭で「体調不良です。コロナじゃないけど近づかないで」と言った途端,男性は,私の顔を覗き込み,深刻そうな顔で,「ジムに行ったからでは?」と言った。男性は1週間前にも来ていて,出かけていた私に代わって応対した家族から「ジムに行っている」と教えられていた。男性はそれを思い出して言ったのだった。声もかけないまま敷地内に入って部屋の前で中をうかがうという行為だけでも気持ちが悪いが,出てきた病人に向かって突然,ジムに行ったから病気になったのではないか,と言うなど失礼極まりない。大体,ジムで夏風邪をうつされることなどない。

しかし,私が問題だと思っているのはそんなことではない。

男性が,私がコロナではないと知った上で,それでもあえて「ジムに行ったからでは?」と言えば,私が気分を害するのがわからなかったのだろうか。それでも,ともかくもあなたの罹患直前の行動を知っていると言いたかった。それは,あなたを監視をしているという告知のようなものである。心が凍った。男性は,物を買ってもらおうと来たのだが,そのまま帰ってもらった。

そして昨日,またもや,居間にいた私の眼前で家の中をキョロキョロ覗きみる不審な人間が現れたのである。自宅居間の前のデッキに突然,大きな何かが飛び乗ってきて,窓の外に黒い影となって立ちはだかり,その上部が左右に動いているのに気づいて,私は顔をあげた。目に飛び込んできたのは,私が顔を上げたのに気づいてこちらに視線を向けた,仁王立ちの若い女性だった。私は,驚いて椅子から飛び上がった。

今朝の居間の前のデッキ。鳩1羽がエサを待っている


いったい何ごとが起こったのか,庭に侵入しガラス戸の前で家の中を覗き見する女性はいったい何者なのか,なんのためにそんな行動に出たのか。急いで玄関に出た。

女性は宅配のドライバーだった。私は,「びっくりした」と心の動揺を伝えたが,女性は詫びの一言も言わなかった。ただ,事務的に,ピンポンが鳴らない,商品を購入し配達を依頼した家族が,家に人がいると携帯で言われたから,と言いながら受け取りのサインを促した。女性は,大きな荷物を玄関に置くとさっさと去っていった。


何が起こっているのだろう。

身体とその周辺は安全確保のためのプライベートゾーンだが,住宅敷地も強力なプライベートゾーンである。塀や門扉が設えてあったら,そこから先は注意して入るようにというサインである。用事があって敷地内に入る時は,門扉のチャイムを鳴らすなりドアをノックするなりして,家の人間を呼び出すという手順を踏む。

家の人間を呼び出す必要はないが,敷地内に入らないといけない人はどうか。電気やガスの検診者は,「検診です」と言いながらゆっくり歩いて敷地内に入り,検診が終われば「ありがとうございました」と声をかけて出ていく。庭師なら,家の人間を呼び出して庭に入り,打ち合わせをした後,仕事にかかるが,家の中を覗いたりしない。マナーを守っている。

いま,至る所で色々な方法で,監視され個人の情報が収集されている。監視カメラ,マイナンバー,顔認証,共謀罪,特定秘密保護法,盗聴法。ひどい監視社会になってしまった。市民が企業に問い合わせの電話をした時,会話は記録されるとアナウンスを受けることも普通になった。私たちは,言動が監視され記録されていることに慣れてしまった。他人のプライバシーに鈍感になるのも当然だろう。

プライバシーなど実に軽いものになった。勝手に敷地内に入って家の中を覗き見することにも抵抗はなくなり,さらに,病気療養中の人間を前にして,あなたの行動を知っている,あなたのその行動のために病気になったのではないの?,と平気で言えるようになった。怖すぎる。思いやりのある人なら,「大丈夫?」「ゆっくり休んで」「お大事に」と言う。それが普通だ。病気療養者もそう言われたら,病床でつらさに耐えたことも忘れ,心は温められる。

宅配ドライバーの女性はまるで配達マシーンだ。先を急いでいるのに,門扉チャイムが鳴らず,家の中の人間が応答してくれないと言って,敷地内に勝手に侵入し,窓の前に立って平気で室内を覗き見する。思慮のないまま手荒いことをしてしまいました,すみません,と謝る必要など感じない。仕事の効率優先が求められているから,人がどうあろうが関係ない,時間をロスしないことこそ守られなければならない,という考えに縛られている。こうして人は,マナーも節度も思いやりも,守られるべき隣人の権利も忘れるのだろう。

事業者Sには,ドライバー,とりわけ若いドライバーに,プライバシーは大切であることとマナーを守ることをきちんと教えるように要望した。心の凍りつく思いをさせられた男性には,彼の携帯番号に着信拒否のボタンを押した。


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