映画『瞳をとじて』


ビクトル・エリセ『瞳をとじて』(2023年)を観た。

映画『別れのまなざし』の撮影中に主演俳優フリオが失踪した。それから22年,当時の映画監督で,フリオの親友でもあったミゲルはかつての人気俳優失踪事件の謎を追うTV番組から証言者として出演依頼を受ける。取材に協力するミゲルは次第にフリオと過ごした青春時代を,そして自らの半生を追想する。そして番組終了後,1通の思わぬ情報が寄せられた。ーー「フリオによく似た男が海辺の施設にいる。(パンフレット)

しかし,高齢者施設で再会したフリオは,記憶を失っていた。彼の記憶を取り戻そうと,ミゲルは,未完になってしまった自身の映画『別れのまなざし』で演技するフリオ自身を見せることにする。閉館してしばらくたつ町の映画館を借り,そしてフリオの娘アナも呼ぶ。


この映画では,瞳を閉じる行為が大写しにされる。劇中映画『別れのまなざし』で,上海から連れ戻されたチャオが,老父に再会して瞳を閉じる(パンフレット写真)。フリオの娘アナもまた,亡くなったとされていた父に22年ぶりに再会することができたが,父は記憶を失っている。その父に空疎なまなざしを向けられ,アナは静かに瞳を閉じる。そして,映画の最後,上映された未完の劇中映画『別れのまなざし』の中に,フリオは,22年前の演技する自分の姿を見つけ,瞳を閉じる。戻せない過去に絶望や悲しみが浮かび上がる。


ミゲルは,主演俳優フリオの失踪で,映画を完成させられず監督を引退,マドリードから海辺の町の粗末な住まいに移り,翻訳を仕事にしながら,トマトを育てたり短編小説を書いたりして犬と共に過ごしている。ミゲルには,息子を交通事故で失い,妻とも別れた(?)という過去もある。ミゲルは重い過去を背負っていた。

映画は,監督引退後のミゲルの22年がどんなものだったか語らないが,マドリードを離れ海辺の町での犬との生活は,まるで隠遁生活だ。とはいっても,世の中に背を向けているわけではない。ミゲルは,フリオの謎の失踪をテーマにしたTV番組出演をきっかけに,過去に向き合う作業をはじめるのである。貸し倉庫の扉を開け,かつて映画に使った品々を取り出す。マドリードに住む映画編集者マックスに2年ぶりに会って,『別れのまなざし』のラッシュを確認する。フリオの娘アナとも再会する。彼は,映画と決別したわけでも,映画関係者とも関係を絶ったわけではないのである。

そして,TV番組の放送後,フリオに似た男性がいるという情報が届いたことを教えられたミゲルは,彼がいるという高齢者施設に向かう。男性は紛れもなくフリオだった。しかし,彼は記憶を失っている。ミゲルは,施設の一室を借りて宿泊し,フリオと会話し,作業を共にして,彼の記憶を呼び覚まそうとする。だが,彼の記憶は戻らない。

ミゲルは,閉館した町の映画館を借りて,『別れのまなざし』の上映会開催を決意する。映画館は埃だらけだった。休日,家族や恋人と一緒に大きなスクリーンを前にして楽しんだ映画館は,過去の遺物となっていたのである。二人を隔てた22年の月日は,映画産業も人々の娯楽のあり方も大きく変質させた22年だった。

ミゲルは,その映画館に,フリオとアナをはじめ,高齢者施設のシスター2人,TVディレクター・マルタ,フリオの所在を教えてくれた施設の社会福祉士・ベレンを呼び寄せた。6人は,それぞれ自由に席を取って座っている。

そこへ入ってきたミゲルは,6人の席を与え直すのである。シスター2人を並べ,アナをもっとも前に移動させ,その横に父フリオを座らせる,というように。映画館では,誰と観るか,誰と感動をともにするかが意味をもつ。ミゲルの差配はまるで映画をつくる監督のようだ。彼が抱いていたのは,フリオが,スクリーンの中でフランクとして,「悲しみの王」フェランと対面,依頼を受け,娘チャオを探し出して父と対面させる,現実ともかぶる彼自身の劇中の演技が忘却の過去を揺さぶるだろういう想いだ。

映画は,『別れのまなざし』を観終わった彼らのその後を語らない。映画から受け取るものは鑑賞者それぞれのものだからだ。私は,『別れのまなざし』を観た父と娘の心にどんな変化が起こったか,どんな会話が始まったか想像した。


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