映画『オッペンハイマー』


クリストファー・ノーラン監督『オッペンハイマー』(2023年)を観た。

オッペンハイマーは,「原爆の父」と称された理論物理学者。彼は,第二次世界大戦中の1942年,ナチスドイツに先んじて原爆を開発するために始められた,極秘のマンハッタン計画の開発・製造の責任者となった。映画は,原爆を開発し,広島,長崎への原爆投下に手を染めた彼の狂気と苦悩を描く。


原爆の開発拠点として建設されたニューメキシコ州のロスアラモス国立研究所は,映画のセットが示したように広大な砂漠地帯の中にある。人々の居住地は見あたらず,緑も農地もない。見たところ利用価値のない無主の荒廃地のようだが,そこは紛れもなく先住民の土地だった。先住民は追い出され,有刺鉄線で囲われた研究所の敷地内は銃を持った警備員が巡回した。住宅,学校,バーもつくられ,隔離の町がつくられた。

オッペンハイマー(キリアン・マーフィー)は,原爆による破壊の威力を理解していた。しかし,原爆をナチスドイツに使用すれば,戦争の恒久的な終わりが来る,彼は,本気でそんな無邪気な考えを信じていた。原爆の破滅的な力が,どんな巨大な不幸をもたらすか,そして原爆が世界をどう変えるか,について想像力をめぐらすことができなかったのである。彼は,そのような想像力を働かす前に,原子核をめぐる新しい物理学研究の魅力につき動かされていた。

オッペンハイマーは,ロスアラモス国立研究所の所長に任命されると,国内の優秀な研究者をあつめ原爆開発を開始した。そして,8ヶ月かけて原爆は製造され1945年7月16日,史上初の核実験・トリニティ実験のボタンは押された。閃光が世界を真っ白にし,爆発でできた火球は瞬く間に上空に向かって大火球へと成長し,爆風が砂嵐を巻き起こした。「世界は一変する。私は死となり,世界の破壊者となった」。天界の火は,この地上に生きる者をことごとく滅ぼす火となった。

研究者たちは実験の成功に狂喜し,人々はオッペンハイマーを拍手喝采で迎えた。しかし,この時彼は,原爆の爆発がもたらすものが何なのか,ようやく,はっきりと気づいたのである。拍手喝采で自分を迎えてくれた人々が突然,原爆のまばゆく輝く光線に照射される。大写しにされた一人の少女が,強い熱線を浴びて,皮膚が焼け爛れ,そして消えていく。その場にいた人々もみんな消えてなくなる。何事が起こっているのか。足元を見ると,なんと原爆の熱線で黒焦げになった焼死体が自分の足に纏わりついている。オッペンハイマーは,恐怖でその真っ黒な炭の塊から足を引き抜いて逃げようとした。

これらはもちろん,オッペンハイマーの心象である。だが,彼はこの時,原爆の爆発の下で,何が起こるのかをはっきりと理解したのである。

原爆開発の目的で,かつ使用のターゲットだったナチスドイツは,この2ヶ月前の5月7日,すでに降参していた。要するに,当初の原爆開発目的は失われ,ターゲットもいなくなっていたのである。

日本はこの時,沖縄戦で敗退していて,降伏はもはや時間の問題だった。だから,日本への原爆投下はまったく不要だったが,日本の都市に投下するという方針が決定された。選ばれたのが広島と長崎である。

ロスアラモスの物理学者たちは,これを知って原爆の広島,長崎への投下反対署名の活動を起こした。オッペンハイマーにも署名を求め,上層部へ中止を訴えてもらうことを要望したが,彼はこれを拒否するのである。原爆がもたらす地獄を知ったにもかかわらず,である。なぜ? 

科学者の倫理を貫こうとした物理学者たちの署名も顧みられず,8月6日に広島,9日には長崎に原爆投下が実施された。

映画では,原爆投下が2つの都市の人々にどんな悲劇をもたらしたのかは描かれない。他方,オッペンハイマーが見つめた上述の心象被害は,詳細ではあったが,抽象的で,命を奪い命を傷つける原爆の残忍性は捨象して描かれた。原爆を投下された側の者から見れば,原爆被害の描写はどちらもあまりにも不十分である。

おそらく多くの日本の人々がもったこのような感想に対して,ノーラン監督は次のように説明する。「ドキュメンタリーを作りたくなかった。映画はオッペンハイマーの人生に対する私の解釈だ」。

要するに,オッペンハイマーは想像という方法でしか原爆がもたらす巨大な負の実態を理解しようとしなかった,ということである。事実,オッペンハイマーは1960年に来日した際,東京での記者会見の席で,広島,長崎を訪問するかと聞かれたが,行かないと答えた。

彼はまた,こう述べた。「マンハッタン計画に参加した一人として私は日本に原爆が落とされたことを深く悲しんではいるが,この原爆生産計画の技術的成功について責任者の地位にあったことは後悔していない」。

日本への原爆投下について科学者としての責めを問われるべき彼が,日本に来て,その首都・東京で,原爆が投下されたことは悲しいことだが,開発成功の責任者だったことは後悔しない,と述べたことは到底理解できない。科学者の倫理などどこにもなく,むしろ科学者の傲慢を感じる。


核兵器開発は,第二次世界大戦を機に始まったがその後,ウラン,プルトニウム爆弾よりはるかに破壊力の大きい水爆開発へと進展,冷戦で核兵器開発競争は激化していった。たとえ,マンハッタン計画がなくても,オッペンハイマーがいなかったとしても別の「原爆の父」が現れて,原爆は開発され,開発競争はすすんだだろう。

以来80年,人類は核の脅威の中で生きなければならなくなった。今なお,原爆投下は対日戦争勝利に不可欠だった,との正当化論を信じるアメリカの人々はいる。

ティム・ウォルバーグ米下院議員(共和党)は2024年3月,「(ガザへの)人道支援にびた一文も使うべきではない」「長崎や広島のようにすべきだ。速やかに済ませよう」と語ったという。原爆投下が日本の降伏を決定づけた,同様に,ガザにも原爆を落として速やかにハマス打倒に決着をつけよう,と主張したのである。

いま,核兵器保有国のロシアとイスラエルが隣国に侵攻し,ロシアはウクライナの原発を占領し,戦術的利用を仄めかして威嚇している。これほどに核暴発の懸念が高まっている時に,核兵器使用を無邪気に語る人間が,国政に携わる政治家だというのは恐ろしい。

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