映画「それでも私は生きていく」

『建築とまちづくり』7/8月号,2023年



ミア・ハンセン=ラブ監督の「それでも私は生きていく」(2022年)が公開中だ。第75回カンヌ国際映画祭,ヨーロッパ・シネマ・レーベル受賞作品。

人は生まれて成長し,恋をして,家族をつくり,老い,別れる。人は自分を生きるが,恋人や家族とともに幾つもの人生も生きる。それが人生だ。

主人公サンドラは,夫を亡くした後,通訳の仕事をしながら,パリのアパートで8歳の娘リンと暮らしている。老いた父は,近くのアパートに一人住まいだが,病を患って記憶も視力も衰えつつある。今も教え子から慕われる哲学教師だった最愛の父。父の部屋は壁一面を哲学書が埋めている。これらの書物は彼の人生そのものだ。しかし,忍び寄る老いと病が,父の確かに豊かだった人生を奪いつつある。サンドラは,母,姉とともに書物を処分して,父の大切な居場所から彼を引き剥がし施設に入れる辛い決断をする。

他方で,サンドラは,町で,宇宙化学者で旧知のクレマンと偶然再会し,恋に落ちる。クレマンとの恋は,幸せで充実した日々を与えてくれるが,クレマンには妻と息子がいる。彼は,新しい恋を秘めたままにしていることに耐えられず,妻に告白してしまう。

ラブ監督は,クレマンの二股の苦しみを後追いせず,夫に怒った妻を登場させもしない。ただ,サンドラの不安な心だけを深く描く。通訳の仕事中,クレマンから週末は会えないというメールを受け取って平静を失い,公園の池のボートの中では,向かい合うクレマンに「私といて幸せ?」と質問,彼の「すごく幸せさ」という答えを確認しないではいられない。

終わろうとする父の人生と向き合い,その一方で,喜びと充実の絶頂にあるサンドラ。人生の山頂と谷底を見つめながら,物語の最後,サンドラは,娘のリン,クレマンと,パリの市街を一望するモンマルトルの丘に立つ。クレマンは,サンドラの背にそっと手を伸ばす。

物語は,パリの街角で,父の教え子から「先生の娘さんですよね」と声をかけられる場面から始まり,モンマルトルの丘で終わった。

サンドラを演じたレア・セドゥは,最新作007で演じたボンドガールとは打って変わって,ベリーショートにスッピン。彼女の人生は,見た目のような明るく軽やかなものではない。辛くも重くもある。その飾り気のないスッピンさで,彼女の深い悲しみや喜びがてらうことなく描かれる。

この映画は,ラブ監督自身の経験が下敷きだという。シングルマザーに,仕事,老親の介護,秘めた恋。サンドラは私だ!この映画を観て自分の人生を重ねた女性は多いのではないだろうか。私もその一人だ。大きな都市の中の小さな物語だけれど,確かな普遍性がある。

舞台はパリの街中。サンドラの住まいはパリの小さなアパート。クレマンとのデートは美術館や公園,池,モンマルトルの丘である。きっと敢えてだろう,華やかな商業施設や大規模な建築は映し出されず,ここはパリだ,と誇示するような歴史的建造物も象徴的な場所も出てこない。それらが,背景に映されることもない。登場人物の身近な生活の場とその近景だけだ。

遠景が使われたのはただ一カ所,ラストシーンで,モンマルトルの丘に立った二人がパリの市街地を望んだ時だ。しかし,二人が眼下に眺めるパリは,どこまでも広く望洋としている。人生は,先を見通せず,続いていく。「それでも私は生きていく」。

私は水戸に住んでいる。もし,私が映画監督で,日本のサンドラとクレマンを水戸で撮影するとすれば,水戸のどの空間や施設を使うだろうか。いろいろ考えてみる。都市は市民のものだ。市民の生活の場だ。そんな人生と都市の映画をまた観たい。

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