旧産炭地域の失敗2


旧産炭地域における石炭産業に代わる新しい産業起こしは困難だった。産炭事業が成功したと言えるのは,東部(常磐),西部(宇部),北九州の一部にすぎない。

原発立地地域もまた,国策から脱却して地域の将来を自ら選択する道は容易くはない。しかし,エネルギー転換の世界的潮流が渦巻いているなか,原発立地地域は,将来を正しく見る努力を怠ってはいないだろうか。

原発産業の現状にはどんな展望も見出せない。電力会社の中核・東京電力は,福島で過酷事故を起こして実質国営企業となり,被害者,被災者への賠償金は国が肩代わりしている。2009年以来14年の間,原発の新設はなく,原発部品のサプライチェーン途絶リスクが高まっている。原発輸出の撤退もつづいている。2022年現在で原発の電源構成比は5%だが,政府は,2030年には20〜22%程度にまで引き上げる計画だが,実現の目処はない。「安全で安価」と喧伝された小型モデュール炉は,再生可能エネルギーに対するコスト競争力がなく,アメリカ初の小型原発事業は頓挫した。

税金を投入してしか維持できない原発産業は,畑村が言う技術発展段階論の<破滅期>に入っている,とみるのが正しいのではないだろうか *。


廃炉の先を見据えることの難しさ

2021年,筆者が尾松らと出した共著『原発「廃炉」地域ハンドブック』(以下,ハンドブック)は,地域産業の中核である原発が廃炉を迎えると地域はどうなるのか,アメリカ,ドイツ,ロシアの廃炉事業先行地域の取り組みを紹介した本である(写真)。アメリカの例では,雇用の喪失,税収の激減で地域社会は危機に瀕し,廃炉作業中の事故リスクへの対応も迫られている。使用済み核燃料の処分地が決まっていないため,この先,何10年も保管することになるという,先の見えない難題が待ち受ける。処分地が見つからずそのまま保管地が処分地になるというリスクもある。この本で,何をすれば廃炉の衝撃から地域を救えるのか,海外事例の研究と日本のための政策を提案した 。



同年,筆者は,東海村長選に立った。地元の原発・東海第二原発の再稼働反対を表明し,村の有権者に廃炉後の村のあり方議論を始めようと訴えた。残念だが,その訴えは全く広がらなかった。

日本では,廃炉になった原発は24基あるが,ハンドブックで紹介した海外事例のように,地域の原発すべてが廃炉になった廃炉地域は,2地域である。

いずれも福島県にあり,ひとつは福島第一原発事故サイトの地域であり,もうひとつは,このサイトの道連れで廃炉になった福島第二原発サイトの地域である。ひとつ目の過酷事故サイト周辺は,大半の住民が戻ることができない地域となった。ここでは,地域の復興とは無関係な,福島イノベーションコースト構想と名づけられた国主導の事業が大規模にすすめられている。道連れになった隣接の福島第二原発サイト地域も,道連れで福島イノベーションコースト構想による事業がすすめられている。

この2地域における原発に代わる新産業育成の問題は,住民不在のまま,住民の議論もないままに地域再生の国家事業が導入されていることであり,その発想が従来型の外発的発展,開発優先であることである。


4つの先入観

既存の原発立地地域では,原発維持でよいのか,あるいは新たな産業育成へ歩みを踏み出すべきかという議論はまったく起こらない。議論が起こらない背景には強い原発依存があり,原発の安全への強い信頼がある。

2014年,関西電力大飯原発3,4号機の運転差し止めを命じる判決を下した福井地方裁判所元裁判長・樋口英明は,人々の意識のなかの「先入観」を指摘している。

樋口は,「安全神話」とは言わない。人々の意識にある原発への「先入観」を問うているのである。2023年11月19 日,茨城県笠間市で開かれた映画「原発をとめた裁判長:そして原発をとめる農家たち」上映会の参加者に届けられた樋口のメッセージから引用する。


脱原発運動の最も強力な敵は,原発回帰に舵を切った政府でも電力会社でもありません。最も強力な敵は「先入観」です。
「福島原発事故を経験しているのだから,それなりの避難計画が立てられているだろう」という先入観,
「原子力規制委員会の審査に合格しているのだから,少なくとも福島原発事故後に再稼働した原発はそれなりの安全性を備えているだろう」との先入観,

「政府が推進しているのだから,原発は必要なのだろう」という先入観,

「原発は難しい問題だから,素人には分からない」という先入観です。

その中でも最も強力な敵は「原発は難しい問題だ」という先入観です。原発の問題は決して難しい問題ではありません。次の二つのことさえ理解してもらえればよいだけです。一つ目は,原発は事故の時も自然災害に遭った時も運転を止めるだけでは安全にならず,人が管理し,電気と水で原子炉を冷やし続けなければ必ず事故になるということです。

二つ目は停電や断水が起きて人が管理できなくなった場合の事故の被害は極めて甚大だということです。現に福島第一原発事故では停電しただけで,「東日本壊滅」の危機に陥りました。

しかし,「東日本壊滅の危機」にあったことを知ったとしても,多くの人は「事故があったとき被害は大きいものは事故発生確率を低くしているはずだから,原発も事故発生確率が低いはずだ」という強固な先入観を持ってしまっているのです。


原発立地地域に漂う,原発は国策であり,原発はつづく,地域は原発とともにある,という強い信念は,樋口が指摘する4つの先入観によって支えられている。

廃炉になれば地域経済は衰退する,という不安な意識もあるだろう。だから,廃炉になることなど考えたくない,考えたくないことは起こらない,少なくとも自分が生きているうちは起こらないと考える。正常化バイアスと呼ばれる意識である。

この正常化バイアスを解かないまま,原発維持を前提にして地域を発展させようという考えは正しいのだろうか。

旧産炭地域や廃炉先行地域の取り組みは,原発立地地域の現在地を理解する助けになる。廃炉になれば地域に何が起こるか予想ができる。起こりうることを予想し対処法を考える。地域の今後の発展のために,どんな地域資源をどう生かせるかが考えられる。

旧産炭地域に焦点をあて,石炭産業が終焉を迎えようとしていた時,どんな地域再生の取り組みがなされたのか,その取り組みはどんな特徴をもっていたか,事業はどう展開したか,その失敗の原因はどこにあったかを次に検討する。北海道夕張炭田と茨城県常磐炭田の2都市の産炭事業を取り上げる。(つづく)


* 畑村洋太郎『失敗学のすすめ』,講談社文庫,2005年

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