原発は「トイレのないマンション」か

原子力発電所は「トイレのないマンション」だという。稼働させて発生する放射性廃棄物を処分する施設をもたない原発の例えで,広く流布されている。

 しかし,この例えはどこかおかしい。どこがおかしいのか。定義から出発して考えてみた。この論考で明らかにすることは,原発の放射性廃棄物処分施設を「トイレのないマンション」に例えることはどこがおかしいのか。なぜ原発の最終処分場は半世紀以上も作られないままここまできてしまったのか。2つの施設の比較で何が見えるか,である。

 原発は電気供給施設,マンションは集合住宅,ともに都市の重要な施設である。放射性廃棄物処分施設は原発が排出する廃棄物の処分施設,トイレは人間が排出する排泄物を流す設備である。原発は全国で60基もあるのに,これらから出てくる廃棄物を処分する施設は,どこにも作られていないし今後の予定も見通せない。一方で,トイレはあらゆる住宅についている。 

「トイレのないマンション」が存在しないのは,トイレがなければ住宅として機能しないからである。トイレがないマンションは致命的な欠陥住宅で,業者にとってそのような住宅を供給するメリットなどないから計画されない。もし建てようとしても役所は建築確認をしないから建てられない。もし建設されてしまったとしても,そのようなマンションを購入する消費者はいない。要するに,「トイレのないマンション」は供給側も需要側にも見向きもされない住宅である。 

マンションのトイレは,住宅の基本機能だからついているという消極的な意味だけでなく,社会的に貢献しているという積極的意味がある。一部の自家処理を除いて,トイレは,人間の排泄物を下水道へ流し,終末処理場で処理する(図1)。ここで処理された水は公共用水域に流され,汚泥は堆肥や舗装資材としてリサイクルされる。マンションのトイレはその先の資源の循環システムに繋がっていて資源循環に貢献している設備である。

図1 終末処理場の仕組み(国土交通省より引用)


廃棄物は適切に処理し処分されなければならない。廃棄物の処分は,これを発生させた事業者が責任をもたなければならないというのも当然である。ところが,原発はこの原則から今日まで逃れている。 

放射性廃棄物に関して規定した最初の法律は,1957年の「核原料物質,核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律」(原子炉等規制法)である。しかし,ここで規定されたのは,処分ではなく管理についてであった。つまり,放射性廃棄物は原発の敷地内で管理する,とだけ規定されただけであった。どのように処分するか,どこに処分するかは,将来の技術開発で決めていけるという考えだった。

廃棄物処分の事業者責任を明確にし,処分のシステムがつくられたのは,産業公害が深刻化していた高度経済成長期のただ中のことである。1970年の「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」(廃棄物処理法)がそれである。この法で,事業活動に伴って生じる20種類の廃棄物が産業廃棄物と規定され,その処分は排出した事業者自身が責任を負い,都道府県などの許可を得て最終処分施設を建設して埋め立てることになった。廃棄物を発生させた事業者は自らこれを処理しなければならず,処理能力がなければ事業できないという原則がこの法律で明確にされた。 

ところが,放射性廃棄物は産業廃棄物に指定されず,原発事業者はこの法律の適用外であった。原発事業者は,放射性廃棄物の処理処分能力がなくても建設,稼働をつづけることができ,半世紀以上にわたって排出された放射性廃棄物はもうこれ以上保管ができないレベルに達している。そして,それでもなおも再稼働が推し進められようとしている。原発は自己破滅的な施設というしかない。 

放射性廃棄物の処分についてようやく規定されたのが,2000年の「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律」(最終処分法)である。これは高レベル放射性廃棄物の最終処分に関する法律だが,①特定放射性廃棄物(高レベル放射性廃棄物)が地下に浸透することがないよう安全,確実に埋設する,②経済産業大臣が,最終処分計画を定める,③処分地を選定する機関を設けることなどが規定された。 

しかし,原発事業者は,保管さえ満杯状態に近づいていてその先も決められない状態なのに,処分能力は不問に付され,廃棄物総量も規制されないという問題の多い法律だった。 

この法で,最終処分法は地層処分とされ,処分サイトを選定する機関NUMOが設立された。2002年,最終処分施設の候補地公募が開始されたがこれまでの応募はゼロである。そこで,NUMOは2018年5月より「科学的特性マップに関する対話型全国説明会」を始めた。最初の大阪市では16人,つづく水戸市では31人の参加だった。 

この「対話型」説明会で,国民の理解を得たいところだろうが, NUMOが作成し公表している「開催結果」を読むと,参加者からはこれまでの原子力政策への様々な疑問がぶつけられている。地層処分の安全性への疑問,廃棄物を増やす再稼働の反対表明,廃棄物の総量規制の必要性,処分問題の後回し政策などである。市民が回答を求めているのはすべて地層処分問題とつながっている。真摯に市民と対話をしなければ一歩も前に進まないだろう。

ここまで,原発の廃棄物処分問題の歴史を振り返り,原発を「トイレのないマンション」に例えることの意味について考えてきた。これでわかったのは,「トイレのないマンション」を原発に例えることはまったく不適だということである。そして,原発は持続可能な都市の脅威だということである。まとめてみたい。 

第一に,一口に廃棄物といっても,原発とマンションが出すそれは同じではない。人間の排泄物はゴミではなく資源になるが,放射性廃棄物は,排泄物とは異なって,大変危険な物質なのでリサイクルができない本当のゴミである。しかも最終処分するまでの貯蔵にも厳しい管理と莫大な費用負担がかかるゴミである。廃棄物の性質から見て,冒頭の例えはまったく不適当である。 

第二に,2つの施設の性格から見ても,例えは不適当である。トイレの先の下水処理施設は,公衆衛生上欠かせない公益施設である。原発の最終処分施設も必要不可欠だが,公益的とはとても言えない。坑道を掘ることで地下水量がどう変化するのかわからず,環境汚染がどう広がるのかもわからない。処分場を深い地下に設置するにはわからないことが多すぎる。どの自治体も候補地公募に手を上げようとしないのは当然である。 

いま持続可能な都市をどうやって実現するかが問われている。その都市を構成する都市施設は,安全と衛生,環境保全という基本機能を果たさなければならないが,原発はこの基本機能を果たすことができない。原発はもう終わらなければいけない施設である。

 
(原電茨城事務所前抗議行動「星空講義」2,2019年4月26日)

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