大井川県知事の「新しい茨城」 県民へのあいさつ文を読む
茨城県広報2022年1月号を駅前の公共施設で見つけて,大井川知事の「新年のごあいさつ」を読んだ。県民の思いとは大いにズレている。しかも疑問が多い。1ヶ月前の「あいさつ」だが,批判しておく。
大井川氏は,次のように書いている。
「今,コロナにより人々の価値観や生活様式などが大きく変化していることに加え,気候変動問題,AIの進歩による社会構造の変化,人口減少の大きな波が寄せるなど,これまでとは全く環境が異なる,予測困難な『非連続の時代』を迎えております」
このような前提のもとで,「新しい茨城」づくりを目指すと書いている。
「この困難な時代を乗り越えるため,私たちには,前例踏襲や横並びではなく,変化や失敗を恐れず,新しいことに果敢に挑戦し,自ら未来を切り開いていくことが求められております。
茨城の潜在能力を引き出してきたこれまでの改革路線のもと,『新しい茨城』づくりに向け,『新しい豊かさ』『新しい安心安全』『新しい人材育成』『新しい夢・希望』の4つのチャレンジを常に進化させながら加速化してまいります」
驚くのは,大井川氏の問題認識である。あるいは問題認識のなさである。
問題認識のトップにくるのが「コロナによる価値観や生活様式の変化」である。だが,これの何が問題なのかは説明しない。次にあげるのが気候変動とAIによる社会構造変化である。これらも何が問題なのか語らない。最後に来るのが「人口減少の大きな波」だが,これも何が問題なのか説明しない。課題の順列も,問題の大きさもいっさい不明なままただ並べて,「予測困難な『非連続の時代』」だというのである。こんな雑な論があるだろうか。
そもそもだが,人口減少を,寄せる「波」というのは,どう見ても間違っているだろう。波の性質に無知すぎる。
話をもとに戻そう。時代は非連続だ,という氏の主張はどこからきているのか調べた。出井 伸之氏の『非連続の時代』(2002)という同名の著作があった。出井氏は,ソニーの社長と会長兼最高経営責任者などを歴任した実業家である。
一方の大井川氏は,通産省官僚からドワンゴの取締役などをへて政治家になった人で,県政に「民間企業の経営感覚と発想を活か」す,などとよく言っている。氏は,政治家という前に実業家だ。私は,氏が主張する「非連続の時代」は出井氏の引用だろうと推測している。当たっているのではないか。
なぜ,氏は「新しい茨城」を目標とするのか。これでもう察しがつくだろう。
今は,非連続の時代だから,その先は予測もつかない。だからそこから生まれる,否,生み出すのは新しい何かである。民間企業の経営感覚と発想で,「新しい豊かさ」「新しい安心安全」「新しい人材育成」「新しい夢・希望」を生み出そうというわけである。
それは,これまでの文化や制度によらない「新しさ」である。もっと新しい豊かさを,もっと新しい安全を,もっと新しい人材を,もっと新しい夢と希望を。
しかし,そんな「新しさ」は氏の夢想の中にしかない。
L.マンフォードは,「充足の経済」を解いている *。充足とは豊かさ以上のものである,それは生物の自由のための条件であるとも述べている。
私たちはなおも,もっと新しい豊かさを求める理由があるというなら,それはどんな持続可能な社会をつくるものなのか,県民にきちんと説明してほしい。不自由で貧しい豊かさに陥らないために。
ところで,私の家の2階からは超高層の県庁舎がよく見える。職員たちは,チャレンジせよ,成果をあげよとお尻を叩かれてるのだろう。毎晩夜中でも煌々と輝いている(写真)。休日の夜も輝いていることがある。
写真 茨城県庁(撮影: 2021年4月15日23時38分,自宅2階から)
こんな話を聞いた。県庁で働く女性が夜中まで仕事をしているので,帰宅の早い夫が家族の夕飯づくりや子どもの世話をしているという。どう考えても異常である。
3.11の時,停電で辺りの住宅地が暗闇に沈む中,毎晩,県庁だけが明るく光っていた。私は,この大災害にあって,災害対策本部となったあの県庁の中で,必死になって災害対応業務にあたっている県職員の姿を想像し,感謝の思いで光る県庁を見つめていた。あまりの過酷な業務に倒れた職員がいることも知っている。
だが,今は違う。非常時でもないのに毎晩,職員が夜中まで県庁を光らせている。そんな働き方を常態化させている知事を私は厳しく批判したい。
* L.マンフォード『権力のペンタゴン』,生田 勉・木原武一訳,1973年
0コメント