東海村自分ごと化会議の「提案書」 住民は新しい提案を出せるか

脱原発とうかい塾会報『浜ぼうふう』で,自分ごと化会議について書いて欲しいという依頼を受けた。1月中ごろに住民「提案書」が出るということだったので,それを前提に原稿を準備していた。

ところが,提案書は1月中旬を過ぎてもまだ出てこない。村担当課に聞いたら素案がまだだという返事だった。12月の最終回では,「提案書(案)」の6つの提案の順を入れ替えて1月提出という段取りだった。それが「提案書(案)」ではなく,なんと「素案」に戻っており,それさえまだだというのである。

準備した原稿を会報発行の5月まで蔵に眠らせるのは惜しいし,素案なら提案は相当変わる可能性がある。「提案書(案)」で書いた原稿も重大な指摘をしている。それで,このままここに出すことにした。提案書が出れば,あらためて分析をしようと思う。



村民参加の自分ごと化会議最終回で「提案書(案)」が出された。会議を振り返り,「提案書(案)」を批判する。

自分ごと化会議は2020年12月,「東海第二発電所問題に関する住民の意向把握に向けた調査・研究の一環」として開始された。山田村長は,2021年9月議会で,再稼働に対する住民の意向把握として取り組んできているものを問われてまず,自分ごと化会議を挙げた。では,住民らはどんな住民意向把握の提案をしただろうか。

中身を見ると,「原子力や原発に関してできるだけ正確な情報を共有する(提案1)」などとなっており,住民意向把握とは何の関係もない。

会議は,そもそも地域問題の「自分ごと化」だが(本来の主題),村は「住民意向把握調査の一環」とし(会議の目的),住民意向把握調査としたのに,これとは無関係な提案書を提出させる(目的外の成果)。会議の枠組みを見るだけでも,このように支離滅裂だった。

議論でもいろいろ問題があった。その一つが,「原発が立地することのメリットとデメリット」論である。メリットとは村にお金が落ちること,デメリットとは原発事故リスク。まさに東海第二原発再稼働のメリット・デメリット論だが,「原発が立地することのメリットとデメリット」と言い換えられた。コーディネータ,参加者とも,東海村がつくった議論の枠組を守ることに忠実だった。

しかし,「メリットとデメリット」論の本質的問題はここではない。問題の立て方そのものにある。お金かリスクか,すなわち,お金か,自分たちの生命と生活・環境に対するリスクかと立論し議論をしたのある。原発の再稼働には事故リスクという特別なリスクがあるが,これは単なる「デメリット」だろうか。原発事故が現実になった時のコストは「デメリット」の想定内だろうか。あるい想定外なのだろうか。

参加者の議論は,「自分ごと化」どころか明らかに他人事だった。このような議論の仕方に反論も出なかった。参加者はみな,原発推進の功利主義論に陥っていたのである。

会議は,原発の安全性を原電に聞きたい,行政の取り組みを聞こうと,当事者らから説明を聞く場ともなった。安全性については原発関係の参加者が買って出て話をした。しかし,そこから住民が議論を起こすということはなかった。

提案書は,議論を積み上げ会議の総意としてまとめられるものである。しかし,自分ごと化会議では,会議のコーディネータが,会議録と参加者が書き込んだ提案シートから言葉を拾い集めてつくるとされている。提示された「提案書(案)」は,次のような行政や原電の説明と何も変わらない住民「提案」だった。

 原子力や原発に関してできるだけ正確な情報を整理し共有する(提案1)

 東海第二原発の安全性を強化する。住民に丁寧に説明する(提案2)

 安全に避難できるよう避難計画を整備する(提案3)など

茨城県と首都圏の広範な地域の住民が,東海第二原発再稼働の是非について村はどちらを取るのか注視している。村民はこのことを忘れてはいけない。村民は主体的な議論を起こしてほしいと強く願う。

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