東海村の「地元1/3,原子力1/3,日立1/3」という言説



東海村では,住民は,地元1/3,原子力1/3,日立1/3だという。村民は,地元住民,新住民の原子力,同じく新住民の日立がそれぞれ1/3ずつで構成されるという意味である。これを「村民3分法」と呼ぶことにする。村民の間で伝えられている言説である。筆者は20年近く前,村の住宅調査を始めたときに,この村民3分法を教えられたが,今でも村に行けばよく聞かれる。

この分類で興味深いのは,村民が等しく1/3ずつ,地元,原子力,日立に分けられるという見たてである。筆者が20年近く前に聞いた数字と現在の数字は変わらない。わかりやすいけれども,いつまでたっても数字の不変が示すことは,これは統計や調査とは関係がないということである。公文書,論文,本でもこの言葉を目にしたことがない。

その起源はどこにあるのだろう。村役場が語り,メディアがそれを報道したことから広まったのではなかったか,という話を聞いた。その真偽は不明だが,村の住宅地開発の経緯を振り返れば,わかりやすくなる。農地や山林に囲まれて農村集落が散在していた農村に,高密で,区域を画した空間隔離型の団地が原子力のために建設された。それはとても異質なものだったが,同時に,地元住民の目には近代的で輝かしいものだった。


この田舎の村に最先端の研究所ができる、優秀な研究者たちがやってくるという知らせに、村民は沸き立ちました。まだ中学2年生だった私にも、大きな夢と希望を与えてくれました。舗装路もなかった村内のそこかしこで工事が始まり、太い道路が造られ、コンクリートの団地が並び立ち、村人とはまったく違う顔をした人たちが移り住んでくる。農家が8割で茅葺き屋根ばかりという風景の村に、別世界が舞い込んできた感覚です。様変わりする村の様子を、昂揚感をもって眺めていました。


元東海村長・村上達也の回想である 。1950年代後半,中学生だった村上は,茅葺き屋根ばかりの農村がどんどん開発され,原子力の新住民たちが鉄筋コンクリート造の集合住宅団地に集住していく様子に,昂揚感を覚えて見つめていたのである。団地は,村内8箇所に建設され,原子力新住民のコミュニティができた。

1960年代に入ると,隣の日立市に住んでいた日立の人々が,公害のない,村の美しく清らかな田園環境を選んで既存集落周辺に少しずつ住みはじめた。1970年代には日立系ディベロッパーが,村内に2つの大規模な戸建て団地を開発し,ここに新住民の日立という概念が成立した。

村には,原子力と日立という所属別の2つの新しいコミュニティができあがり,こうして,村民3分法は生まれた。所属別の新しいコミュニティの形成から,村民は大きくは3種のコミュニティで構成されているという見方は当初,それなりに意味を持っただろう。

しかし,今では3分類では,村民の状況を説明しきれなくなっている。地元の農家だが,兼業化で原子力や日立の一員になり,あるいは地元農家の子弟が就職して原子力や日立にくわわる例はごく普通である。原子力や日立の新住民だが,地元住民と結婚して地元の一員になった人もいる。半世紀以上の間に,3つのコミュニティの中の人々は,この枠を超えて様々に交流をしてきたのである。さらに,近年の大規模な宅地開発で,原子力,日立のいずれとも関係のない若い世代が多数,転入している。こうした状況は,村民の誰もが知っている。

村民3分法では,地元,原子力,日立の3つは,均衡あるフラットな関係に見えるが,日立(日立製作所)は原発メーカーである。したがって,村民の間では,旧住民の<地元> vs. 新住民の<原子力+日立>という構図で理解されている。

一般的に郊外の開発地で,旧住民と新住民のコミュニティ策として議論されることはあるが,東海村の3分法は,単に旧住民と新住民という分類ではない。村の多数を占めるにいたった新住民は,村の主要産業を構成する事業者のどれに属するか,という視点を含んでいることに,この3分法の重点的視点がある。

先に述べたように,すでに村民は単純な3分法では説明できない。では,なぜ,村民は3要素のどれかに属しているとする見方を,村の人々は言いつづけるのだろう。

振り返れば,芦浜原発の候補地にされた三重県南島町では,原発誘致をめぐって住民間で激しく対立し,隣人が原発賛成派か原発反対派かを見定めることまで強いられるという深刻な事態へと発展した。東海村でも,3つのコミュニティの間で歪みあったり,表立った対立や抗争をしているかといえば,そういうことはない。

おそらくこういうことだろう。

原子力と日立は,村の経済,社会,政治上の強力で重要なアクターになり,とりわけ村の原発政策に大きな影響力を及ぼす,強力アクターになった。村の政策の基本も,原発の維持とこれを基本にして地域を発展させること,となった。したがって,村を動かすアクター側に属していることは,村は当然,多くの住民にとっても大きな関心ごとになった。一方,少数派となった<地元>は,正しい意味での地元出身か否かということにかかわらず,原発推進に反対する住民グループという意味合いをもつようになった。統計にもとづく実質的な分類ではないし,1/3ずつというのもまったく根拠をもたない,村民3分法は,揺れる村の原発政策を象徴する言説なのである。

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