『ラーゲリから愛を込めて』山本厚生さんのお話

山本幡男と妻,モジミの実話をもとにした映画『ラーゲリから愛を込めて』が上映中である。夫妻の次男で,住まいづくりの専門家・山本厚生さんが,12日,東京で,「支配・収奪のない未来へ ー『世界文化再建』と私たちの役割ー」と題して,父と母,未来を語った。


話題沸騰の映画について厚生さんから直接,話を聞ける機会とあって,東京の会場は150人を超える大入りだった。主催者によれば,参加者は北海道から九州まで,家族で長野から参加された方もいるという(主催:新建築家技術者集団。新建)。

『ラーゲリから愛を込めて』は,辺見じゅん『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』をもとにした映画である。終戦時,幡男は,シベリアへ強制連行され,地獄のような抑留生活であっても不屈の精神をもって人間らしく生きることに徹したが癌に倒れ,その幡男を慕う同胞たちが収容所の監視網を潜って暗記によって幡男の遺書を,モジミら遺族のもとに届けたという物語である。

プロデューサー平野 隆氏が「この映画はいわゆる“戦争映画“ではありません。人間賛歌の映画であり、愛の物語です。出口の見えない閉塞感の真っ只中にある2022年、傷つき、苦しみ、希望を見いだせなくなった方々に是非観てもらいたい、心からそう思います」と語る。

私は,この映画を2回鑑賞した。何度も胸に迫ってくるものがあって涙が止まらなかった。


私にも,シベリアに抑留されシベリアで亡くなった伯父がいる。2015年5月,抑留死亡者名簿が公開されたと新聞が報道し,私はすぐに伯父の名を探した(下表)。叔父は,1947年8月,イルクーツク州第31収容地区でなくなり,フラムツォフカ村で埋葬されていた。

伯父の兄妹たちは,伯父の死亡に至るまでのことや死亡原因など何も聞かされていなかった。敗戦からすでに70年たった抑留死亡者名簿の公表は,あまりにも遅かった。最後に残された伯母のもとに,厚労省から墓参旅行の案内が来たというが,旅費は高く,伯母はもう,遠いロシアまで墓参りに行ける年ではなくなっていた。

私は戦後生まれだから,伯父のことは何も知らない。敗戦後,シベリアに抑留されて亡くなった人のことは,遺族の間で語り継がれるべき情報など何ひとつなく,時間とともに忘れ去られていくのか,と思っていた。


『ラーゲリから愛を込めて』は,そのシベリアに強制連行された幡男の実直で誇り高い生き方と,妻との愛を描いた物語だが,同時に,幡男の生き方に感化され人間性を取り戻していく,収容所の同胞の生き方も描かれる。同胞らは,非人間的な帝国軍隊の規律から少しずつ解放され,恐怖で収容者を縛るソ連の収容所に対して幡男を町の病院で診察を受けさせるよう要求するなどして,人間らしさを取り戻していく。同胞は最後に,癌に冒された幡男に,家族への遺書を届けることを約束して書かせ,復員後,モジミらのもとに届けるのである。

厚生さんは,映画では描かれていない幡男とモジミのエピソードを語った後,子ども4人に宛てた幡男の遺書の中の言葉,「忘れてはならぬ」を取り上げた。遺書にはこう書かれている。

さて,君たちは,これから人生の荒波と闘ってゆくのだが,君たちはどんなに辛い日があらうとも光輝ある日本民族の一人として生まれたことを感謝することを忘れてはならぬ。(中略)また君達はどんな辛い日があろうとも,人類の文化創造に参加し,人類の幸福を増進するといふ進歩的な思想を忘れてはならぬ。

厚生さんは,日本がアジアの国々に犯した侵略戦争を忘れず,日本人は世界文化創造への貢献を忘れてはならないということだという解釈を加えられた。

講演の後半は,今後の日本のあり方についての厚生さんの信念と,参加者への呼びかけである。戦後日本は日米財界によって支配され,企業利益の追求のもと戦争を肯定する国民づくりをしてきたことを見抜き,支配のない平和を望む国民として,暮らしの文化創造をすすめよう,自然との共存,人間の尊厳,愛情と気配り,社会的共同をすすめようと,静かに呼びかけた。

講演後,会場近くのレストランで,参加者40人が集まり食事をした。たまたま,厚生さんが,私の横に座ってくださった。せっかくなので色々質問した。ご両親はどんな思いで「厚生」という名前をつけられたんですか,モジミさんのお名前の意味は? お父さんの遺書の思いは厚生さんの子ども,孫たちにどのように伝えているんですか,などなど。コロナの3年間で,県外に出たのはこれで4回目。久しぶりに楽しい半日でした。



新建HPに,会場の様子が載せられています。

https://nu-ae.com/230212kouen/




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