水戸市の中心市街地活性化策について


大阪から水戸に引っ越して22年になる。マンションが林立する大都市都心近郊の住宅地から,梨園が点在する地方都市郊外の低層住宅地に住み始めた。

県庁が郊外に移転して2年目の春だった。来た当初,都心はとても賑やかだった。中2になったばかりの息子は,「水戸は大阪より大きいの?」と私に聞いた。

大阪では,都心・梅田へ行くには,地下鉄の最寄駅まで自転車で,そこから東梅田駅まで駅5つ分乗らなければなければならなかった。ところが,水戸の都心は自宅からも見えていて,自転車で手軽に行ける。彼は,お好みの洋服店などを見つけて覗いていたようだった。

大阪と水戸,この2つの都市は規模,性格において全然違う。先の息子の言葉は,水戸では都心が自宅のすぐそこにあると知った驚きを,都市の大きさの言葉で表現したのだった。

しかし,それから都心は変貌した。引っ越してまもなくの頃に食事に入った,水戸駅前の小さなビル2階のレストラン。その2年後ごろだったか,また,息子を連れて行こうと探したが,もうなかった。県庁の郊外移転後の都心の衰退化は,最初はゆっくりとだったが,その後は一気に下り坂を下るように進んだ。それは凄まじいものだった。

今,都心の国道50号線沿いに並んでいた,市民の生活と文化にかかわる店舗は軒並みシャッターを下ろしたままになり,ダイエーでさえとうとう撤退した。銀行,証券会社,生命保険会社,百貨店のビルだけが目立つようになった。生活と文化要素が細った都心にもう魅力はない。日中も退勤時の夕刻も,人通りはすっかり少なくなった。

もう,大阪から引っ越してきた中学生が,「水戸は大阪より大きいの?」と親に聞くことなど想像できない。都心は散り散りバラバラになってしまったのだから。

国道50号の両側町・泉町1丁目には,茨城県でただ1軒になった京成百貨店がある。国道を挟んだ向かいに水戸市民会館(設計:伊東豊雄)が竣工し,まもなく開館する。3.11で全壊し,立地場所を都心へ移して新築されたものである。予算360億円超,国道をまたぎ京成百貨店に連絡する通路予算6億2700万円,維持管理費年間3億7000万円(毎日100万円)という巨大プロジェクトである。市民会館の奥に水戸芸術館(1990年開館,磯崎新)があり,この3施設を水戸の芸術文化の拠点として,市街地活性化を図るという(図1)


図1 水戸市民会館(左)と京成百貨店(右),国道50号の上に不必要な連絡通路がつくられる。水戸市民会館の左奥には水戸芸術館がある。


なぜ,水戸市民会館をここに建てることになったのか。

両側町・泉町1丁目は,2003年,伊勢甚百貨店が撤退したので,京成百貨店に対面するもう片方が空いているということになっていた。この片方には果物屋や精肉店などが営業していたが,市街地のコンパクト化を謳う立地適正化計画のもとで再開発を計画,営業していた店舗を移転させ,水戸市民会館を持ってくることにしたのである。奥にある水戸芸術館とセットで,芸術文化の拠点づくりの名目が立った。

ところで,水戸市には,すでに芸術文化の拠点が一つある。世界で2番目の広さを誇る都市公園である,偕楽園と千波公園の一角にある,県民文化センター(1968年竣工,葦原義信)と茨城県近代美術館(1987年,吉村順三)である。千波湖と周辺の広大な緑を生かしてつくられたこの拠点は,水戸の都市空間の中でとりわけすぐれた都市空間で,平日,週末を問わず市民がやってきて,この空間と施設を利用している(図2)


図2 千波湖と茨城県近代美術館(右:勾配屋根の建物),茨城県民文化センター(左:陸屋根の白い建物)


こうして,水戸市には,2つの芸術文化拠点ができることになった。県がつくった拠点は1960〜80年代のもの,水戸市がつくる拠点は2020年代のもの。時代を隔てたこの2つの空間を見比べると,後者の理念のなさと空間づくりの質の低下ぶりは誰の目にもわかる。

なぜ,これほどに質の落ちた芸術文化の拠点をつくろうとするのか。

2023年の今年,水戸都心に出現する二つ目の芸術文化拠点づくりの正体は,アベノミクスの都市政策版「選択と集中」である。理念なきまま,1点に集中的に巨額の税金を投入して活性化させるという方法論の貧弱な政策にその根っこがある。

水戸の中心市街地の中心部分は水戸駅から西に伸びる国道50号沿いの商店街である。中心市街地とは,この商店街を中心にして後背に広がる住商業務混在の地域全体である。1点豪華整備で,中心市街地を活性化するなど実現できるわけがない。誰が考えてもわかる。この政策は完全に間違っているが,水戸市は,「活性化」を旗印にして,2000人の大ホールなどおよそ市民活動に不必要な設備を入れて,市民会館の建設計画を巨大化させた。

驚くのは,水戸市民会館を泉町1丁目に建てることについての,高橋靖水戸市長の説明である。

「昭和50,60年代,伊勢甚と京成の2つの百貨店があって賑わっていた。泉町エリアを活性化させることは,中心市街地を活性化する上で非常に重要な要素になる」 *

市長は,なぜ,中心市街地の中の一街区整備が,中心市街地全体の活性化になるのか,まったく説明しなかった。理念も理論もなく,ただ,昭和のノスタルジーに訴えてこの政策の「重要性」を説明したのである。水戸市役所には,市長に適切なアドバイスができる都市計画と造園の専門家はいないのだろうか。

水戸市民会館の開館後,しばらくは,新しいもの見たさで人を惹きつけるだろう。しかし,地方都市の「選択と集中」の失敗例はいくつも報告されている。選択と集中の失敗で,地方都市の衰退は決定的になるという指摘があり,筆者も,強い危惧を抱いている。

水戸市は,竣工した水戸市民会館の敷地内北側に銅像をたて,この建物が永久に活用されるように,などと揮毫した高橋市長名の銘板をつけた。恥ずかしい。高橋市長も,こんな揮毫をしたことを恥ずかしく思う時がきっと来るだろう。その時には,誰にも気づかれないように注意深く,銘板は取り外されるはずだ。



* 「『4大プロジェクトと新市民会整備事業』ついて市長が説明しました」,(7:15あたり)2022年6月13日更新



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