原発避難計画の基本問題:川崎敏秀氏への反論1


東海村で廃棄物の処理・運搬をする会社経営者・川崎敏秀氏は,村の同業者協会の代表として,東海第二原発の再稼働を認めるよう村議会に請願を出している。同氏が,東京新聞で再稼働賛成の理由を語った *。

「(運転)差し止めを命じた一審の水戸地裁の判決は,原発の安全性は認めても,避難計画が完全じゃないからの一点で結論を出しましたよね。自然災害でもそうですが,完璧な避難計画なんて事前に作れるものなんでしょうか。その時に最善な避難をするしかないじゃないのか」

「完璧な避難計画」という最大の誇張表現を使って,そんなの無理だと言う。しかし「完璧な避難計画」とは判決に書いていないし,反対論者の間でも誰も使っていない。勝手な造語をして反論しようとしても,反論にもならない。また,計画に対する理解が完全に間違っている。それだけでなく,「その時に最善な避難をするしかない」として,計画論から突然,住民個人の行動論へと話を逸らす論法。おかしすぎるだろう。

他にも間違いは色々あるが,まずは,そもそも計画とは何か,原発避難計画は何が問題か,何が起こるか,について説明しておきたい。


そもそも計画とは何か

一般的に計画とは,目標と実現の方法,行動指針を示すものである。その作成には,関連の資料やデータを収集して分析し,課題や目標を設定,原案をつくり,協議,修正の後,策定するというプロセスをへる。策定した計画は,一定期間の運用をへて,期間が終了するとその成果を評価し課題を洗い直す。それらを踏まえ改訂した後,次の計画運用に入る。計画は,このように,策定→運用→改訂→運用を積み重ねることによって計画の実質を高める。

上述のようなプロセスをもつ計画は,いわば計画の理想形である。しかし,このようなプロセスをへる計画ばかりではない。都市計画分野では,掲げた理想や目標に対して制度,対策が有効に働かず,縮小の後,開発圧力に押し流され風前の灯程度にしか残されていない計画など,実現しなかった計画は数多い **。計画期間の終了をまたずに,改訂を繰り返す計画も多い。計画の本質は,このような繰り返しにあると言える。

原発避難計画は,対策が有効に働かなかった,部分的にしか実現できなかった,では済まされない。はたまた,繰り返されてよくなる,などと言って済ましていいものではない。原発避難計画の最大の問題点は,上述の一般的な計画と決定的に異なる点がある。すなわち,運用を重ねて計画を実質的なものにしていくというプロセスがないという点である。保母武彦が,「避難計画は出たとこ勝負」と語った所以である *** 。


原発避難計画の目的

放射性物質による被ばくから身を守るためにするのが原発事故の避難である。その避難計画は,被ばくを避けるためにする避難の計画である。事故が起こった時,住民は,いつ避難するか,どんな手段でどの経路で避難するか,どこへ避難するかについて,あらかじめ決めるのである。

計画は,次のような段階的避難を住民に指示する。事故が起これば,放射性物質の放出前に5km圏の住民には即時避難,30km圏の住民にはまず屋内退避,500μSv/時になってから避難せよと指示する。30km圏の住民には,放射性物質が原子炉から放出された後,高線量になって初めて,被ばくしながら避難せよと指示するものだが,わずか2時間で年間許容線量に達してしまう高線量である。また,避難手段は自家用車でと指示する。

92万人の避難計画でいえば,5km圏は6.4万人,30km圏は85.2万人である。85.2万人が高線量下での被ばくを前提に避難することになる。では,5km圏の6.4万人は,被ばくせずに避難できるかといえば,むしろ,30km圏の85.2万人より高線量の被ばくを強要されることになるだろう。

なぜなら,85.2万人が,高線量になるまで屋内待機をして避難を待て,などという指示を待つことなく,子どもをもつ親たちは,子どもを被ばくから守るためにできるだけ早い避難を選択するだろうからである。5km圏の住民は,避難しようにも,道路はすでに30km圏の親子たちの車で埋まっているだろう。


津波てんでんこは原発避難で実行される

遠州尋美は,東日本大震災が発生した際の釜石市の津波防災教育の成果を次のように報告している ****。

避難を率先したのは,釜石東中学校の校庭にいたサッカー部員たちだった。校庭に地割れが走るのを見た彼らは,教員の「逃げろ」の声を合図に一目散にかけだした。通常の手順では,全校生徒を校庭に整列させ点呼をとって全員の所在を確認して後避難する。しかし,不在の校長に代わり管理責任を引き継いでいた副校長のとっさの判断で,この手順を省き校庭に出てきたものから順次後を追わせることにした。防災教育は子どもたちの主体的避難行動を引き出すとともに,教員たちにもマニュアルにとらわれずに適切に判断する力を育てていたのである。
一方,鵜住居小学校の児童は当初校舎の三階に集められていた。しかし,「津波が来るぞ。逃げるぞ」と叫びながら校舎の前の道路をひた走る中学生の姿を目にした同校教員は,中学生のとともに避難することを決意する。防災教育の取組み以後,両校合同の避難訓練を実施していたことが,その決断を後押しした。中学生たちは合流した小学生の手を引き,途中で出会った避難途上の保育園児,沿道周辺の大人たちを巻き込んで,両校が合同避難訓練で避難場所に利用していた高齢者施設「ございしょの里」に向かったのである。

津波災害では自主的に判断して避難する。避難する人を見た人が避難を決意し行動に移す。「津波てんでんこ」の精神であり狙いでもある。

原発事故が起これば,多くの親子が避難計画に関わらず,避難を始めるだろう。この避難行動をおしとどめることはできない。

92万人の避難を国と自治体のコントロールのもとにおこうとする計画のもと,住民は役場の指示を待て,と指示する。これは,すでに,住民の避難のための計画目的から完全に逸脱している。要するに,原発避難計画は,住民を被ばくから身を守るという避難本来の目的を完全に放棄するものなのである。



* 「<東海第二原発 再考再稼働>(57)脱炭素と経済発展に必要 / 村内で会社経営・川崎敏秀さん(70)」,東京新聞,2023年8月30日

** 石田頼房編『未完の東京計画:実現しなかった計画の計画史』,筑摩書房,1992

*** 「避難計画は『出たとこ勝負』/ 住民投票で島根原発の再稼働判断を」,毎日新聞,2021年6月25日

**** 遠州尋美「地域に伝えられる災害伝承をいかに受け止めるのか : "津波てんでんこ"をめぐって」『神戸大学大学院人文学研究科地域連携センター年報』6,2014

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