オッペンハイマーの涙
第二次世界大戦中,ナチスドイツに対抗して原爆製造を目指したマンハッタン計画を主導したオッペンハイマー。完成した原爆は1945年,日本の広島と長崎に投下され,彼は「原爆の父」と称されるようになりました。
オッペンハイマーは1960年に来日した際,東京での記者会見で,広島,長崎を訪問するかと聞かれて,無神経に「行かない」と答えました。「原爆が投下されたことは悲しいことだが,開発成功の責任者だったことは後悔しない」とも。膨大な無辜の市民の命を奪う計画を主導しながら,他人ごとで冷酷。非人間的な科学者を強く印象づけました。
他方で,最近の報道は,1964年,彼は,米プリンストン大学で広島の被爆者ら2人に非公開で面会した時,「(彼は2人に)会うなり,ぼうだの涙を流して『ごめんなさい,ごめんなさい,ごめんなさい』と謝った」と,立ち会った通訳の女性が証言する映像が見つかったと伝えました。
アメリカでは,原爆投下は何100万人もの命を救い,戦争を早く終わらせたとする考えが流布されてきました。オッペンハイマーが広島の被爆者に謝罪したことは,彼の取るに足らない揺らぎと捉えられたでしょう。映像は公にされず,いつしか忘れ去られました。それから60年がたち,映画『オッペンハイマー』(2023年)が日本でも公開された2024年,映像が再発見されました。そこで,明らかになった「原爆の父」の「ぼうだの涙」。
科学者としては満足だが,人としては「ぼうだの涙」。彼の内面は矛盾に満ちていますが,でも,分裂してはいない。統一した人間なのです。原爆とは,人間を狂気に導いていくものなのでしょう。
彼は,原爆による破壊の威力を理解していました。しかし,原爆をナチスドイツに使用すれば,戦争の恒久的な終わりが来る。彼は,科学者らしからぬ無邪気な考えを信じていた人でもありました。
ジョセフ・ロートブラットは,狂気のオッペンハイマーとは対極の科学者でした。彼は,マンハッタン計画に参加しましたが,ナチスドイツに原爆の開発能力がないことが明らかになると,原爆開発はもはや不要だとして計画から脱退しました。彼は,1955年,核兵器の廃絶を訴えるパグウォッシュ会議を主導,ノーベル平和賞を受賞した科学者でした。
二人の科学者のどちらが,まともな人間で,まともな科学者かは明らかです。
核兵器開発は,第二次世界大戦を機に始まり,ウラン,プルトニウム爆弾よりはるかに破壊力のある水爆開発へと進展,冷戦で核兵器開発競争は激化していきました。以来80年,私たち人類は核の脅威の中で生きつづけなければならなくなりました。
浜ぼうふう 2024 夏号
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