東海原子力都市開発設立趣意書:日本の原子力開発の原点を伝える史料

3月,『原子力と都市計画』を出した。研究と原稿執筆過程のあれこれ,いただいた感想で考えたことなどをぼちぼち書いてみようと思う。

乾 康代『西山夘三記念叢書2:原子力と都市計画』,millegraph,2026年


「東海原子力都市開発設立趣意書」は,東海村の原子力開発に関する史料である。今のところ,東海村の原子力開発の計画書として明らかになっている唯一の史料である。

私が,この史料について最初に言及したのは,『原発都市:歪められた都市開発の未来』(2018年)である。その後も,このブログで度々言及した。講演でもよく引用した。

しかし,この史料には重要事項が欠落していて,ずっとこの史料が示す本質を語ることができないでいた。欠落していたのは,史料の作成者と作成年である。だから,『原発都市』やブログでは,史料に書かれている事柄をただなぞって書いたり,喋ったりしていただけだった。

この史料の作成者と作成年がわからないとどうしようもない。そのため,入手から5年間,放置していたが,ある日,突然,論文を書かなければいけないと思い立った。研究者根性が私を奮わせたのである。

改めて当時の出来事を並べた年表をつくり,設立趣意書の記載を見直すと,時系列からして明らかに矛盾する記載を見つけた。その小さな発見から,とうとう作成年月まで確定することができた。芋づるのようにして,作成者も確定できた。

面白いことに,作成年,作成者がわかると,設立趣意書にかかれている内容が,意味をもって目の前に現れてきた。

2021年11月,分析の成果を日本建築学会で発表,2022年12月には英訳論文も出した。東海村の原子力開発の性格がリアルになってきた。次は,この開発は,帝国植民地開発そのものであるということを実証的に論じたいと思っていた。『日本の科学者』(日本科学者会議)から投稿を依頼され,2024年3月,東海村の原子力開発の性格は植民地主義であることを明らかにした論文を書いた。

2024年3月,これら2本の論文を反映させて書いた15万字の原稿を,西山夘三記念叢書の原稿公募に応募した。運よく採択され,形になったのが,今年3月11日に発刊された『原子力と都市計画』である。

発刊から1ヶ月,本を読んだ感想が少しずつ寄せられている。「目から鱗だったのが,原発設置は植民地主義だとしたところだ」「『植民地』という言葉がかなり印象的でした」などと,日本の原子力開発の出発は植民地主義だった,としてその実態を描いたⅢ章が,読者の興味を引いたようだ。私もここは,設立趣意書という独自史料をもとにして明らかにした論点で,自信がある。

もちろん,原発立地地域は植民地だとする主張は,別に新しい主張ではない。社会学などの分野では以前から言われていたことだが,私はこれを実証的に明らかにしたいと考えていた。それを都市計画の分野で。長い時間がかかったが,とにかくも,ある程度だが,目にみえる形で説明できた。

以上に関することは,本書の第Ⅲ章で詳述している。


東海村だけが帝国植民地主義開発を継承したわけではない。このテーマに取り組んできて思ったことだが,戦災復興計画から高度経済成長始め頃の全国各地の計画に,同様のものがあっただろう。確信的にそう思えた。

東京都立大学の饗庭伸さんが感想を寄せてくださった。そこにこんなことが書かれていた。

全ての戦災復興計画に、多寡はあれ、植民地主義的な遺伝子がばらまかれ、あちこちで発達した、その一つが東海村にも出ていた、ということなのかなあとも思いました。特に内務省の時代は、遺伝子は匿名ではない官僚を通じてばら撒かれていると思いますので、旧法時代に茨城県に派遣されていた都市計画官僚の方の業績などを掘り起こせば、もう少し見えてくることがあるのかもしれません。

私は,戦災復興計画から高度経済成長初期の開発の性格を知らないが,東海村だけが特別だとは思わない。「内務省時代の遺伝子がばら撒かれた」というのは言い得て妙で,本当にそうだと思う。そこら辺のことが書かれている論文はないだろうか。



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