日本の原子力開発の展開:『原子力と都市計画』から
日本の原子力開発は,実に植民地主義的だった。『原子力と都市計画』で,その根拠資料を示して(図1),事業者はどのように地域を支配的に開発していったか,その手法も述べた 。要するに,次のような手法である。
図1 東海原子力都市開発株式会社設立趣意書
日本で最初となった東海村での原子力開発は,大日本帝国が戦時,満洲で進めた開発と地域支配のやり方を受け継いでなされた。これを主導したのは,村への進出企業を束ねた日本原子力産業会議(原産)である。その原産のリーダーたちは戦時政策を担った人物で,彼らは,満洲における南満州鉄道のように,地元行政の茨城県に介入して,自身がつくった私的開発計画を都市計画に公定させ,全村を巻き込む開発を進めた。この計画によって,村に10を超える原子力施設が集積していった。
こうした物理的な計画と並行して,原産は,村と村民を原子力政策に従わせるような心理策も進めた。原子力は近代科学の粋を集めた事業だとして,村の基幹産業・農業に対する原子力の優越を謳い,村民に原子力による村の明るい未来を信じさせたのである。
高度経済成長が進展していくと,手法は変遷した。
福井県美浜町と,福島県大熊町と双葉町は,全国に急増した過疎地を狙った政策の最初の例である。これを原発の過疎地立地策と言っておこう。
原産は,福島県では,「原子力センター」を建設すると謳い,福島県もこの壮大な計画を受け入れて,浜通り4町を工業化するという巨大な構想を描いた。福島県美浜町では,半島先の過疎漁村を計画地にしたので,事情は異なったが,福井と福島の2地区に共通する手法がある。それは住民監視である。計画地周辺の集落の組織状況を詳細に把握し,さらには農家個々の情報も収集するというもので,徹底した住民監視の手法である。
このような情報を収集しようとした。部落有財産の種類と場所・利用状態,部落の寄り合いの議題や参加者,各世帯の所有財産と家族構成,一人一人の仕事内容,出稼ぎの有無と出稼ぎ先など。
こうした手法が採られたのには,全国で,原発計画に対する反対運動が起こっていたという背景がある。原産は,計画地で反対運動が起こるのを警戒して,周辺の農漁村の住民監視を徹底させることにしたのである。これは,東海村では見られなかった。
原発を設置した開発地ではどんな変化が起こっただろうか。東海村の場合を見てみる。
村に原子力研究所が設置されると,続いて東海原発の設置が決まり,原発にともなって燃料加工工場も進出してきた。こうして,村の住宅地は,多数の原子力施設に囲まれるようになった。原産が宣伝したように,確かに,村は原子力センターになったが,4万人近い住民が住む危険な住宅地になった。
なぜ,こうした危ない事態が進行することに声が上がらなかったのか。
山田修・東海村長が,2025年夏,村長選に出るにあたって全戸配布した一文,「『原子力発祥の地』としての矜持」が,その理由を考えるヒントになる(図2)。
70年の歴史を紡ぐなか,周辺自治体では合併を余儀なくされましたが,東海村は自主自立した道を歩むことが出来ました。これは,先人たちが本村の将来を見据えて,原子力関連施設を誘致するという大きな決断をしたことによるものであり,国策である原子力と共に歩んできた歴史とも重なります。
図2 「『原子力発祥の地』としての矜持」,2025年,山田修政策討議資料
山田は,「先人たちが本村の将来を見据えて,原子力関連施設を誘致した」として,70年前の村の政策を語っている。
しかし,この文には明らかな間違いがある。村の開発は,上述のように,原産の計画が主導して進めたもので,「先人たちが村の将来を見据えた」というような村の自主性,独立性は見いだせない。
「原子力関連施設を誘致した」というような事実はさらにない。確かに,茨城県が日本原子力研究所を誘致したが,これに続いた東海原発,三菱,住友などの核燃料加工工場,再処理工場,東海第二原発,その他の原子力施設は,いずれも国策に従い,芋蔓のようになって村に進出してきた施設である。再処理工場の設置計画が明らかになったときは,地元で激しい反対運動が起こり,東海第二原発が設置されたときも,住民は,設置許可の取り消しを求める裁判を起こした。
山田は,これらの歴史的事実を確認することもなく,この歴史が示す意味を理解しようとせず,巷で言われてきた「原子力発祥の村」を使って,村の開発を美しい物語のようにして語ろうとしたのである。その目的は,村民に自身の公約「原発再稼働が必要」を理解させるためだった。
住民が,原発など原子力施設に住宅地開発を近づけることも,住宅地が原子力施設に囲まれることも,間違っていると気づけなかったのは仕方がないとしても,都市計画の専門家や村の都市計画役人が気づけなかったのは,原発問題を専門の立場から真剣に考えてこなかったからである。
日本の原子力開発の政策は,日本の経済構造の中にある。日本の原発の立地地域を見渡して見れば,たとえば,東海第二原発は首都圏の周縁地域。福井県若狭の原発は,大阪大都市圏の周縁のさらにその先の周縁地域。泊原発は札幌都市圏の周縁地域。というように,いずれも大都市圏や地方圏の周縁にある。
高度経済成長の過程で,なお工業化開発から遠ざけられたまま,経済的な困難を深めた周縁地域の過疎漁村が,原発計画のターゲットとされてきた。日本の原子力開発は,経済的な支配と被支配構造の中で政策化され,この構造によって維持されてきているのである。
しかし,原子力開発の政策は変遷する。東海村から,福井県若狭,福島県浜通りの2地区への展開過程で,原発立地策は大きく変遷した。その後の全国展開過程で,さらに変遷し続けた。
山田・東海村長は,「原子力発祥の地」というつくり話を前提に,原発政策の固定化を目指している。しかし,歴史に蒙昧で,強く原子力に依存することは,とても危険である。それは,住民を安全な居住から遠ざけ続けることであり,地域の原発に遠からず必ず訪れる廃炉に備えを怠ることによる負債を大きくしていくことになるからである。
『原子力と都市計画』の要約に,一部,21日のひたちなか市での講演録を加えた。
乾 康代『原子力と都市計画』,millegraph,2026
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