急減した夜間大学のこと

大阪工業大学の関東の同窓会,東芳会の総会に呼ばれてお話をした。 夜間大学の話である。

私は,1987年,社会人10年目で,大阪工業大学(大阪工大)工学部 Ⅱ 部(夜間)建築学科に学士編入学した。先に大阪大学文学部哲学科(ドイツ哲学)を卒業していたが,改めて建築士になろうと考えて,門を叩いたのが大阪工大だった。 当時,関西で夜間大学に建築学科があったのは,私の記憶では大阪工大と立命館大学の2大学だった。

その年,建築学科に編入学した社会人は,私を含めて11人だった。一番年上は40歳前の弁護士Hさん,一番若い人は大学を出たばかりのDさんだった。男性9人,女性2人(Dさんと私)で,男性の半数近い人が,実家が工務店でその息子という人たちだった。歴史や経済などを勉強し社会に出たが,工務店を継ごうと考え直して入学してきていた。 11人は,所定の3年で卒業しようと結束した。

弁護士Hさんは,都市開発絡みで家が傾いたなどの事件が持ち込まれるので,建築を勉強しておこうと考えて入学したと言っていた。Hさんはその後,判事に転身された。文化財学科を卒業したばかりのDさんは,アルバイト先の奈良文化財研究所で大阪工大の青山先生に出会い入学してきた人だった。Dさんは卒業後,文化財保護行政でキャリアを積んでいる。

卒業に3年かかった。必修の設計製図を全部取るのに3年かかるからだった。その間に私は息子を生み,昼間は,保育所に預けながら高校や専門学校で社会科の非常勤講師をし,夕方には当時の夫や周りの方々に息子を見てもらいながら,時には息子をおぶって授業に出たりした。

大阪工大を卒業後,感性を磨くには遅すぎたことを悟ったので建築士の夢は諦め,京都工芸繊維大学大学院,京都大学,大阪市立大学大学院へと研究の場を移し,2000年,博士号をとった。その翌年,茨城大学教育学部に赴任し,家庭科教員を目指す人たちなどに住居学を教える教員になった。

大阪工業大学にはもう Ⅱ 部はない。当時,Ⅱ 部学生の多くは,Ⅰ 部を落ちた学生だと聞いていた。定員の空きがあったら Ⅰ 部に移ることを狙っていたらしい。私たち社会人学生は,学ぶ目的が明確で,学ぶ姿勢が真摯だと,先生方に評価されていた。教室で,ガヤガヤしている若い学生たちを前に,赤ん坊を横に置いて授業を受けている私を指して,あの学生を見習いなさいというようなことを先生に言われたことがある。赤ん坊を横の空きの製図板の上に置いて製図をしていたこともある。赤ん坊を授業に連れてくるなど,今から考えたらなんとものどかだが,大阪工大の先生方は,こんな学生を寛大に受け入れてくださった。

大阪工大は,私に新たなキャリア形成のチャンスと建築知識の基礎を作る手助けをしてくれた大学である。授業料は Ⅰ 部の半額程度だった。その上,返済不要の奨学金も受けることができた。

それから10年余り,夜間大学の需要が大きく減少し,大阪工大のⅡ 部は廃止された。大学の負担も大きかったのだろう。事務部は学生対応のために Ⅱ 部の授業が終わるまで開けていないといけないし,教員も I,Ⅱ 部兼任である。経営的に難しくなったのかもしれない。

は,夜間大学の学生数と夜間比率の推移である *。21世紀に入って,夜間大学の学生数も大学も急激した。夜間大学の学生数は,1952年と見比べても1/3程度にまで縮減されている。


図 夜間学部学生数と夜間比率の推移


関東と関西の2つの大都市圏の夜間大学を調べてみた。関東7都県では21大学47学部,関西6府県では7大学7学部(学科)である。関東の夜間大学自体たいへん少ないが,関西は極端に少ない。建築関係は前橋工科大学総合デザイン工学科のみ,関西はゼロである。

30年前, Ⅱ 部建築学科に編入学した私の仲間の社会人学生は,親の工務店を継ごうと考え直した人,今は都市で仕事をしているがいずれ親がいる郷里に帰って建築で自営しようと人生設計を立てた人,文化財保護の仕事を目指す人,都市開発に絡む法律問題に取り組もうとする人たちだった。今も,働きながら専門性を身につけたいという社会人や,経済的理由で働かないといけないが大学で学びたいという若い人は多いはずだ。しかし,彼らを受け入れる大学がほとんどなくなっている。

私は,自身の経験から,とりわけ,家庭で子育てを担い,子育てを終えた女性たちのキャリア支援の不存在を思う。私には,目指した夜間大学建築学科の門があった。周りの人たちが私を支えてくれた。苦労したが運もついて,その後,私はキャリアをつくれた。現在の女性たちは,30年前の私たちに比べて「女性活躍」のための支援制度が充実しているのだろうか。私は,むしろ脆弱になっているように思う。


東芳会の会員は圧倒的に男性だから,こんな話はウケそうにないが,大阪工大への感謝を伝えたくて,こんな話をした。与えられた時間はごく短かったので,話したのは,用意した話の冒頭の部分だけだった。残りは,ドイツの話をして欲しいという講演依頼だったので,人口減少と町の衰退にどう対処するのか,持続可能な町の可能性についてドイツの村の話をした。


 * 大島 真夫「大学夜間学部という選択肢 ―学生生活とキャリア形成の機会」『日本労働研究雑誌』694, 2018年5月


2コメント

  • 1000 / 1000

  • 乾康代

    2020.03.27 03:22

    @すずき産地夜学で学んだということでは大先輩,市田忠義さんのお話。 30年前の自分を思い出しました。夜学の魅力を思い,社会的な意義を考えました。 ところで,金曜行動中止になってはや1ヶ月。早く金曜行動始まってほしいです。金曜行動は,私にとって1週間の締めだったなあ,と気付きました。
  • すずき産地

    2020.03.21 14:16

    コロナのせいで、ごぶさたしております。 余談というか、 夜学つながりで、こんな記事を見つけました。 https://www.facebook.com/tadayoshi.ichida/posts/2594965477447886