戦争と原発と植民地主義

ロシアがウクライナ侵略戦争を始めた。多数の市民と兵士が犠牲になり,国境を超えて避難した市民は350万人を超えた。

本稿は,ロシアによるこの戦争がどんな意味をもつのかを確認し,日本各地の原発が再稼働されようとしている状況にあって,原発の都市計画研究をしてきた立場から考えを述べたい。

木畑洋一氏(国際関係史)は,ロシアによる侵略戦争を人類史の完全な逆行だと指摘している。第二次世界大戦後,他国に支配されていた地域が相次いで独立し,脱植民地化がすすんだ。1990年前後のソ連圏東欧の独立は,その最後の段階という意味をもっていた。今回のロシアによる戦争は,独立国ウクライナを再び自国の支配下に置こうとする帝国主義的行為であり,脱植民地化を逆行させる行為である。時代錯誤の愚行であると,木畑氏は指摘している。

 しかし,この戦争については,時代の流れの逆行という性格に加え,原発攻撃を手段にしていることに注目しなければいけない。ロシア軍は,ウクライナ攻撃をはじめるや,チェルノブイリ原発を制圧し,つづいて3基が稼働中だったザポロジエ原発,小型研究用原子炉がある物理技術研究所を砲撃した。ウクライナでは,発電電力量の50%以上を原発で供給しているため,原発を止めたくても止めることができない。攻撃に耐えられず,止めることもできない原発が標的にされたのである。

これに関して,河合弘之弁護士は,原発は「自国のみに向けられた核兵器」と述べている。これは原発の本質を突いた言葉である。原発は決して「原子力の平和利用」ではないのである。河合氏のこの言葉をロシアの蛮行に当てはめれば,ウクライナの原発はいま,ウクライナに向けた「核兵器」として,侵略者ロシアによってその使用が威嚇されている。

 原発は「核兵器」である。しかも,相手国の原発依存度が高いほど「核兵器」としての使用や威嚇の価値は高まる。しかし,原発「核兵器」を使用すれば巨大な破滅を免れない。これが原発の本質である。

振り返って日本の原発をめぐる事情をみてみたい。電源構成における原発比率を現在数%程度を2030年には20〜22%に高めるという国の計画にもとづいて,長らく停止していた原発が次々と再稼働されようとしている。しかし,これがいかに危険な選択であるか,私たちは十分に理解した。

ところが,残念なことだが,原発立地地域の自治体や住民はこの理解に追いつけない。なぜか。原発都市計画研究の成果の一部を紹介しながら,その背景に迫りたい。

茨城県東海村は,敗戦から11年目の1956年,日本原子力研究所の設置が決まり,1959年には日本初の商業原発・東海原発の設置が許可された村である。小さな村だが,大きな原発都市である。なにしろここには10を越す核施設が村内各所に点在している。

このような原発都市建設が可能になったのは,戦前の官僚や旧財閥系企業が集中して村に投資し植民地主義開発をすすめたからである。甘いユートピア建設思想で権力的開発をすすめる一方,住民には新住民(エリート)と地元住民(土着)を分断する策を実施した。この手法の一部は,つづく福島県大熊町と双葉町の開発(福島第一原発)にも継承された。原発の運転が開始されると,交付金などによる経済支配とコミュニティ対策で,植民地支配はカムフラージュされ維持された。

東海村の異常さは格別である。村の住宅地は現在,11の核施設でサンドイッチ状態にされているが,村民の圧倒的多数はそれを当たり前のことと思っている。サンドイッチ状態は,村の都市計画が日本原子力産業会議による開発計画に従属させられた結果であり,村民の鷹揚な核受容は巧妙な植民地支配の成果である。

かつて,いくつもの帝国が世界を分割した帝国主義になぞらえれば,電力会社9社らが日本列島を分割し,競争しつつ原発植民地を維持している。私にはそんな日本列島の原発版図が見える。ロシアの侵略戦争に非難の声をあげつつ,日本の原発植民地支配からの自立をどう描くか,いまこそ議論を大きく広げていきたい。

東海村の原子力開発史は,『東海村史』にも記載がない空白の歴史だったが,その一端を埋める論文を日本建築学会に発表した。ぜひ読んでいただきたい。

 https://www.jstage.jst.go.jp/article/aija/86/789/86_2485/_article/-char/ja



本稿は,『建築とまちづくり』4月号の「主張」に書いたものです。『建築とまちづくり』をお読みください。

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