母と宗教と私とフェミニズム
宗教2世の人たちが,家族と自分の生活を振り返り,統一教会の社会問題を語る姿を日々,見,読むようになって,色々と思うことが増えた。
私は宗教2世ではないが,夫を30代始めに亡くした母は,ある時から新興宗教を信仰するようになった。私はよく母から浄霊というのを受けた。私は信じなかったし,こんなのウソだと思っていたが,当時のあからさまな女性差別が母を苦しめていたことは,中学生だった私にもよく見えていた。母は,そこから逃れようとしていたことも知っている。だから,信仰は孤独な母の生きる支えになったのだと理解しようとしていた。理解し母を支えることが長女の私の役目だとさえ思っていた。
亡くなって50年になる。その母の思い出をたどり書くことで,母の人生を理解したいと思っていた。でも,記憶は遠くなり,母の兄弟も皆鬼籍に入ってしまったので,書けることも分かることもほとんどないと思っていた。
今日,『しんぶん赤旗日曜版』(2022年9月18日)を開いたら,浜矩子さんのインタビュー記事があった。「この人に聞きたい / 母の背を見て”反権力” / 第1回 聖書の言葉「荒れ野で叫ぶ声」であれ」である。
記事は,浜さんが,お母さんから強い影響を受けたことを書いている。お母さんは反権力を生きてきた方だという。そのお母さんと,都立戸山高校1年のクラス担任で共産党員の田代三良(さぶろう)先生の二人の影響を受けて,浜さんは,自らの反権力を磨いていったという。
一方で,浜さんは,クリスチャンのお母さんの影響で自身も洗礼を受けたカトリック信者である。エコノミストの浜さんは,神と人間が対峙する真剣勝負のドラマであり,強い愛の絆で結ばれた感動の大ロマンだという聖書から引用した力強いメッセージを私たちに送っている。その一つが「荒れ野で叫ぶ声」である。
その意味は,町を取り囲む塀の内側でぼんやりしている,権力者にだまされている人たちに,「そこは危ない」と外から発する警告である。エコノミストだけでなく,社会科学をはじめ科学・研究に携わるすべての人たちが「荒れ野で叫ぶ声」でなければいけないと,浜さんは言う。
この記事を読んで,ようやく母と宗教と私とフェミニズムというテーマで書いてみようという気になった。
母は,父を失って数年してから,どういう縁だったのか,ある信者から勧められて新興宗教に入信した。まだ,新興宗教との縁をもっていなかったころ,母は,再婚を考えた男性がいたが,私が反対して諦めた。私は,だいぶ後になってから母の再婚を反対したことを心から後悔したが,思春期の私には仕方のないことだった。母はその後,入信した。
母が入信した新興宗教には,浄霊という呪術で体を浄化するという教えと実践があった。病気を治すというような本質的な効果はなくても,宗教的な穏やかな心もちをもたらしてくれるものなら,それはそれで意味はあっただろう。しかし,私にはそのようなものをもたらしてくれるとも思えなかった。
それまで信仰をもたなかった母が,なぜ新興宗教に対する信仰を持つようになったのか,ずっと考えていたが,わからなかった。ただ,圧倒的な社会的弱者に擦り寄る新興宗教,という強烈な印象だけが残った。
若い頃の母はとても勉強ができた人で,師範学校に入りたかった。でも女に教育はいらないと言われて諦めた。その母が,娘の私に,女に大学教育は不要だと言った時はとても驚いた。封建的な親の支配のもと自分の生き方を選べなかった母だが,彼女の父親が語ったと同じセリフを,今度は自分の娘,すなわち私に投げかけたのである。女性差別とは,こうして,自覚せぬまま女性自身によって引き継がれていくのだと悟った。
私は,その後,大学に入った。入ってすぐに婦人解放問題研究会に入った。そこから初めて社会の中にあるいろいろな差別問題を知り,学生運動もした。
母は,戦前,戦中の女性が生きにくい社会を生きてきた。残念だが,寡黙な母が私に教えてくれた言葉はほとんどない。私が子どもすぎて,語る相手にならなかったからである。母を失ってから,私はずっと,娘時代そして結婚して妻となった母の生活と人生を想像し,私の目を通した,子をもち「未亡人」となって子どもを育ててきた母を思い起こしていた。伝えられた言葉は何もないけれど,母の人生が私に語る言葉を少しずつ紡いでいきたいと思っている。気が向いたらだけれど。
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