「希望の牧場」で牛とともに生きるということ ー吉沢正巳さんの思想,生き方ー


福島県浪江町の牛飼い・吉沢正巳さんの牧場は,「希望の牧場」という。

福島第一原発事故で,牧場は避難指示区域に入り,国から牛の殺処分命令を受けたが,吉沢さんは,牛に給餌しつづけ彼らの命を守っている。一方で,苦渋の思いで殺処分した同業の農家からは批判された。牛の命を守る行為に対して,国からは制度を盾にした攻撃を受け,そこに仲間の農家からの批判の圧力がかぶさる。被ばくしながら殺処分命令に抗議して牛とともに生きるという覚悟は見事だと賞賛を受けても良いと思うが,周りはそれを許さない。


牛を育てて食肉にするというのは,人間が彼らに与えた運命だ。しかし,図らずも,原発事故の被災地の牛たちは,その運命から解かれた。だから,この後も生きることを許されていい。

ところが,牛には何の咎もないのに殺せと命令された。その理由は被ばくである。しかし,被ばくは,口蹄疫のような伝染病ではないから,彼らを生かしつづけても社会に影響を及ぼすことはない。ただ,被ばくして食肉にできなくなったという理由で,国費で殺処分すれば農家の負担をなくすことができるという理屈だ。

牛飼いの仕事は,食肉にするために牛を育てることである。牛の生き死にに深くかかわる仕事だ。牛飼いは,生かし殺すという命の尊厳さに向き合っている。だから,吉沢さんは,飼育していた牛の殺処分命令を受けても,彼らの命を守ると決めた。しかし,なぜ生かしつづけるのか,その問いに答えを与えることは簡単ではない。

吉沢さんの言葉だ。

なんのために飼うのかと、俺自身考え続けた。でも、俺は牛飼いとして殺すわけにはいかないんだ **
牛飼いとして、牛を見捨てたらもう二度と牛の世界には戻れない*

人間の勝手な見立てに過ぎないが,食肉になるための屠さつに対して,被ばくを理由にした殺処分は,あまりに意味のない死である。だから,被ばくを理由にした殺処分は承諾できないと抗議し,牛の命を守る。それが人間なりの牛への命への敬意というものであり,牛飼いとしての倫理というわけである。

吉沢さんは,牧場に留まり,牛に餌を与えつづけてきた。「希望の牧場」にいる約300頭の1ヶ月の餌代は60万円という。牛の生物学的寿命は約20年というから,彼らの命を全うさせるための費用負担は巨額だ。収入をなくした上に,牛の命を長らえさせるための費用を負担しつづける。

牛の寿命を考えれば,決して終わりの見えないことではないが,人生の長さに照らしあわせて見れば,あまりにも長い時間だ。これはもう,人生をかけた壮大な事業と言えるかもしれない。

吉沢さんは語る。

この「希望の牧場」で生き抜く牛たちは、原発事故がいかなるものであったかを物語るシンボルであり、メモリアルであり、忘却を防ぐための砦となる存在なんです。
矢面に立てば、いろいろな圧力や攻撃をもちろん受ける。けれども、それを糧としながら生きることで、存在自体が希望だと言われるようになるんじゃないかと思います。
この「希望の牧場」は、原発事故によって人間が命をどう扱ったかということを、問いかけています。

殺処分命令を受けたこの牛たちとともに生きる人生、私にとってそれこそが希望なんです。*

「希望の牧場」とは,原発事故で人間が命をいかに扱ったかを記録する牧場,命が大切にされる牧場,未来に向かって命をつなぐ牧場,きっとそういう意味だ。


『希望の牧場』という絵本がある(岩崎書店,2014年)。吉沢さんと牛を題材にした絵本である。人間に飼育されて食肉になる動物の命とは何か,原発事故という究極の事態に直面した時,彼らの命はどう扱われたのか,私たちはどう考えるべきなのかについて考えさせられる。



福島第一原発事故から11年たった。いま,国と原発事業者は,全国の古い原発を再び動かそうとしているが,原発の周辺地域には多数の動物が飼育されている。

東海第二原発の30km圏内にも,農家が飼育している牛,豚,鶏がいる。茨城県のブランド牛・常陸牛の牧場は,30km圏内の10市村に66ある(水戸市12,笠間市7,城里町5,茨城町12,日立市2,常陸太田市4,常陸大宮市12,那珂市1,高萩市7,大子町4)。常陸牛以外の肉牛や乳牛を加えれば,牧場数,飼育数は相当な数になるだろう。牛のほか,茨城県内で飼育されている豚,鶏を合わせれば,約79万頭(羽)にのぼる(2020年)。県人口290万人の4割弱にも相当する数である。

人間の避難計画は,原発30km圏でつくられることになったが,飼育動物の避難計画はない。もし原発の重大事故が起こっても,福島のように飼育動物の命は見捨てられ,被ばくすれば殺処分を押し付けられる。吉沢さんのように,牛の命を守るという選択はそう簡単には選べるものではない。

原発事故とは,農家に選択できない究極の選択を迫る事態なのである。たとえ殺処分命令を受けなくとも,茨城産の食肉と鶏卵は,長期にわたって市場での取引が困難になる。その時,牛や豚,鶏たちはどんな運命を追わされるだろうか。

考えてみれば,人間社会の中で生きる動物には,なにも農家の飼育動物だけではない。東海第二原発30km圏には動物園も水族館もある。これら施設内動物の避難計画は無理である。

家庭の中で飼われているペットはどうか。原発避難訓練でペットを連れて参加しようとしたら,置いていけと指示されたというツイートを読んだ。邪魔者あつかいである。ペットでさえ,人間の避難計画では明確な位置づけが与えられていない。牛たちと同様,ペットも命が守られるという保障はない。人間社会の中で生きる動物たちの命を守る制度,仕組みはおろか,その思想もないのである。

「人間と動物の共生」という選挙候補者のスローガンを見た。平常時には実現可能かもしれない「共生」でも,非常時には到底実現しえない。非常時に動物の命を守れる制度,仕組みがあってこそ,人間との共生と言えるだろう。

再び,吉沢さんの言葉を読んでみよう。そこには,非常時における「人間と動物の共生」の一つの生き方が示されている。牛の生を人間の生と重ね合わせて生きる思想。そこに希望を見出せるという生き方。それは,もう究極の生き方だが。

私は、この被ばく牛とともに生きて、被ばく牛とともに死んでいく。だけど、今のところは、かえって元気がいいんですよ。ひどい目に遭ったけれども、それを自分の行動へのバネとしている。殺処分命令を受けたこの牛たちとともに生きる人生、私にとってそれこそが希望なんです。*


私は,吉沢さんの動画や映画,絵本『希望の牧場』を通して,人となりをちょっとだけ知っているだけだ。水戸で一度会ったことがあるが,会話を交わせなかった。吉沢さんをよく知らないし,牛飼いの仕事については何も知らない。しかし,しばらく前から「希望の牧場」について書いてみたいと思いつづけ,とうとう書いてみた。吉沢さんから色々言い分が出てくるだろう。いつか吉沢さんと話をする機会があったらその時には,吉沢さんが牧場の牛とともに生きることについて,その苦労や喜びを具体的に聞き出し,書き直したい。



* 三浦英之:福島を語る(5)被ばく牛とともに生きる,2022年2月25日

** 鳥塚俊洋:【再掲記事】希望の牧場・ふくしま|東日本大震災、震災後の記事を振り返る,2022年4月8日

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