中村彝のアトリエ
水戸市出身の画家・中村彝(1887-1924)のアトリエが,茨城県近代美術館の敷地内に建っている(写真1)。1988年,新築復元された建物である。建物の名前は「中村彝(つね)アトリエ」だが,画家の仕事場アトリエがある住宅である。中村彝は,1916年,東京府豊多摩郡落合村下落合(現・新宿区下落合)に建てられたこのアトリエに入居し,亡くなるまでの約8年,ここで絵を描いた。
水戸のアトリエは,千波湖を眺望する高台の上にある。街へ出る時,私はいつも,坂の途中にあるこの小住宅を木立の間から眺める。赤い屋根,焦茶の下見板張り壁,白い隅柱と土台と窓サッシ,というこの住宅は,木立の緑ととてもよく合っていて,佇まいがとても美しい。
写真1 中村彝アトリエ(正面)
時々,敷地内に立ち寄って,建物周辺をぐるりと回ってみる。むさし君が子どもだった時は,こっそりここで彼のリードを離した。すると,彼はアトリエの広い庭を駆け回り,やがて私の視界から消えていった。ちゃんと私のところに戻ってくるかヒヤヒヤした。そんなことも今はとても懐かしい。
久しぶりにアトリエを訪問した。下落合にも新宿区立「中村彝(つね)アトリエ記念館」としてアトリエが保存展示されているが,水戸のアトリエは,立地環境が抜群だし,隣の美術館に行けば彝の作品が鑑賞できる。また,彝が実際に使っていた重厚なイーゼルはじめ家具類の実物も,こちらのアトリエで見ることができる。
昨日,東京新聞の,杉並「トトロの家」の元家主が亡くなったという記事(2022年10月30日)を見た。「トトロの家」とは旧近藤邸,故・近藤英さんの家である。
旧近藤邸の往時の写真を見て驚いた。中村のアトリエと外観がそっくりなのである。こちらも洋瓦の赤,下見板張りの焦茶,隅柱と土台,窓サッシの白の3色で彩られている。旧近藤邸は,昭和初期,英さんの叔父で都市計画家・近藤謙三郎が設計した。彝のアトリエは,1916年竣工だから,アトリエの方が旧近藤邸より10年程早い。
旧近藤邸の間取りや内装がわからないので,これ以上の類似点を探すことはできない。類似は外観の色だけか。旧近藤邸は,「中村彝アトリエ」から配色やデザインを学んだのだろうか,あるいは「中村彝アトリエ」と旧近藤邸には同じデザインソースがあるのだろうか,ひょっとして同じ設計者なのか。
さて,中村彝のアトリエは,間取り図(写真2)にあるように,16畳ほどのアトリエが北側に配置されていて,この住宅の床面積の半分以上を占めている。下落合の「中村彝アトリエ記念館」パンフレットによれば,アトリエ東壁面についている小さな玄関に,建物への入り口の印がついている。建物正面に立派な観音開きの扉があって,こちらの方がずっと玄関らしく見えるが,客人は,正しくはアトリエについた玄関から迎え入れることになっているのだろう。
アトリエの南には6畳ほどの彝の居間があり,畳床のベッドが据えられている。居室には,先に述べた,庭につながる大きな観音開きの扉がある。彝は,扉を開いて,ベッドから庭をながめたりしたのだろう。この2室が彝の専用空間である。
写真2 間取り図
居室の西隣に,彝を世話した岡崎きいの居室3畳と台所(半分は板床,半分は土間)の2室がある。台所土間の北側には勝手口がついていて外につながっている。この2室がきいの専用空間である。台所に狭い女中室を隣接させるという,当時の都市住宅によく見られた間取り構成がこの建物にも反映されているが,案内してくださった方によれば,きいは旧水戸藩士の家の出で,女中ではなかった。
この平面構成に対応して,3つの屋根が伏せられている。この屋根伏せの特徴が,この住宅に外観の配色とともに強い印象と個性を与えている。もっとも広いアトリエの上に伏せられた急勾配の切妻大屋根,その手前の彝の居室の上には勾配の緩い寄棟屋根が,そして,西側のきいの専用空間の上にはさらに勾配の緩い銅板葺きの切妻屋根が伏せられている *。
この建物は,当時の都市住宅で重要だった接客空間がなく,生活の重要部分である就寝と食事空間は4畳ほどの居間一間で対応することになっている。要するに,この小住宅は,彝の制作のための住宅であり,平面と屋根伏せによってそれは明確に表現されている。
では,この住宅の中心空間であるアトリエを見る。建物の外,北側から見た外観は,アトリエが大きく外に張り出しており,壁と屋根に大きな窓がついている(写真3)。
写真3 外から見たアトリエ(壁と屋根に大きくとった窓が特徴)
アトリエ内部は,部屋の中央部分は天井を張らず,天窓がついていて,高窓とともに,すりガラスを通して入ってきた柔らかな光が室を満たしている(写真4)。北向きの部屋で窓がとても広い。冬はずいぶん寒かったと思うが,それを押しても画作のために最大限にデザインされた。
写真4 アトリエ内観
アトリエ室内の配色は,コントラストの大きい建物外観とは趣がまったく異なる。薄紫の塗り壁,黄土色の腰板,灰緑の飾り縁で構成されており,とてもシックである **。壁には小さなアルコープがある(写真5)。
写真5 アルコープ
1時間ほど,案内の方に色々な話を聞いた。聞けば,まもなく中村彝の没後100年がやってくる。彝を忍ぶ展覧会が開かれるかもしれない。
* 水戸のアトリエでは,アトリエの東隣に納戸がついていて,ここに4つ目の低い切妻屋根が伏せられている( 写真1,3)。案内の方の話では,創建時のアトリエにはなかったものという。下落合のアトリエ記念館にも納戸はなく,大きな窓が付いている。
** 下落合のアトリエと水戸のアトリエは,詳細に見ればいろいろと異なる。アトリエ内の配色もその一つである。下落合のアトリエの腰板は飾り縁と同じ灰緑だが,水戸は黄土色である。また,彝ときいの2居室の窓もそうである。縦長という点では同じだが,形も大きさも異なる。窓は,建物の表情をつくる重要な要素である。下落合と水戸の正面を見比べれば,雰囲気がずいぶん違うのはこの窓が大きいことに気づくだろう。
アルコープの大きさも違うようだ。水戸のアトリエは花を生けるには背が足らない。下落合のアトリエは写真で見る限り,水戸のそれより二回りほど大きい。また,位置も違うようだ。
なぜ,いろいろと違うのか。下落合のアトリエは,彝亡き後,画家鈴木誠の住まいとなり,増改築された。水戸のアトリエは,鈴木氏が増築をした時の図面が残されており,それを参考にしながら復元したという(1988年)。下落合のアトリエは,新宿区が保存,公開する(2013年)に当たって,今度は水戸のアトリエも参考にしながら,当時の建材を用いつつ創建時の住宅を復元したという。
miharu-andoさんのブログ「三春のときどき通信」に下落合のアトリエの復元前の写真がある。その外観からだけでも,同じ家とは思えないほど手が入れられていたことがわかる。玄関は,建物東側面ではなく,正面にしていたようだ。
中村彝のアトリエ その2 小住宅の空間構成,2022年11月9日
中村彝のアトリエ その3 住宅を美しく見せる展示,2022年11月22日
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