原発は「トイレのないマンション」か その2
「原発は『トイレのないマンション』か」(5月1日)を書いた *。原発をトイレのないマンションに例えるのは間違っているという論考である。
筆者は以前から,この例えはどこかおかしいと思っていたが,どこがどうおかしいのかその理由はわからなかった。しかし,これを書いてようやく自分でも理解できるようになった。
今は,原発反対を論じ運動している人たちが,深く考えずになお「原発のトイレ問題」などと平気で書いたり言ったりしているのは,本当に困ったものだと思っている。原発推進論者も,そしてマスコミまでもが,反対論者が使っているこの例えを無自覚に引用している。しかし,トイレとは何か,今一度,振り返ってほしい。
今村彰宏さんが「住宅改善で在宅支援 障害者が住み続けるためのトイレの改修」を『建築とまちづくり』に書いている **。これを読めば,例えの間違いがすぐにわかる。住宅のトイレとは人間にとってどれだけ大切かということが,さらに,quality of lifeの重要な要素だということが深く理解できる。短いので全文を引用する。
「富山市内の戸建て住宅でのトイレ改修事例の紹介です。
ご当人は71歳男性で,奥さんと二人暮らし。奥さんは週5日のパート勤務です。2006年にパーキンソン病を発病,すくみ足,無動があり,長距離歩行は困難で,車イス使用が多いという状況で,自宅のトイレが妻の介護なしでは,使用できなくなってしまいました。
本人と奥さんの希望は,パーキンソン病がさらに進行しても,できる限り住み続けたい。そのためには排泄の自立は,絶対に必要であると話された。他の生活行為は,多少介護されてもよいが,排泄だけは自分でしたいと本人から切実に話されました。
友人の理学療法士さんにも協力してもらい,多くの実感の結果,改造案ができました。大きなポイントは,車イスから便座への移乗です。車イスと便座を並行になるように考え,移乗をしやすくしたことです。
竣工時の最大の実験が大成功となり,大喜びされ,まだまだ長生きできると話されました。」(引用おしまい)
この報告は,2つの重要なことを教えてくれる。一つは,今更ながらなのだが,住宅は1日のうちもっとも長く過ごす空間であり,トイレへのアクセスがよく,ストレスなく排泄できることがどれだけ重要なことかを教えてくれる。二つ目は,排泄の自立の実現がどれだけ生きることを前向きにさせる設備かということを教えてくれる。建築士は,人々の生活の質を高めるために,施主の声を聞きながら仕事をしている。
他方,原発と高レベル放射性廃棄物最終処分場はどうだろうか。福島第一原発事故,危険なゴミが将来にもたらす影響の不明性,その管理と費用負担,どの方面から考えても,人々の生活の質を高める施設ではない。原発は終わりにしないといけない施設である。
*「原発は『トイレのないマンション』か」,須和間の夕日,2019年5月1日、 https://m.amebaownd.com/#/sites/683869/posts/editor/v2/6162399
** 今村彰宏「住宅改善で在宅支援 障害者が住み続けるためのトイレの改修」『建築とまちづくり』No.486,新建築家技術者集団,2019 June
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