防災の日を前に考える奈良県教育委員会の「県立高等学校適正化計画」
奈良県教育委員会は,長期にわたって奈良高校の耐震化を遅らせてきた。新耐震基準施行(1981年)から数えて40年近く,耐震診断(2001〜2007年)から数えても20年近くになる。
2018年6月,平城高校を強制的に閉校し,そこへ奈良高校を移転させるという計画を含む県立高等学校適正化実施計画(適正化計画)を発表した。2022年3月の閉校,移転に向けて,平城高校の生徒募集を今年度から停止するという。
2019年1月,これに対して,奈良高校生の保護者らが一部校舎の使用停止を求めた仮処分申請を奈良地裁に申し立てたが,4月22日,地裁はこれを却下した。理由は,奈良市周辺における今後30年間の大規模地震発生の可能性は0.1〜3%程度であり,「(校舎)保全の必要性があるとはいえない」というものだ。
奈良高校は1924年創立,県立高校トップの進学校。平城高校は,奈良高校に比べると歴史は半世紀ほども浅いが,独自の歴史と文化を積み上げてきた。教育とは,歴史と文化を学びそれ尊ぶ精神を培う営為だと思うが,その教育行政をつかさどる県教育委員会が,平城高校の歴史と文化を踏み潰す計画を実施しようとしているのである。
すでに明らかになっていることなのだが,奈良高校の耐震化の解決法は,耐震化とは何の関係もない適正化計画である。なぜ適正化計画が解決法なのか。本論はここから考えていこうと思う。
県教育委員会からみた,適正化計画の利用価値は2点ある。
①3年かかるが一気に解決できる(複数棟の耐震改修,建て替えの設計,工事だけも相当期間が必要になることを考えれば,3年は長くない)。
②耐震改修工事をしなくていいから,特別にお得に解決できる(移転費用だけで済む)。
県教育委員会は,実際に,奈良高校の耐震化問題を適正化計画で解決した,とあけすけに回答している。奈良高校保護者有志一同による「奈良高校に係る公開質問状」(2019年5月17日)に対する回答の中にある。以下に引用する(「Q1-③について」)。
「奈良高校は建て替えの必要な建物があり,現地建て替え等一体的に検討する必要がありました」(文1)
「一方,生徒減少への対応も県立高校において重要な課題であり,県立高校の規模と配置の適正化を検討する必要がありました。建て替えに当たっては,適正化の内容と齟齬のないように行う必要があり,耐震補強工事のみを先行して実施することはできませんでした」(文2)
「2018年度に策定された県立高校学校適正化実施計画において,平城高校は2021年度末をもって閉校することとされ,耐震化を早期に完了するため奈良高校は,2022年4月に平城高校の跡地に移転することにしました」(文3)(文1,文2,文3は連続している)
(文1)(文2)(文3)の主旨を確認し,これらを通して何を言いたいかを読む。
(文1)は,奈良高校は,耐震改修工事と建て替え工事が混在するので,現地で工事をするのか新たに学校用地を求めるのか,場所の検討が必要=奈良高校の耐震化が遅れた理由1。(文2)は,耐震補強・建て替え工事は,適正化計画策定に先立って実施できない=奈良高校の耐震化が遅れた理由2。(文3)は,適正化計画を策定し平城高校移転を決定した=奈良高校の平城高校移転の根拠説明である。
要するに,奈良高校の耐震化問題の解決が遅れた理由は,二つある。一つは耐震改修と建て替えをどこでするかの問題が発生したことであり(理由1),二つ目に,工事を「適正化計画」に先立ってできないという事情が発生した(理由2)。(理由1)から(理由2)へ理由を変遷することにしたのはいつか。そもそも(理由1)で解決できず長引いたのは何故か。などの疑問が生じる。
何れにせよ,(理由1)から(理由2)へと変遷していって,最後に,適正化計画で決定した(文3),と言う筋書きである。しかし,(文3)では,移転の根拠は適正化計画だといっているだけで,なぜ平城高校か,なぜ移転か,理由は説明されていない。
「平城高校跡地への移転により耐震化を図るほうが,耐震化が早期に完了して合理的である」(「Q1-④について」)とも書いている。恐ろしく単純で,ホントにあけすけすぎる。
県教育委員会の回答には,<強制閉校+移転>計画が引き起こす問題について深く検討したことも,何よりも閉校になる平城高校への配慮も書かれていない。
奈良地裁の却下理由も驚きだ。出された判断は,今後30年間,大規模地震が来ないから,奈良高校の校舎は保全の必要はない,という。かなり独断的だ。
元建築学会会長,岡田恒男先生は,耐震改修の重要性と促進について,次のようなことを言っておられる。
「基本的に大きな地震が起きると,その被害が原動力となって防災意識の向上・普及が始まります。ただ,最初の段階では一般層までの普及には至らず,専門家集団内で学術研究が進展します。そして,研究成果から技術開発が進んできた頃に,また大きな地震が起こります。その二度目の大地震が最終的な引き金になり,一般層の防災意識も高まり,法律や基準が整備されていきます。この100年を振り返ってみると,そのサイクルの繰り返しだったように思います」*。
「この100年を振り返る」とは,もちろん関東大震災を起点にした防災の1世紀のことである。あと4年で関東大震災から100年だが,岡田先生は,人々の防災意識と建物の耐震性の向上は,実は,なかなか進んでこなかったと言う。だから,既存不適格が増えることになっても,より強力に耐震化を進めないといけないとも主張されている。
関東大震災が起こった9月1日が,間もなくやってくる。この日は防災の日である。学校こそ,防災意識と建物の耐震性が大切であることを教え,普及させていく場である。裁判所も同じだと思う。今回の地裁裁判官は,より一層の国民の防災意識と建物耐震性の向上が重要だ,という認識や理解がまったく不足していたようだ。
子どもたちが一日の多くを過ごす学校施設はどんなことがあっても安全でなければならない。耐震基準はそのためにある。大規模地震発生の確率は耐震改修の目安ではない。地裁裁判官は,中立の立場に立つべきで,県教育委員会の,①一気に,②お得に耐震化したいと言う計画の側にたって却下などすべきではなかった。
* 岡田恒男「耐震設計の萌芽から性能設計へ」『建築雑誌』日本建築学会,2019年6月号
0コメント