原発と放射線を考える家庭科授業
私は,茨城大学教育学部で住居学を教えてきた。12月,その教育学部同窓会家政科支部総会があり,私の退職記念講演を合わせて開いてもらった。私は,「住まいと都市の言葉 私の住居学の教育と研究の視座」と題して,3つの言葉を取り上げて話をした。
取り上げた言葉は,
1. 「生活環境の第一条件は安全であること」(WHO 住居の公衆衛生問題委員会報告,1961年)
2. 「わたしは,貧困に対して地球規模で反撃するには,適切な住宅供給をすることが基本的な要件だと考えている」(R. プレマダーサ・スリランカ首相,1980年)
3. 「原発と放射線をとことん考える いのちとくらしを守る」(家庭科放射線授業づくり研究会,2016年)である。
この三つの言葉には脈絡がないように見えるが,私の教育と研究の視座はまず「安全」にある。これがスタートである。住居学は,学校教員からは捉えどころがなくどう教えたらいいか難しいとよく言われるが,まずは地球規模で住まいを俯瞰してみつめ,続いて日本の住まい,暮らしの問題を考えてみよう。ということで,二つ目に,発展途上国スリランカ・プレマダーサ首相の言葉,三つ目に,今,日本の私たちが直面している「いのちとくらし」の問題,原発と放射線の問題を取り上げたのである。
三つ目の言葉は,家庭科放射線授業づくり研究会(以下,研究会)がつくった本のタイトルそのものである(図) *。その中でも「いのちとくらしを守る」は,私が3.11後,現在まで継続して行ってきた原発立地の都市計画研究の視座そのものである。以下では,この3つ目の言葉を取り上げ,この本が果たしたものを考える。
図 『原発と放射線をとことん考える!いのちとくらしを守る 15の授業レシピ』
この研究会が立ち上げられた経緯は次のようである。
教育においては,政治的争点でもある原発をとりあげることへの批判的な目や,放射能 /放射線の問題に触れることは,被災された人びとの苦しみ・悲しみを逆なですることになるのではないか,という否定的な見解が根強くあります。しかし,教育が原発と放射能 / 放射線の問題を避けていいのかといえば,そうではないことは確かです。本書は,これをテーマにして,「意見が異なることを前提に,意見の違い,立場による違いを知ることから,子どもそれぞれが自分の考えをもつ」ことを基本にすえた授業を,実践を踏まえて提案したものです。
研究会は,鶴田敦子先生を中心に2011年10月にたちあげられた。研究会に参加したのは,東京都,埼玉県,千葉県の小,中,高,大学の教員約20人である。研究会は,「家庭科とは何か」という本質的なテーマについての討議からはじめたという。討議で得られた答えは明示して書かれてはいないが,おそらく本のタイトル「いのちとくらしを守る」である。
授業報告は全部で9つあり,大きくは①食品と放射線,②エネルギーと原子力発電,③くらし・子どもへの放射線の影響に分類されている。
授業テーマは,①では,たとえば,「海外と比較して日本の放射能測定のあり方を考える」,②では,「これからの日本の『原発』を考えよう」,③では,「原発事故と住まい 避難した人の思い・避難しなかった人の思い」がある。
私は,③の「原発事故と住まい 避難した人の思い・避難しなかった人の思い」を取り上げて概略説明した。この授業は高校で行われた。
授業は,「ふくしまノート」を読み,その印象と理由を書かせることから始まる **。続いて,福島の高校生が描いた絵「人のいない家」を見て,その高校生の思いを想像し,家とは住まいとは何かを考えさせる。
避難状況,避難区域,放射線量などの基礎知識を説明した上で,避難者が抱える不安や悩みを理解しようとし,もし自分が避難区域外に住む親だったらどうするかを議論させる,という構成である。埼玉の高校生に問題を自分ごととして捉え,考えさせようとする工夫が随所にある。
そして,授業の締めに,生徒に,自分を子どもを持つ親とみたてさせ,自主避難を選択するかしないかを議論させる。自主避難とは,避難指示区域外に住む人々が,主に被曝から子どもを守るために選択する避難だが,支援はなく(あるいはごく薄く),生活基盤の喪失や家族離散,差別や偏見,急激な生活の変化などの困難に遭遇する。つまり,この議論は,これまで作り上げてきた生活を現地で守るか,避難がもたらすリスクを背負っても安全と安心を選ぶか,という究極の選択に関する議論なのである。
生徒らの感想は「最低限の生活ができるのなら,福島に残る」「住み続けたいと思うけど,子どものことを考えたりしたら自主避難するかもしれない」「できれば県外に避難したい。子どもが思いきり遊べるところ」など。
この授業をつくって実践した鈴木恵子先生は,「家庭科の授業で取り上げる重要性をあらためて強く感じた。今後は子ども被災者支援法やチェルノブイリ法を紹介しつつ,「避難の権利」にも言及するような授業を模索していきたい」と振り返っている。先生は,この授業テーマには豊かな展開の可能性があることを指摘している。
教育学部にいて『原発都市 歪められた都市開発の未来』を書いた私だが,大学で原発の授業をしたかと聞かれたことがある。教養の授業ですこししたことはあるが,教員になる学生向けに授業をしたことはなかった。
その理由は,この本を手にしてようやく,はっきりと理解できたのだが,自分の研究成果を教育で取り上げるべき課題へとつなげて考えることができなかったことである。自身のこの理解不足に加えて,勇気もまた足りなかった。
研究会の取り組みは,本当にすばらしいと思う。研究会は,自身の取り組みを次のように位置づけ,振り返っている。「福島第一原発事故はいのちとくらしを破壊する事故であり,教育はこの課題と無関係であってはならない,子どもたちの原発事故に対する理解を深め,異なる見解の情報やそれらを批判的に見る力を育てる家庭科授業を実践した」。
この講演後の懇親会で,同窓会家政科支部 前支部長・佐藤加代子先生が,私の講演に共感してくださり,教員OBを集めてこのような話をしてもらいたいというような言葉をもらった。私は,学校教育からは退いたが,まだ社会の中での教育の仕事がある。
* 家庭科放射線授業づくり研究会編『原発と放射線をとことん考える!いのちとくらしを守る 15の授業レシピ』,合同出版,2016
** 井上きみどり『ふくしまノート』,竹書房,2013
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