品田村長(刈羽村)と山田村長(東海村)の対談記事(『ENERGY for the FUTURE』)を読む 2   正しい議論の仕方

この対談は,正しく議論するとはどういうことなのかについての教訓を引き出してくれる。2点を指摘する。

第一に,自分たちの意見と異なる意見については,その意見に対する評価がなされなければならないのであって,異なる意見をもつ人格への批判であってはならない。

山田氏らは,次のように発言している。

山田氏:「自分たちの理屈を押し通したいという人たちがいて,一般の冷静な人はそういう人たちに巻き込まれたくない,関わりたくない」
司会者E:「若い人のほうが冷静に考えているなと感じます」
山田氏:「彼ら(若い人)のほうが感情論ではなくて,冷静に考えられるのではないか」

対談で2人は,原発の再稼働に反対する人々は強情,非論理的,感情的と,人格にかかわる否定的な見方をした。しかし,どこが強情,非論理的,感情的なのかは説明しない。異なる意見をもつ人に対して否定的な人格的批判をすることの目的は,ただ相手を貶めることにあるから,その批判についての説明は要らないからだ。

これに対して,佐藤英一氏による山田氏らの対談への批判は,正しい議論の仕方を示している *。氏は,「以下の通り次々と指摘された危険性を山田村長は無視している」と述べて,具体的に問題点をあげ批判している。

① 原発の直下で昨年9月の胆振東部地震規模の地震が起きた場合を考えない。
② 大型船が津波で防潮堤に衝突する危険を無視。ごく小型の漁船の衝突だけを想定。
③ 燃えやすい電気ケーブルを難燃性に取り替え不足で原発火災防止不十分。
④ 福島で役立たずの炉内水位計と同じ原理のものを数増やして使用。キズ物の炉内コアシュラウドの継続使用,マークⅡ型格納容器の水蒸気爆発の危険性無視。
⑤ 以下,列挙すると,原子炉立地審査指針の完全無視,10年余の運転技術ブランク,処分方法がない使用済み燃料なのに「解決するまで原子力を使ってはならないというのは極論」と問題を無視,安全対策実施を理由に想定外の事故発生を無視,原発事故の態様・進展を無視して5キロ圏外住民に,屋内退避を強いる無責任,複合災害を無視。高コスト構造がもたらす無茶なコストカットの恐れ無視など多岐にわたる。

これまで指摘されてきている東海第二原発の再稼働の問題点は,実は,こんなにも多い。

しかし,山田氏が,対談で取り上げて説明した問題点は,③の電気ケーブルの難燃性ケーブルへの取り替え問題だけだった。ケーブルはできる限り難燃性ケーブルに取り替えているとごく簡単に説明しただけである。氏のこの説明については,川澄敏雄氏が,さらに,次のように反論している *。

原電が,全長1400kmのケーブルのうち難燃性に交換するのは約15%にすぎないこと,そもそも山田村長自身が(取り替えず)防火シートで対応するのは手抜きだと批判していたと **。

要するに,山田氏は,これらいくつもの問題についてほぼ無視し,その一方で,原発の再稼働に反対する人々に対して人格的攻撃をしたのである。卑劣きわまりないが,それだけではない。このような議論の仕方は,議論の深化を促すことがないから,まったく不毛な空論でしかない。この点が重要である。

第二に,意見の異なる人々に対して,自身の優越的地位や立場を利用した議論を仕掛けてはならない。

山田氏: 「それでも『(原発は)自分にとっては必要ない』と言う人はいるのでしょうね。そうおっしゃる人は,全ての外部電源を遮断して自家発電だけで生活してもらわなくてはいけない。そして社会に出て電車に乗ろうとしたら,それは社会インフラの電気を使うことになるので,自宅から一歩も出てはいけない」
品田氏:「原発は要らないとか,電気は要らないと言うのであれば,急病になっても救急車を呼ぶなということです。その辺が,これだけ広く教育を受けた国民であるはずなのに,分かっていません。救急車は呼べば来る,病院に行けばすぐに対応してくれると言う前提で,原子力は要らないと言っているのです。そんなことはあり得ないことです」

山田氏の発言「自宅から一歩も出てはいけない」は,あまりにもインパクトが強く,東京新聞が記事の見出しに引用したくらいである ***。

氏のこの発言は,原発に反対する住民,市民には移動の自由はないという主張である。この発言はさらには,原発で起こした電気を供給する地域には住むなということを含意しているから,原発反対の市民が住めるところは,国内なら沖縄県と離島しかない。反対市民には居住選択の自由はないという主張でもある。

品田氏も,山田氏のこの発言に呼応して,原発が要らないなら,行政サービスは受けられないという暴論を吐いた。

対談した2人は自治体の首長である。2人は,原発の再稼働を推進したいという思いを共有する首長同士だった。意気投合した2人が,目の前におらず反論できない,原発反対の市民に対し,自分たちの権限をかざして,市民的自由剥奪を口にして攻撃した,というのがこの対談の図式である。

山田氏は,「対談相手は原子力に強い思いを抱いていて、ひっぱられた部分がある。今後は責任をもって発言することを改めて肝に銘じたい」となどと釈明した ****。しかし,村民3.8万人の東海村村長たる氏が,東海第二原発を含む原発の再稼働PRという企画に乗り,企画に沿った発言をしたという事実は消えることはない。

直面する課題や問題に対して意見を出し合うことで,新しい考えや課題解決につながる考えを導き出そうとするのが議論というものであろう。原発立地地域の首長は,再稼働反対の意見をもつ住民,市民への敬意を忘れず,謙虚に耳をかたむける努力なくして,この問題の解決はないことを,この対談記事の問題は示したと思う。


* NO Nukes No.23, さよなら原発いばらきネットワーク,2019年11月20日
** 「東海第二 原電のケーブル防火対策 村長『手抜きだ』」,東京新聞,2016年8月27日
*** 「原発否定なら『自宅から出るな』 東海第二の再稼働 村長が容認発言か」,東京新聞,2019年11月9日
****「『東海第二のこと言ったつもりない』村長が釈明」,朝日新聞,2019年11月22日


(原電茨城事務所前抗議行動,「星空抗議」21,2019年11月29日)


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