東海村山田村長の対談記事を読む4 刈羽村品田村長発言批判 

東海村山田村長は,東海第二原発再稼働の是非について住民の意見を集約し地元の総意をつくりあげる前であるにもかかわらず,対談記事で率先して再稼働推進を明言した。そのため,村民と市民から厳しく批判された。

もう一方の刈羽村品田村長の発言は,新潟県では問題になっていないようだ。なぜなのだろう。品田氏に問題発言がなかったわけではない。むしろ紙面に満ち溢れている。

山田村長は,「対談相手(品田村長)は原子力に強い思いを抱いていて、ひっぱられた」と弁明したが,一方が話題を切り出すと,もう一方が乗り出してさらにその上をいく論調で話題を展開させる。対談は,国民・市民を無知,国の原子力行政を無気力と蔑む話題で盛り上げ,その一方で,地元原発の事業者である東電と原電にはよくやっていると評価を与えるというものだった。

これらをまとめた文章がまたひどい。編集者は,品を欠いた対話も前後の話の辻褄が合っていない対話も修正してうまくまとめなければならないが,それをまったくやっていない。表現の下劣さはそのまま,論理の通らないやりとりもそのままに記録しているのである。原発プロパガンダ雑誌だから,品位を保ちつつ,広く批判に耐える記事を書くことには関心がないのだろう。

『ENERGY for the FUTURE』誌は,立地自治体の担当課や議員個人宅に届けられているという。東海村役場では2冊購入していると聞いた。会話内容も文章もひどい記事なので無視したいのだが,刈羽村と東海村の2村長による再稼働促進PR対談である。きちんと批判をしておかないといけないと考え,「山田村長の対談記事を読む」シリーズを書いている。


品田氏の発言をいくつか拾い,その意味を考えた。

法治国家であり科学立国であるはずの日本の国民が「出ないお化け」に怯えて,安全・安心の呪文を唱えて怖がっている様を見るにつけ,私は悲しい気持ちに苛まれます。

品田村長は,日本は科学立国だ,なのに,その国の国民が原発の危険性を訴え「出ないお化け」に怯えている,彼らは愚かな人間だと非難している。山田村長も非難する。「(不安にかられ)論理的思考を超えてしまう」「キチンと向き合おうとしない」「自分で知ろうとしない」「自分たちの理屈を押し通したい人々」。

こうしてみると,山田村長の方が,表現を変えながら,原発に反対する村民・市民を愚かとする言葉を何度も使っていることに気づく。しかし,2村長が原発に反対する市民に向けた言葉は,いずれも攻撃的で卑劣である点は共通している。原発立地自治体の村長として品性を疑う。


安全か,危険かの議論ばかりやるのではなくて,必要か,不要かという議論をやってくれと言い続けてきました。

品田村長は,柏崎刈羽原発が新規制基準審査に合格すれば,刈羽村の事前同意なしに再稼働して問題はないと考えている。だから,村長にとっては市民の安全議論は重要ではなく,その意味を認めない。故に,安全議論ではなく必要議論をやってほしいと主張するのである。


福島事故で避難した際に,放射性プルームの中を突っ切らされたとか言っていますが,それでどうにかなったのですか。どうにもなっていません。

「どうにもなっていません」というのは,津島に避難した住民に発病や死亡という最悪の事態は起こらなかったと言いたいのだろう。

浪江町民の津島地区への避難を取り上げた,NHK「原発避難”7日間の記録~福島で何が起きていたのか」 では,次のような事実を記録している *。

3月12日,避難指示を知った浪江町は,唯一残された選択肢,津島地区への避難を住民に指示。放射性物質がまさに住民が避難していた津島地区に向かって流れ込んでいた事実を知らずに1万人が避難したこと。避難所では食事や毛布が足りず,横になることすら難しいほど混雑していたこと。避難した住民の中には混雑を避け、屋外で過ごす人もいたこと。この時,1号機が爆発していたが,「ただちに影響ない」と報道されていたこと。

これらの事実を確認すれば,品田村長の発言は単に無神経というだけでない,住民の安全を守り,住民の安心を確保しなければならない村長として無責任極まる問題発言であることを指摘しなければならない。


原発は要らないとか,電気は要らないと言うのであれば,急病になっても救急車を呼ぶなということです。

この発言は,山田氏の「原発が要らないと言う人は,自宅から一歩も出てはいけない」という発言に続けて出てきたものである。山田村長の発言についてはすでに批判しておいたが,twitterに的確な批判があるので引用する(「対談記事を読む3 資料編」2019年12月5日)。

「 じゃああなたこそ、その他の電源でまかなってる今の電気を使って生活するなよ」「 その他の可能性を全て排除するならご本人こそ『自宅から出るな』」「 じゃあオメーは『原発以外』の電力を使うなよ。火力も水力も再エネもな」。


原子力について「トイレなきマンション」と揶揄する人もいますが,究極トイレがなくても,マンションがなければ雨風をしのぐことができないじゃないですか

文章がおかしい。こう書くべきである。「マンションに究極トイレがなくても,雨風をしのぐことはできるじゃないですか」。

品田氏は,住宅にはトイレ(排泄物処理)より屋根と壁(雨風をしのぐ)の方に価値があると考えている。一般に,住宅とは雨風をしのぐことが第一の機能だと教えられているので,このように単純な思考をするのだろう。しかし,場所は,山の中の一軒家ではなく,都市住宅のマンションである。都市の中で,人間の尊厳が守られる排泄設備がなくても生活は可能なのか。全く不可能だし,トイレは公衆衛生上も絶対不可欠な設備である。筆者の「原発は『トイレのないマンション』か」(2019年5月1日)を参照してほしい。


今回はとりあえずここまで。気力を出して,お正月明けに「品田村長発言批判 2」を書けたらと思う。


* 「原発避難”7日間の記録~福島で何が起きていたのか」, NHK総合,2016年3月5日放送,https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20160305



(原電茨城事務所前抗議行動,「星空講義」23,2019年12月13日)



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