東海村山田村長の対談記事を読む5 安全神話とレジリエンス
新潟県刈羽村品田村長と茨城県東海村山田村長による『ENERGY for the FUTURE』(2019年10月号)の誌上対談は大きな批判を呼んだ *。
対談の狙いは,原発立地自治体の首長から再稼働賛成を発信させるというものだ。2人の村長は呼応して,新規制基準への適合で原発の安全性は高まったとし,原発事業者の安全対策を高く評価する一方で,原発に反対する市民に対しては無知,感情的と蔑んだ。
今回は,2村長の原発に対する安全発言を取り上げて考える。原発立地自治体の首長の最大の使命は,住民の生命,安全を守ることだが,2村長の発言はこれまでの安全神話と何も変わらなかった。
まずは,2村長の安全発言を集めた。安全発言は,事故のリスク,避難,被曝をめぐって発せられている。
品田村長 法治国家であり科学立国であるはずの日本の国民が「出ないお化け」に怯えて,安全・安心の呪文を唱えて怖がっている様を見るにつけ,私は悲しい気持ちに苛まれます。
山田村長 住民はパニックになると,どんどん自分勝手に動くというので,そうならないように住民に理解をしていただいて,動かないほうが安全なんだということは,福島事故のときだってそうだったでしょうということをもう少しちゃんと伝えれば,不可能ではないのです。
内閣府あたりが防災対策として,「冷静に皆さんが行動すれば,そっちの方が安全です」と言うことを伝えてもらいたいと思っています。
品田村長 福島事故で避難した際に,放射性プルームの中を突っ切らされたとか言っていますが,それでどうにかなったのですか。どうにもなっていません。
品田村長 私は「外に出ていい。朝のラジオ体操をしても大丈夫だ」と言ったのです。そのくらいのレベルに,発電所の放出源が安全レベルを上げているのです。そこを評価しないと,警報が鳴った瞬間に94万人が即死するみたいな話がまかり通ってしまいます。核爆発ではないんです。
私の家は炉心から2キロのところにあります。私たちに比べれば,UPZの人たちは十分安全なんです。だからわざわざ慌てるなと強く言いたいですね。
飛んでる飛行機は落ちるし,浮いている船は沈みます。そう言うアクシデントのリスクの存在は原子力と一緒です。これを言うと,原子力が事故を起こすと広範囲に影響するから特別だと言うけれど,その範囲内にあなたが居ても即死なしない。あなたが乗っている飛行機が落ちたら,おそらく生きてはいられない。
品田村長 福島の事故は返す返すも残念ですし,気の毒な事故でした。しかし,「羹に懲りて膾を吹いて」ばかりいてはいけないと思います。
「UPZ (5~30km圏)の人たちは十分安全」「避難は冷静になれば安全だ」はいずれも,科学的な根拠はなく,妄想にすぎないということはすぐわかる。
しかし,2村長には彼らなりに拠って立つところがある。原発は新規制基準合格で格段と安全になったから,たとえ事故が起きても被曝は問題ないという信念である。
これは科学ではなく,神話である。3.11後につくられた新しい神話,「被曝安全神話」である **。
「科学立国の日本」と言って,日本の原子力政策と技術の正しさを暗に主張しているところが嫌らしいが,言っている本人は科学の視点ゼロという点が面白い。
さらに言いたいのだが,2村長には,原発事故で被曝と避難を強いられた福島の人々の苦しみが伝わらないのだろうか。自身に託された村民の生命,財産を守るという使命に思い至ることはないのだろうか。
思い起こしてほしい。福島県浪江町の人々が,正しい情報を得ることができないまま,放射性プルームが流れ高濃度に汚染された津島地区に避難したことを。子どもたちを被曝させたことで,自分を責め続けている母親たちがいることを。実際に,子どもの甲状腺癌が発生している。そして今後,増えるだろうと推測されている。
避難とは,決して住民を守るための方法ではない。住民に被曝を強いるものなのである。被曝は,生命と健康,家族の安寧な生活を破壊する。被曝に,国が避難計画のために決めたに過ぎないPAZ,UPZの別などに違いはない。
2村長が原発の安全神話にしがみつく様を一体どう読めばいいだろうか。
これについて,レジリエンスの観点から考えをすすめてみたい。レジリエンスとは,もとは生態学の用語だが,防災分野では災害の被害に対して回復する力を意味する。
図1にレジリエンスの基本的な考え方を示した。災害など危機が発生すると,損害が発生し,機能は低下する。時間経過とともにやがて機能が回復していくが,レジリエンスの高いシステムでは機能の回復は早いが,レジリエンスの低いシステムでは遅い。
ピンクの網がかけられた部分はレジリエンスの三角形と呼び,機能が低下した部分である。レジリエンスはこの面積の大きさによって測られる。
図1 レジリエンスの三角形
都市は,水,食糧,エネルギーのほぼすべてを外部からの供給に依存している。大きな災害や危機の来襲を受け,インフラが破壊されエネルギー供給が絶たれると,たちまち市民の生命と生活は脅かされる。現代都市の基盤はとてももろい。
牧 紀男氏は,レジリエンスを黒船に例えて次のように述べる ***。
米国では抵抗力を高めるための対策も実施されるが,基本的なスタンスは被害が発生することを前提にしたものであり,ハリケーンが近づくと遠方の知人の家に避難をする,万が一被災した場合に備え保険に加入する,といった対応が取られている。
一方,日本では抵抗力を高める対策に重点が置かれる。被害が出ること自体が問題であるという意識がある。また,「不幸にも」被災してしまった人という考え方の前提には,自分は被災することはない,という意識がある。
レジリエンスは防災対策の大転換を迫るものであり,日本の防災政策にとっての「黒船」なのである。
今や,レジリエンスは,学術,技術,政策,産業・ビジネスの各分野で重要なキーワードになっている。レジリエントシティを目指して取り組んでいる自治体もある。京都市はその一つである ****。
改めて,2村長の安全発言にもどろう。彼らはこう主張する。原発は安全である,事故は起きない,起きても被曝も安全,避難も安全である。なんとも空疎な発言である。
レジリエントな社会が求められている中,根拠なく原発のあらゆる安全を主張し続け,レジリエント社会の構築に背を向ける2村長は,すでに時代の遺物というべきである。
* 品田宏夫,山田 修「新しい視点48 BWRの再稼働 困難あり 便法あり 希望あり」『ENERGY for the FUTURE』 No.4,2019年10月
** 小出裕章講演『はんげんぱつ新聞』,2019年10月
*** 牧 紀男「しなやかな建築を目指して ー建築は『レジリエンス』とどう対峙するのか」『建築雑誌』日本建築学会,2020年1月号
**** 京都市『京都市レジリエンス戦略』,2019年
(原電茨城事務所前抗議行動「星空講義」26,2020年1月17日)
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