3.11と県民投票条例実現のために集められた9万筆
茨城県は,避難計画を解説する『原子力広報いばらき(PAZ,UPZ版)』を配布しました。県民への情報提供が目的ですが,県が県民94万人を避難させる計画を策定するなど狂気の沙汰としか言えません。
県民の多数が東海第二原発の再稼働に反対し,県民投票条例実現のために県民9万人が署名したのには,ちゃんとした理由,事情がある,「漠然とした不安」などでは断じてないということを,いばらき未来会議発足を報告する記者会見の場を借りて話しました。
県民の多数が東海第二原発の再稼働に反対であることは,直近の県知事選,水戸市長選の出口調査,県内30近くの市町村議会で声明や意見書が採択されていることからしても明らかです。これが全県あげた署名活動となり9万人の署名につながりました。否決されたものの,このような成果を得ることができた背景事情について,少し遡って考えてみたいと思います。事情の一つは10年前の福島第一原発事故,もう一つはさらにその50年前の東海村からはじまった茨城の原子力開発です。
60年前,茨城では,原子力の積極開発がなされました。その結果,地域の開発のあり方が大きく歪められました。すなわち,国が原発サイト周辺の開発規制をかけようとしたにもかかわらず,県がこれを実質的にないものにしてしまいました。さらに,新都市計画法のもとで新たに規制を設定しましたが,これも規制を緩め続けてきました。
その結果,東海村では原発サイトを囲んで3.8万人もの人が住む都市になりました。これは本当に驚くべき事態です。
さらに30km圏には94万人の県民が住んでいます。半世紀の間に,巨大な人口で囲まれるに至ったこの原発は,どんなことがあっても事故を起こしてはいけない原発です。
そして10年前の福島第一原発の過酷事故。私たちは,この原発事故による被害の過酷さ,広域性を目の当たりにしました。隣の県民として茨城の人々は避難者の支援をしてきました。福島へ視察にも行き,避難者の方々の話を伺いました。
さらに,東海第二原発を地元にもつ茨城県民として,この事故を理解しようとして,テレビや新聞報道を確認したり,本を読んだり,隣人と語り,事故の教訓を学び取ろうとしました。これらを通して,多数の県民が,この原発の再稼働はさせられないと考えるようになったのです。
今年6月,県民投票条例案の成立のために署名9万筆が集まったのは,県民のこうした経験と学びなしに理解することはできません。
しかし,残念なことに,県議会では,知事も,参考人として呼ばれた東海村山田村長も意見を一切述べませんでした。議員も議論をほとんどしないまま否決してしまいました。
いばらき未来会議は,署名活動でできた県民のつながりを糧にしながら,市民活動を広げ,政治家と議論を始めようと考えてつくった活動体です。エネルギー政策の転換期にあって,廃炉後の地域のあり方をどうするかという議論を市民や政治家たちともすすめ,そして原発をなくす,これが未来会議の考えです。
0コメント