東海原子力都市開発株式会社とは何者か(学習会の質問と回答)

先の「原発と植民地主義」は,6月13日,9.30茨城集会実行委員会主催の東海村での学習会の一部を文章化したものです。講演後,質問をいただき,それに回答をしました。以下はそれらをまとめたものです。


1. 東海原子力都市開発株式会社(東海都市開発)とはどんな会社だったのか。

東海都市開発は,原産が東海村で開発をすすめるために設立された会社である。この会社は,現地で用地確保にあたったが,その方法は土地登記をしない地上権の取得で,村内各地で用地が取得されていることが広く知られることはなかった。

東海都市開発がどんな会社だったかについてわかっていることはごくわずかである。創設事務所は東海村真崎に置かれたとあるが,確認ができない。東京事務所は,丸の内の建築設計事務(R.I.A.=Research Institute of Architecture,代表:山口文象)に置かれたとするが,これも確認ができていない。当時の『会社四季報』をはじめ,水戸の法務局および丸の内管轄の法務局で会社登記も調べたが,確認できず,住所,社長もわからない。

わかっているのは,山口文象は,戦前,日本発送電株式会社の黒部第二発電所の建屋(現・関西電力)を設計した,東海都市開発は,原産加盟の電力会社とのつながりで,山口のR.I.A.に間借りをしたらしい,ということぐらいである。ただし,東京事務所の住所も,本当にそこに事務所を置いたのか,あるいは単に名目上の住所だったのかもわからない。

なぜわからないことだらけなのか。

簡単に言えば,東海村の開発は当初から,密かに行われたからである。それに付随する開発事業を担ったこの会社もオープンにされなかった。

国や原産は,東海村に「原子力センター」を建設するという巨大なアドバルーンをあげて,茨城県と東海村を持ち上げ,喜ばせたが,原子力センターの内実は原研,アイソトープセンター,放射線医学総合研究所だけでなかった。最終目的は東海村に商業原発を設置することであった。しかし,これを明らかにすれば,問題が大きくなるため,商業原発の設置計画はギリギリになるまで伏せられ,これに付随する諸々の開発も密かにすすめられた。

現地で用地取得に取り組んだ東海都市開発に関する公的記録は残されず,地元住民の記憶にも残されなかった。


2. 原産と東海都市開発の関係は。

東海都市開発は,原産が設立し,原産の手足となって,東海村での不動産事業を展開した会社である。この会社の主事業は,東海村に進出してくる住友原子力工業や三菱原子力工業などのため,先に村に入って用地を確保し管理することだった。

1959年12月,東海原発の設置許可が下りた。東海都市開発が管理していた用地は,ここで初めて地主から,三菱や住友などの進出企業に所有権が移転された。これで,東海都市開発の主事業の目的は果たされた。会社は,その後,いつの時期か解散し,現在は存在しない。


3. 東海村に原子力が来たとき,村は地元雇用を約束させた。農家の原子力企業への貢献はどのようなものだったか。

原研の東海村への設置が決まったのは1956年。高度経済成長の始まりと重なっている。農業の大きな転換期でもあった。農業センサスによれば,1952年の農家世帯と給与所得世帯の収入は農家の方が多かったが,1957年にはこれが逆転し,給与所得世帯の方が多くなった(表)


農家収入が,給与所得と比較して大きく目減りしたことにくわえて,工場が農村に進出してきた。勤労者給与の上昇と工場の農村進出という条件がそろい,農家の兼業化はすすんだ。

船場区に住むある農家の方のオーラルヒストリーを紹介したい。その方は,1965年,JCOに働きに出て同年,トラクターを購入,定年退職後は再び専業農家に戻った。農業と給与のダブルの収入で農業機械を購入した例である。

村の原子力企業は,地元農家の兼業化を促し,農家世帯の経済的ゆとりと農業の機械化に貢献した。その一方で,宅地開発が急激にすすんで農地と平地林が減少,農業の衰退化に拍車がかかった。


4. 東海村の都市計画は歪められた。全国の原発立地地域の都市計画はどういう状況か。

全国には東海村を含め原発立地地域は17ほどある。そのうち,原子力施設が立地する地域に都市計画(用途地域)が適用されているのは,東海村と六ヶ所村だけである。六ヶ所村は,工業専用地域と,住居+商業用途地域は別に配置されている。東海村のように,原子力施設が住居地域を取り囲むといった問題ある計画はない。ただし,六ヶ所村では,工業系地域が非常に広大で住居系地域はごく小さい。都市計画から見ても巨大な核燃料サイクル施設の村となっていることがよくわかる。

その他の立地地域は,原発だけなので,都市計画指定がない。何らかの周辺開発規制が整備されている様子も見あたらない。結局,なんの規制もないので,原発の近くに民宿やアパート,購買施設などができて小さな市街地が形成されている。

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