2021年東海村長選を闘って その3 東海第二原発の再稼働問題
東海村の最重要課題は,東海第二原発の再稼働問題である。
3.11で被災したうえ,運転40年を越えるこの老朽原発の再稼働が迫っていて,村長が再稼働に同意するか否かは,地域住民が安心して安全に暮らせるかどうかにかかわっているからである。
ところが,山田村長は,原発再稼働問題を村長選の争点にしなかった。なぜ村長は,この問題を争点にすることを避けたのか。これは,原発推進派の全国の候補者に共通する現象だが,東海村長選を振り返りながら,改めてこの問題を考える。
政策の不明
選挙前,山田村長が,村内の全戸に配布した「討議資料」(以下,資料)がある(下の写真)。この「資料」には,村政2期8年間の実績と今後の政策が書かれているが,東海第二原発の再稼働については何も書かれていない。驚くというよりやっぱり,という思いである。
それより本当に驚いたのは,この文書の書き手の科学的知性のなさである。これも,本当は驚くことではないのかもしれない。政治家の言葉の空疎さは,国政の為政者の間では当たり前のことになっているからだ。それにしても,やっぱりこの知性のなさはどうなのだろう。
何よりも,言葉の意味がとれず,何を言っているかわからない。私は村民でないから理解できないのかと思い,村民に聞いてみたが,やはりわからないということだった。村長選後の10月村議会に質問通告書を出した議員12人のうち,3人が「資料」に書かれた政策の意味内容を問うている。議員にも理解されていない政策なのである。
わからない言葉で村民に語りかけ,自分は伝えられたつもりでいる,まったく独りよがりな政治家である。意味が取れないのにくわえて,説明も論理もなく,やたらと言葉が飾り立てられている。
「NEXT ストーリーがはじまる...」
「新発想で大胆に」
「理想のまちへ,挑戦をします」
「いよいよ,新しいまちづくりを強力に推し進める段階に来ています」
「今までにない施策を思い切って大胆に」
「東海村の『質』をさらに高めます」など。
私は,これらを「キラキラ言葉」と名付けた。言葉をキラキラ輝かせるのは,中身がないか,場合によっては中身をカモフラージュするためである。そもそも言葉を磨いて論理を明確にしようとすれば,「キラキラ言葉」はまったく必要がない。作文の作法に反する。
作法も知らない山田氏は,いたるところで,上にあげたような「キラキラ言葉」をつかって表現を盛っている。有権者に伝えるべきことを伝えていないから,政策資料としてはあまりにお粗末である。
私が「資料」を見て噴飯してしまったのが,「東海村の『質』をさらに高めます」である。これは,中身のない例の典型である。
東海村に「質」がある,というのなら当然,東海村の「量」もあるはずだ。では,東海村の「量」とは何か,と問うてみよう。誰もが「そんなものない!」と言うだろう。むしろ,質問のバカさに笑ってしまうだろう。東海村の「量」などないのだから,「質」があるわけがない。
山田村長は,3期目を自分に託したら,東海村の「質」なるものが高められる。住民の生活の質も高められる,という論法のようだ。この論法は,言葉を盛って幻想を抱かせ,一定方向へ誘導させるというものである。
上西充子さんが命名した「ご飯論法」に倣って,私は,これを「盛り論法」と名づけてみようと思う。
山田氏が最後に位置づける政策「原子力・サイエンス」とは
このように,山田氏の政策は,意味のない言葉で政策を盛る一方で,肝心の東海第二原発の再稼働についてはいっさい語らない。関連する記述としては,5つの政策テーマの5つ目に,「これからの原子力・サイエンス」と題して次のような記述がある。
政策テーマ5:これからの原子力・サイエンス
科学を生かし,安全に力を入れる
世界最先端のJ-PARC関連施設や原子力関連施設の成果を村の産業や観光などと連携させ,新規産業の誘致,人材交流や次世代の教育に生かします。東海第二発電所の安全・防災対策の検証と住民への情報公開,必要な対策を推進し,信頼と安全を高めます。
「政策テーマ5」は,2つの文章で表現されている。一つ目は,大強度陽子加速器施設J-PARCを観光,教育などと連携させる。二つ目は,東海第二原発の安全性を高める,である。
一つ目の,J-PARCを観光と連携させる,新規産業の誘致に生かし,教育に生かす,というが,J-PARCは実験研究施設である。いったいどのような構想なのだろうか。
60数年前,国が,日本原子力研究所(原研)の設置先を東海村に決定したとき,この地域に「原子力センター」を建設すると,「盛り論法」,しかも大盛りで喧伝した。県が,この盛り論法に乗って浮かれ,東海村を中心にした広大な工業圏を構想したことを思い起こす。
ただし,国の「盛り論法」にはちゃんと中身があった。すなわち,「原子力センター」の狙いは,原研設置を機に,日本初の商業原発を設置し,核燃料加工工場など関連施設を村へ集中立地することだった。 浮かれた茨城県と東海村は,それを知らされないまま,都市計画を大きく歪めてまでして原子力産業会議による村の開発に積極的に協力した *。
原研が設置されると,密かにすすめていた東海原発計画を浮上させて設置を決め,これに合わせて核燃料加工工場もやってきた。さらに,地域の大きな反対を押し切って東海再処理施設も設置していき,文字通り「原子力センター」になっていった。
今回,J-PARCが設置されたので,これを村の観光,教育につなげるという山田村長の政策は,小盛りの論法と言えようか。
なぜ原発の再稼働問題を論じないのか
二つ目に,「東海第二発電所の安全・防災対策の検証」が出てくる。原発関連は,政策の最後の最後である。しかも,再稼働問題には触れられない。
「安全」は東海村の最重要課題だが,山田氏は,この問題を「東海第二発電所の安全」と書く。安全を確保すべきものは原発なのである。原子力災害から住民を守る,住民の安全を確保する,とは書かない。
山田氏がこれによって安全問題をどこに置いて見ているか,がよくわかる。あるいは,氏の立ち位置がどこにあるかがよくわかる。山田氏は,安全問題を住民と同じ位置に立って論じるのではない。彼は原子力ムラ側に立っているのである。
山田氏の選挙を振り返ってみよう。彼は,原発推進派の国会議員,県議会議員らによって支援を受け,原子力ムラが,山田候補支援の村民,市民の中に不穏な分子がいないか監視していた。
彼は,原子力ムラに守られているから,原発の重大事故から住民の安全を確保するなどとは絶対書けないのである。選挙中,原発再稼働問題について彼が発した言葉は,「自分を信じてほしい」だった。
原子力ムラに守られているということは,自身の政治信念にもとづいて安全問題を論じることができないということである。何よりも大切で,守られなければならない住民の安全確保について,何一つ語ることができないということである。これは言葉の幼稚さ以上に深刻である。
山田氏は,原発関係の政策を最後の最後に持ってきて,テーマを「原子力・サイエンス」**とぼやかした上,再稼働問題についていっさい記載せず,「自分を信じてほしい」と有権者に白紙委任を求めるという方法で,選挙を闘った。そして圧勝した。
* 次の論文で,「原子力センター」建設過程について詳述している。
乾 康代「原子力開発黎明期の原子力政策と都市計画 ー東海村における原子力センターの建設過程分析ー」,日本建築学会計画系論文集 第86巻 第789号, pp.2485-2494,2021年11月
** 2012年,村上元村長が発表した「TOKAI原子力サイエンスタウン構想」は,山田村長によって潰された。山田村長の「原子力・サイエンス」はここから来ていると思うが,この言葉は説明がなく,意味不明である。
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