東海村第4回「自分ごと化会議」の問題発言


10月9日,東海村の第4回「自分ごと化会議」が開かれた。

当日の午前中,私は東海村にいたのだけれど,別の会議と重なり傍聴できなかった。会議の傍聴者が,この会議の参加者の問題発言をツイートで指摘した。それは,福島第一原発事故で10年たったが避難先から戻れず避難生活をつづけている福島の人々の苦しみを嘲笑うかのような,侮蔑的な発言である。

「親は移住してすでに故郷に対する未練もない。今の生活に満足してるから、故郷奪われて可哀想みたいなのは全然ない。そういうもんです」

この発言の最後には「そういうもんです」という文句がついている。これが発言の問題の深さを示している。この後で述べる。

10日,東京新聞と茨城新聞は自分ごと化会議を記事にしたが,この発言については取り上げていない。朝日、毎日、読売、産経新聞,しんぶん赤旗は,記事そのものがない(朝日は13日に掲載したが,上記発言には触れていない)。


この発言はどんな流れで出てきたのか

この発言がどのような話の流れの中で出たのかは,いずれ東海村のHPに議事録が出るので,詳細はそちらに譲るが,傍聴者のツイートによれば,こういうことらしい。

ある年配の参加者が,10年動かしていなかったプラントを動かすのは危ない,運転経験者は3割も減っていると聞いた,と発言すると,会議進行係が,原電さんがいれば訊けるんですけど,と発言。これに応えるかのように,参加者Aが,装置を点検している,稼働中の原発に行ってトレーニングをしている,と発言したという。そして,参加者Bから,上記の問題発言が飛び出したという。

今回の会議の前には,5月22日,東海第二原発の工事現場視察,10月3日,福島第一原発の事故処理サイトの視察があった。原発の視察が2回あった後の会議である。司会進行係に「原電さんがいれば訊けるが」と振られたので,関係する参加者がこれに応えたという流れだった。

参加者Bは,東海第二原発でも福島第一原発でも仕事をしていた人だという。東海と福島のいずれの原発について知っている人なのである。


この発言のどこが問題か

この発言は,次のような趣旨を抱いた発言である。

福島第一原発事故で故郷を追われても,移住で可哀想みたいなことは全然ない,ここに,「そういうもんです」を付け加えることで「移住で可哀想みたいなことは全然ない」を普遍化している。原発というものが過酷事故を起こしても移住すればいい,なんの問題もない。これは,次のような議論につながる。原発を再稼働させ過酷事故が起こっても避難の問題はおこらない,というものである。

参加者Bのこの発言を,福島の方々に向かって言えるか,そう問いかけてほしい。そうすれば,これがどれだけ恥ずかしく,重大かつ危険な問題を孕んでいるかが,よくわかるであろう。看過できない発言なのである。

要するに,これは,全国でいまなお,避難を強いられている数万人の福島の人たちへの侮蔑である。原発の危険性を訴え再稼働に反対している人への軽蔑である。そして,何よりも村民にこんな卑劣な発言を許した東海村の恥である。山田村長は,自身が発意し起こしたこの会議の責任者として,この発言に関して厳しく対処すべきであろう。


迫る東海第二原発再稼働と自分ごと化会議

自分ごと化会議は,あらかじめ,原発再稼働に賛成,反対を議論する会議ではないと,司会者から会議の趣旨が説明されている。参加者は原発の賛成・反対を論じない,これが唯一のルールである。しかし,これだけでよかったのだろうか。

原発事故の被災者や避難者,原発反対論者への誹謗中傷は当然のこと,原発事故の問題を矮小化するような発言はしてはならないなどのルールを決めておくべきだった。これは,ルール以前の当たり前すぎることなのだが。

ここで今,東海村で起こっていることを振り返っておきたい。東海第二原発の再稼働が来年秋に近づいているという状況の中,原子力ムラの利益団体の動きが活発化している。未完成でいいからとにかく早く避難計画を作ってくれという,乱暴極まりない要望が出てきている。地元議員からも同様の議論が発せられている。これが,こうした問題発言を許した背景事情の一つといえる。

これについては,もう少し詳しく分析する必要があるが,いまのところ,私には情報がほとんどなくこれ以上は書けない。いずれ情報があつまったら,この続きを書こうと思う。

とにかく,山田村長と,自分ごと化会議の委託先のシンクタンク「構想日本」には,それなりの事情が把握できるはずだ。2者は十分に話し合い,問題発言について対処すべきである。また,福島の方々への謝罪も必要である。上述の発言は議事録から削除すべきである。

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