原子炉立地審査指針と住環境 その5



畑村洋太郎の技術発展段階論

畑村洋太郎は,次のような技術の発展段階論で示唆的な視点を提供している *。 すべての技術は次の4段階をたどり衰退するという。

技術の脈絡がようやく1本に結びついてなんとか形になった<萌芽期>に始まり,考えられるだけの新しいパターンが次々と試され,ありとあらゆる工夫が凝らされて,多くの失敗を繰り返す中で技術に磨きがかけられ,最後に選択されたメインストリームは太く強固なものになっている<発展期>

次に,利益率や効率を上げるため,メンストリーム以外の全てを切り捨て管理していく<成熟期>へ移行する。このとき,好んで使われるのが作業の単純化で,メインルートの周辺に存在していた方法をやってはいけないとする融通の利かない管理が行われる。太く強固なメインルートのみを残す合理化によりメインストリームの確実性まで細めていく。

こうして,メインストリームが痩せ細る<衰退期>,やがては大失敗を起こす<破滅期>に至る,と説明される。

畑村のこの技術の展開過程論にしたがえば,<萌芽期>に,原子炉立地審査指針(以下,指針)が,原子炉施設の安全性についての科学技術的基準を制定するために制定された。しかし,指針は原子炉技術そのものではなく,最初からメインストリーム以外のものだった。指針以外の基準類が技術向上を反映して改定を重ねるなかで,指針だけは作成以来,単位表現の変更のほか改定をしてこなかった。

なぜか。指針の線量基準などまともに適用したことがなく,いわば放置しつづけてきたからである。だから,あえて改定する必要がなかった。半世紀の間,一度も改定されないままの指針はとうとう,<成熟期>に新規制基準から外された。既設原発サイト周辺が,どうしようもなく市街に取り囲まれてしまった原発と原発事業者を救済するためである。こうして,指針は,「太く強固なメインストリームのみを残す合理化」のために切り捨てられた。

チョルノビーリや福島などで巨大な失敗を起こした原発はすでに,<破滅期>に入っている。それでも,延命のために,安全対策への真摯な追求を放棄するという選択は,<破滅期>の最期を早めるだけである。


「東海村の安全神話」

筆者は,長く,東海村に通って調査をしてきて,不思議に思うことがあった。その一つは,村内には11の原子力施設があり,村民はこれらに囲まれて生活をしている。これ自体があまりに異常で,このような開発は避けるべきだったのだが,村は,今もなお,ひたすらに宅地開発をつづけている。村民は,こんな状態を危険だと思わないのだろうか,東海村の住民として安全意識を研ぎ澄ますことが求められると思うのだが,村政を見ても村民を見ていてもそんな感じがしないのはなぜなのだろうか,ということである。

もう一つは,上の疑問とつながっている疑問だが,筆者は,幾度となく,東海村信仰とでも言っていいような強烈な安全神話に出会ってきた。その表現,内容とも,とても村外で通用しないものだが,村民は,なぜあえて口にするのだろうか,と思うことがあった。

今回,これらに「東海村の安全神話」という名前を与えて,考察することにした。「東海村の安全神話」とは,「東海村だから,村の原発が大事故を起こすことはない」「東海村は他所とは違って安全」というような,東海村という地域限定の安全神話である。

以下にみるように,特殊な安全神話である。具体的な発言から,その特殊性を読み解いてみたい。


▶︎ 「福島の方はお気の毒だったけど,東海村は特別」

 2021年夏,村内で採取した。東海村の原発が過酷事故を起こすようなことは絶対にないという強い信念に抱かれた安全神話である。福島と対比させた上で,「特別」と言っているところから,東海村は単に福島との比較で優越しているというだけでない。東海村は随一,という優越意識が読み取れる。

東海村は,1950年代半ば,「『原子力センター』を建設する」と喧伝され,先陣を切って開発し,3.8万人の都市へと発展した。そこが,福島を含め,東海村の後につづいた全国各地の過疎の原発立地地域とは絶対的に違うところだ,という優越意識がベースにある。この優越意識のためか,被ばくした福島の人々,ふるさとを喪失した福島の人々に寄り添う思いは感じられない。

 この発言に関連して思い起こされるのが,「東海村は原子力発祥の地」という慣用句である。東海村の原子力開発の歴史は次のようなものである。日本初の商業原発の東海村への設置計画は,原産によって密かにすすめられ,すべての段取りが整ってもはや後戻りできない段階になってはじめて公表され,米軍射爆場が近接しているなど,原発立地上の重大な問題が解決されないまま設置が許可されたという歴史的事実からすれば,東海村が「原子力発祥の地」などとても言えないだろう。

しかし,いつ,誰が言い出したのか,「原子力発祥の地」という価値が東海村に付与された。 今日では,メディアも研究者も深く考えることもなく使い回している。

村民は,折に触れてこの慣用句を目にし,村は「原子力発祥の地」だと,「東海村」ブランドを意識する。そして,自身がその村民であることのプライドを育んでいく。こうして,「原発の安全神話」を信じる村民の間に,強固な「東海村の安全神話」が形成されてきたのだろう。


▶︎「福島は不幸にして1日とかそのくらいでどんどん事故が進展しましたが,東海第二は1基しかなくて,ここにあれだけの安全対策を施して,ここだけを集中的に管理している事業者が,そう簡単に事故を進展させることは考えられません」

山田村長が誌上対談で語った言葉である(2019年10月)。福島の過酷事故は4基で起きたが,東海第二原発は1基しかなく,しかも新規制基準に適合した原発である。だから,東海村の原発は,福島のような事故を起こすことはないという。

1基だけというのは,安全対策上のメリットといえるのか。確かに,事故時に,他の原子炉に連鎖して事故が拡大することはない。しかし,他の原子炉の非常電源を融通する体制がなく,作業員数も少ないので機動的な対応ができないなどの問題がある。そもそも,チョルノービリ原発事故,スリーマイル島原発事故とも,1基で炉心溶融事故を起こしたではないか。

要するに,1基しかないから安全という主張に何の根拠もないし,新規制基準に適合した原発だから安全だという主張にも根拠はない。山田村長の根拠のないこの発言は,上述の「東海村は特別」と同じレベルである。村長がこのような発言をすることの問題は大きい。


▶︎「原研・原燃がある東海村では,他の電力会社による原発立地地域に比べれば,安全が議論されてきたように思えます」

 村外の研究者から発せられた発言である。電力会社1者だけの他の原発立地地域とは違って,東海村は,原研・原燃(原研・動燃の間違いか。ただし,2005年,動燃は原研に統合され,日本原子力研究開発機構(JAEA)となっている)があって安全議論がよくされているという。原子力の研究機関がある点に,東海村の優位性があるという見立てである。

そのような見立ては,完全に的外れである。JAEAが,原発の安全性向上のために,原電を支援しているということはない。また,JAEAなどの研究者も委員として参加する原子力関係の懇談会などがあるが,他の立地自治体でも同様の会議はあるはずである。それらと比べて,東海村の会議での安全議論になにか違うものがあるのかと問うてみても,それ自体,意味ある問いとは思えない。

JEAEでなされている各種の安全研究の成果が村民に提供され,村民と自由な意見交換がなされたり,行政へ提供されてそれが政策提言・実行につながっているというようなこともない。 

いま,94万人の住民が短時間で避難するのは困難であり,避難計画の策定は完全に不可能だが,それでも,なお自治体は再稼働のために計画を策定させようとしているという問題がある。

さらに,ロシアのウクライナ侵略戦争で原発が戦争・テロの標的にされるという事態を目の当たりにし,原発は戦争・テロに対応できないという問題にも直面している。

これら新規制基準が前提としていないきわめて重大な問題が目の前にあるとき,それでもなお,市民的な自由な議論を排除して官僚や科学者の専門知で解決を図るという方法はもはや民主的ではない。市民との「誠実な対話」が必要である。

科学史・科学哲学のジェローム・ラベッツは,「人々,判断,および価値の不在を前提にした『客観性』は理念としてもはや不適切である。その代わりに,われわれは科学において誠実さを奨励する必要がある」と主張している **。東海村に原子力事業所がいくつあっても,原子力の当事者による安全議論に,市民が期待できるものはあまりない。


▶︎ 原産がつくり,東海村が拡大再生産,拡散してきた安全神話

最後に,信頼性の大きさと拡散力の強さで圧倒的な「東海村の安全神話」を紹介したい。それは,原子力開発の黎明期,原産がつくり,東海村がこれを拡大再生産,拡散してきた安全神話である。その成果は,この章で明らかにしてきた事実である。すなわち,指針が設定を求めている非居住区域(約1km圏)と低人口地帯(約10km圏)内に,東海村民3.8万人を含めて22.4万人が居住しているという事実に示されている。

この事実からわかることは,村は,原発周辺に密度高い集住地区をつくらないように,開発規制をかけ,慎重に開発コントロールすべきだったが,一切してこなかった。村内のJCOが臨界事故を起こして多数の周辺住民が被ばくさせられ,3.11では東海第二原発も全電源喪失の一歩手前だったにもかかわらず,政策転換を図らなかったということである。

 要するに,3.11で,福島の住民がふるさとを喪失し,自治体まで村を追われる原発事故をみてきても,東海第二原発もまたきわめて危険な事態に陥っていたにもかかわらず,それでもなお開発を拡大しようとしている。 東海村でふるさと喪失など起こることはない,「理想のまちづくり」と称して村にさらに新しい「ふるさとをつくる」(山田村長の所信表明,2021年9月)という。これほどに強力な「東海村の安全神話」はないだろう。 (おわり)



* 畑村洋太郎『失敗学のすすめ』,講談社文庫,2005年

** ジェローム・ラベッツ『ラベッツ博士の科学論 科学神話の終焉とポスト・ノーマル・サイエンス』,こぶし書房,2010年


原子炉立地審査指針と住環境,2022年5月21日

原子炉立地審査指針と住環境 その2,2022年5月26日

原子炉立地審査指針と住環境 その3,2022年6月13日

原子炉立地審査指針と住環境 その4,2022年6月14日

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