原子炉立地審査指針と住環境 その4
チョルノービリ原発事故と義務的移住
日本の原発敷地周辺の開発規制がない。だから,原発敷地を取り囲んで市街地が形成されることになる。新規制基準は,原発敷地外に異常な水準で放射性物質が放出されることを抑制することを狙ったものだが,狭い敷地の外へ放射性物質が放出される事故は起きないという安全神話を信じる人はいないだろう。
原発事故が起こればどんなことが起きるか。改めて,チョルノービリ原発事故を振り返りたい。
チェルノービリ原発事故は,タービン発電機の慣性回転でどれだけの電力が得られるかを実験していた時,原子炉の暴走が起きやすいという設計上の欠陥と操作ミスが重なり,原子炉の出力が急上昇して起こった。原子炉は爆発し建屋を吹き飛ばした。31人が死亡(1987年7月末),半径30kmの住民13万5,000人が避難した。
ソ連政府は,原発周辺住民の急性放射線障害を認めていない。しかし,ソ連崩壊直後の1992年に暴露された事故当時のソ連共産党秘密議事録によると,1万人以上の周辺住民が病院に収容され,子どもを含め多数の住民の放射線障害がモスクワに報告されていた。2001年に公表されたウクライナKGB文書でも,30km圏から避難した住民に急性障害があったと記録されている。
事故から5年後の1991年,被ばくから住民の命,健康を最大限に守るためにチョルノービリ法が制定された。同法は,汚染地域を規定し,5分類された汚染地域に住んでいた住民に対する支援や補償を定めた法律である。
表1-2は,ロシア,ベラルーシ,ウクライナ3国のうち,ロシアの法律である *。5つの汚染地域のうち,疎外ゾーンと退去対象地域は,居住してはいけない地域,移住権付居住地域は,住んでもよいが,希望すれば移住支援が受けられる地域である。特恵的社会・経済ステータス付居住地域は,移住権はないが,放射線防護や医療などの複合的な政策が実施される地域である。
表1-2 チョルノービリ原発事故被災地の分類(ロシア連邦「チェルノブイリ法」)
尾松亮作成の表に筆者が一部加筆。
今中哲二は,どれほど広大に汚染されたかを算出している(表1-3)。疎外ゾーン3,100㎢,退去対象地域7,200㎢,移住権付居住地域19,120㎢,放射能管理が必要な地域115,900㎢,合計145,320㎢にのぼる。汚染地域の面積は,日本では本州の約6割に相当し,うち移住対象地域面積約1万㎢は,福井県,京都府,大阪府の2府1県を合わせた広さに該当するという。もし若狭の原発がチョルノービリ級の過酷事故を起こしたら,上記2府1県の住民1218.2万人(2020年)がふるさとを追われるというイメージができる。
表1-3 セシウム137の汚染レベル別にみた汚染面積
原子力規制委員会は,新規制基準で重大事故の発生は抑制される,たとえ起こっても,放射能被ばくの大きな影響が原発敷地外にもたらされることはないとした。そのようにすれば,公衆被ばくの重大な問題は起こらないし,チョルノービリのようなふるさと喪失もない。とても都合のよい考え方である。
振り返れば,指針を作成した原子炉安全審査専門部会は,1958年,原子力委員会に設置された。原子炉施設の安全性についての科学技術的基準を制定することを目的にした部会で,21人の委員が集められた。委員の専門分野は原子力と原子炉関係がほとんどだった。それら以外の分野は地震,建築構造,気象の3分野で,それぞれ1人ずつ加わったが,原発の立地規制にかかわる知見を提供できる都市計画の専門家はいなかった。
外部被ばく低減3原則を2原則にするのか
原子力規制委員会が新規制基準から指針を外した狙いは,既設原発の立地違反状況を問わないことである。指針外しはどんな意味をもつのか。
外部被ばく低減3原則というのがある。ここから考えてみたい。これは,外部被ばくを低減するための3つの原則で,原則は距離,遮蔽,時間によって維持される。外部被ばくは,①<距離>放射線を出す放射線源から離れること,②<遮蔽>放射線源と人との間に遮蔽物を設置すること,③<時間>放射線にさらされている時間を短くする,という2要素が重要だという教えである。
外部被ばくには,医療被ばく,職業被ばく,公衆被ばくの3つのカテゴリーがある。医療被ばくとは放射線診療による被ばく,職業被ばくとは作業者が自らの仕事の結果として被る被ばくである。公衆被ばくとは,これら医療被ばくにも職業被ばくにもあてはまらない個人の被ばくをいう。いずれの領域でも3原則は守られなければならない。
原発周辺に住む住民の被ばく低減の課題は,3つ目の公衆被ばく低減をどうするかという課題だが,指針外しがなされた。これは,原子炉から住民の居住まで<距離>を取るという制度が完全に外されたということを意味する。外部被ばく低減3原則が2原則になったのである。原発が設置された後は,原発敷地の外側にどのように市街地が形成されてもよいという無責任な都市計画の放置状態を容認することになったのである。
公衆被ばくは,残された2要素<遮蔽,時間>で対応せよということになる。
しかし,そもそも,これまでも<距離>は無視されてきたので,原発周辺人口は巨大な規模になっている。その最大は東海第二原発30km圏の94万人,つづいて,浜岡原発30km圏の84万人(2018年)である。<距離>政策に対する無策のツケは,<時間>を取らず避難するということを完全に不可能にしてしまっている。<遮蔽>についても,地方の住宅の大半は木造住宅で,鉄筋コンクリート造の住宅はほとんどないか,あってもごくわずかである。十分な<遮蔽>効果を期待することはできない。
原発の敷地が狭くても原子炉の安全性が向上したから,住宅地と<距離>を取らなくてもよいという理屈が,いかに偏狭で手前勝手かは,普通の日常感覚ですぐにわかる。
千葉県市原市の石油化学コンビナートと特別工業地区
工場群と住宅地に<距離>をとっている千葉県市原市の対応を紹介したい。
市原市には,臨海部に国内最大規模の石油化学コンビナートがあり,居住地は内陸側に配置されている(図1-3)。東日本大震災の本震直後,コスモ石油千葉製油所のタンクが爆発,大規模な火災が発生した。鎮火まで11日間を要した。
市原市は,コンビナートから住宅地を遠ざけるための工夫をした。その工夫とは,法定の用途地域制度では間尺に合わないので,県条例で新たにつくった特別地区を適用したのである。
用途地域制度とは,工場と住宅など用途が混在することを防ぐための制度で,住居,商業,工業系合計13種の用途地域を設定し,それぞれの地域に建てられる建築物,建てられない建築物を定めている。自治体は,13種の用途地域を用いて市街地像を描くのである。
市原市の石油化学コンビナートは工業専用地域に指定されている。工業専用地域は,工場のほか建てられる建築物の用途はごくわずかに限られている。住宅はもちろん建てられない。この工業専用地域の隣に住宅が建てられない用途地域を設定したいが,法定制度には工業専用地域以外に,住宅が建てられない用途地域がない。
そこで,県条例で規定した「特別工業地区」を石油化学コンビナートと住居系地域との間にはさんだのである(図中の赤線で囲った紫色の区域)。特別工業地区では,住宅,共同住宅,寄宿舎,下宿,ホテル,旅館,学校,病院などが建てられないとしている。この方法によって,コンビナートでの重大事故から住民や子ども,入院患者などを守ろうとしている。
図1-3 千葉県市原市の「特別工業地区」
施設の安全性向上はたえず追求されるべきものである。そして,それとともに,別体系の安全原則も貫かれなければならない。都市計画はその重要な柱のひとつである。
都市計画法は,次のように書いている。「健康で文化的な都市生活及び機能的な都市活動を確保すべきこと,並びにこのためには適正な制限のもとに土地の合理的な利用が図られるべきことを基本理念」(2条)。この理念のもとで,地域の土地利用計画の体系がつくられる。
指針は,これまでも公衆被ばく低減のための指針として適切に適用された試しはなかったが,新規制基準から外されたことで,原発立地規制は完全になくなった。
このシリーズ初回で,東海村山田村長が,指針が新規制基準から外されたので「立地における規定のようなものはない」と答弁したことを紹介した。山田村長は,指針による立地審査をしないという規制委員会の手続き変更決定を,立地自治体にも周辺開発規制はないとすり替えたのである。確認しておきたいが,指針が求めている,原発周囲は広く人口密度が低い地域とするということは,原発立地審査の変更にかかわりなく,立地自治体が維持すべきことなのである。 (つづく)
* 尾松亮『3・11とチェルノブイリ法 再建への知恵を受け継ぐ』,東洋書店,2013年
原子炉立地審査指針と住環境,2022年5月21日
原子炉立地審査指針と住環境 その2,2022日5月26日
原子炉立地審査指針と住環境 その3,2022年6月13日
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