「原子力平和利用推進・核兵器廃絶宣言」をいまこそ生かしたい


東海村は,「原子力平和利用推進・核兵器廃絶宣言の村」です。全国の自治体の8割が同様の宣言を出しているので,これ自体,珍しいことではありませんが,東海村では,村役場の敷地入り口に高く掲げているので,このような宣言を出している自治体だということを絶えず意識させられます(図)

図 東海村役場の敷地入り口に立つ宣言の看板


私が住む水戸市も「核兵器廃絶平和都市宣言」を出しています。しかし,目につくようなところに宣言がないので,宣言を出している自治体の市民として自覚を促されるということがありません。今回はじめて確認したくらいです。

東海村の宣言は,水戸市とは異なって,核兵器廃絶ともうひとつ,原子力平和利用という要素が入っています。

この宣言は,1986年,チョルノービリ原発事故の直後に出されました。原発2基(当時)を抱える村として,チョルノービリ原発事故の教訓をどのように受け止めて,原子力平和利用の宣言を採択したのでしょうか。


宣言の動議は,原発事故前の1985年12月議会に出されました。総務委員会で審議された上,翌年3月20日,宣言文が同委員会で可決されました。


核兵器廃絶
原子力平和利用 宣言の村
核兵器保有国の果てしない核軍備拡張競争は今や人類の脅威であり,憂うべき状況である。核戦争阻止,核兵器廃絶は今こそ人類にとって死活の緊急課題となっている。
本村で行われている原子力の研究・開発にとっても核兵器の廃絶はその平和利用を保障する最も確かな措置である。同時に,内外で原子力の平和利用の安全性が疑われる数多くの事実が存在することを見すごすことはできない。
東海村は,核兵器の廃絶と軍縮を全世界に訴えると共に,自主・民主・公開の原子力基本法の精神を堅持して平和の目的に限って安全な原子力の研究・開発が進められることを求める。
よって,すみやかな核兵器廃絶・原子力平和利用の村とすることを宣言する。
昭和61年3月20日  東海村議会

この1ヶ月後の4月26日,チョルノービリ原発事故は起こりました。4号機が爆発,建屋が吹っ飛んで,大量の放射性物質が大気中に放出され,ヨーロッパの広範囲の地域が汚染されるという,最悪の過酷事故でした。事故から2ヶ月後の6月26日,最終宣言文は以下のようになりました。


原子力平和利用推進・核兵器廃絶宣言の村
世界の平和は全人類の願いであり,原子力の平和利用は人類の生存と繁栄のため更に推進しなければならない。日本が原子力の平和利用に踏み切り,東海村が原子力関連諸施設の設置を受け入れたのは,原子力基本法の精神を堅持し,平和の目的に限って原子力の研究・開発及び利用を進めるということを確認した上でのことである。しかるに核兵器保有国間の果てしない核軍備拡張競争は,今や人類の脅威であり憂うべき状況である。
このような時にあたり,唯一の核被曝国として全世界に対し,原子力の平和利用と核兵器廃絶の実現に向けて訴え続けることは,東海村に住むわれわれにとって大きな使命である。よって,東海村民は世界のすべての国に向け,原子力の平和利用推進と核兵器の廃絶をここに宣言する。
昭和61年6月26日 東海村


3月の宣言文(以下,3月文)と比較すると,最終宣言文(6月文)は大きく書き換えられていることがわかります。チョルノービリ原発事故を受けてどんな議論をしたのか。まるきり異なる宣言文に書き換えた経緯を,村議会議事録で見つけることはできませんでした。

「原子力の平和利用」のはずの原発が,命と暮らしを奪う最悪の事態が起こっていることについて議論を避けたかったかもしれません。また,議論の経緯を残すことも避けたかったのかもしれません。


宣言文の変遷と,その意図を読み解いていきます。

第一に,タイトルが変更されました。3月の「核兵器廃絶 原子力平和利用 宣言の村」が,「原子力平和利用推進・核兵器廃絶宣言の村」へと,2要素の順が入れ替わりました。「原子力平和利用」は従から主の位置に移動しました。

第二に,3月文の多くが削除され,書き換えられました。そのひとつ,「内外で原子力の平和利用の安全性が疑われる数多くの事実が存在することを見すごすことはできない」は,6月文には見当たらなくなりました。チョルノービリ原発事故を意識したのかもしれません。

「自主・民主・公開の原子力基本法の精神を堅持して平和の目的に限って安全な原子力の研究・開発が進められることを求める」も削除されました。

代わりに,6月文に,次の一文が加筆されました。「東海村が原子力関連諸施設の設置を受け入れたのは,原子力基本法の精神を堅持し,平和の目的に限って原子力の研究・開発及び利用を進めるということを確認した上でのことである」

しかし,この文章に書かれていることは,歴史的事実と照らし合わせると,まったく正しくありません。村議会が,原研,東海原発とも,そのような確認をして誘致決議をしたことはないのです。東海原発は,原研設置が国で決められた後,日本原子力産業会議(原産)が密かに計画をすすめ,もう元に戻れないところまで形になったところで,日本原子力発電が計画を公表,一気に設置許可をとりました。つまり,上記の文が示すような,民主的な手続きはいっさいありませんでした。民主的手続きどころか,東海村は,原産によって植民地開発されたというのが正しい解釈です *。

要するに,この一文は,「原子力の平和利用」の宣言に沿った内容になるように,原子力基本法が規定している原則をそのままコピペしただけのものです。前の文に合うように挿入しましたが,後の文と意味がつながらなくなりました。

第三に,6月文は全文をとおして,文章の綻びが目立ちます。

冒頭の「世界の平和は全人類の願いであり,原子力の平和利用は人類の生存と繁栄のため更に推進しなければならない」。平和は人類の願いであるという前半の文章と,原子力の平和利用を推進しなければならないという後半の文章で成り立っています。原発は「原子力の平和利用」でありこれを推進させなければならない,を言いたいために,「平和は人類の願い」を前に持ってくるという無茶なことをしました。おかげでまったく意味不明です。ただ,原発依存と原発安全神話への信奉はよく伝わってきます。

「唯一の核被曝国として全世界に対し,原子力の平和利用と核兵器廃絶の実現に向けて訴え続けることは,東海村に住むわれわれにとって大きな使命である」。唯一の核被ばく国として核兵器廃絶を訴え続けることが,なぜ東海村民の大きな使命になるのか,ぜんぜん説明されていません。

最後に,「東海村民は世界のすべての国に向け,原子力の平和利用推進と核兵器の廃絶をここに宣言する」。東海村民が核兵器廃絶を宣言するとは,どういうことなのでしょうか。村に再処理施設がありますが,ここで取り出したプルトニウムで核兵器をつくることはしません,とでもいうことなのでしょうか。多くの自治体が採用している「核兵器廃絶を願う『核兵器廃絶平和都市』を宣言する」と書けば,理解できますが。


原発は「自国のみに向けられた核兵器」と言われます。ロシアは,ウクライナ侵略を始めるや,まっさきに原発を攻撃,占拠しました。ウクライナの原発をウクライナに向けた「核兵器」として威嚇に利用したのです。

原発は,けっして「原子力の平和利用」ではありません。原発は,原発依存度が高ければ高いほど,その使用や威嚇の価値が高まる「核兵器」です。

いま,政府与党が,ロシアのウクライア侵略を機に,防衛費倍増,さらには一部で核共有さえ主張するようになりました。もし,7月10日の参院選で改憲政党が勝ち,戦争の脅威を高めるような憲法改正がなされてしまえば,全国18の原発立地地域と広範な周辺地域の住民は安心して暮らすことができなくなります。

全国自治体の8割を占める,核兵器廃絶を求める平和都市宣言の都市は,再度,平和都市を高らかにかかげ,戦争に反対し住民のくらしを守る姿勢を徹底して貫いてほしいと思います。

東海村は,宣言冒頭で,原発は「原子力の平和利用」で人類の生存と繁栄に必要,と謳いましたが,「原子力の平和利用」,「人類の生存,繁栄に必要」のどこをとっても,原発の本質を正しく説明していない宣言になっていることを理解すべきです。核兵器廃絶を求める原子力の村がとる道は,原発を廃炉にする以外にない。この道を貫いてほしいと思います。



 

* 東海村の原子力開発に取り入れられた植民地支配(東海村の原子力開発の歴史3),2022年5月21日など


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