中村彝のアトリエ その3 住宅を美しく見せる展示


水戸にある中村彝のアトリエは,茨城県近代美術館が同敷地内に建てた再現住宅だが,美術館らしい展示だ。

実物住宅は,その敷地の上に住宅がどう計画され,どう住まわれるか(住まわれたか)が理解,推察できるように展示する。水戸のアトリエは,建物については当時の知りうる限りで再現されたようだが,敷地環境の再現の正確さはあまり意識されなかったように思う。

茨城県近代美術館が開館15周年に企画開催した『中村 彝の全貌』展冊子に,敷地環境について次のような記述がある *。

大正5(1916)年8月,目白駅近く,下落合に完成したアトリエは,種々の木々に囲まれた芝生の庭に面した赤い屋根の小さな家に過ぎなかったが,... 。

往時のアトリエは,芝生の庭があり種々の木々に囲まれていた。これに対し,水戸のアトリエには芝生の前庭はない。芝生の庭はアトリエ北に配置されている(図1)。庭の正確な再現は試みられなかったのである。敷地環境の再現に関心は向けられず,むしろ住宅の見せ方を意識した展示が目指された。そして,それは十分に成功している。


図1 住宅平面図(と美術館からアトリエへの通路図)

(引用:茨城県近代美術館パンフレット,2001年)


アトリエの敷地は,住宅一戸の敷地としてはとても広い。敷地南に前面道路がついていて,北側は眼下に千波湖が広がる環境にある(ただし,敷地からは深い木立で千波湖は見えない)。前面道路境界にはなぜか二重の生垣が植えられ,その内側に何本もの高木が立つ。アトリエは,全容をくっきりと見せるのではなく,生垣と大きく張る高木の枝の隙間を通してその佇まいを感じるような見せ方である。

この住宅が美しく見えるのは,その南面と東面である。南面は,彝の居室が正面に張り出し,室壁面の真ん中につけられた白い大きな観音開きの窓によってこの住宅の中心的な印象をつくっている。東面は,室の重なりと屋根の美しい重なりである。彝のアトリエと,アトリエから張り出してつくられた納戸の二つの赤い切妻屋根の重なりに加え,その下にさらに小さな玄関の緑の切妻屋根がついていて,大中小三つの白い破風が妻面に表情をつくっているさらにアトリエの前に彝の居室が張り出していて赤い寄棟の屋根が載せられているこれら大小の重なりが美しい(写真1)

写真1 アトリエの東面


道行く人からは,アトリエの美しいこの二面が木立のあい間から見えるようになっている。これがこの住宅展示のポイントである。前面道路を東から西へ歩いていけば樹木のあい間から,住宅の東面から南面の姿が見えていく。道路を西から東に歩けば,住宅南面から東面の姿が見える。これが計算された上での配置である。

私は,街へ出る時いつも,この小住宅の前を通る。街へ出るときは下り坂なので,その佇まいを感じつつ自転車で下っていく。帰りは上り坂。自転車を押しながら,東面から南面の佇まいを眺めて坂を上る。

復元された下落合のアトリエは,前庭を広く取り,彝が植えたとされる樹木を配置している。他方,水戸のアトリエは,前庭の奥行きは短く,北側に裏庭を広くとっている(写真2)。環境再現にこだわらない。道行く人に見せる配置なのである。

写真2 アトリエ北西面と広い裏庭(2022年11月撮影)


見学者の住宅への入り口は,東面のアトリエの隅につけられた玄関ではなく,図1に示すように裏側の台所勝手口である(写真2,右から2つ目の白いドア)。だから,見学しようとする人は,住宅をぐるりと半周回ることになる。

なぜ,玄関ではなく勝手口なのかはよくわからないが,見学者は,裏へ回って初めて,この小住宅に芝生の裏庭が広々と広がっていることを知る。道路側から見れば木立の中の小さな家だが,裏にまわれば,市街地の中にもかかわらず,まるで広い森の中に佇むアトリエなのである。水戸のアトリエは,作品をどのような環境の中でどのように表現するかを徹底的に検討してつくった展示となっている。

私は,アトリエの周りをぐるぐる回りながら,近づいては建物細部をみつめ,遠のいては住宅各面の表情を確認し,建物全体像を掴もうとしている。



* 茨城県近代美術館,『開館十五周年記念 中村 彝の全貌』p.66,2003年

中村彝のアトリエ,須和間の夕日,2022年10月30日

中村彝のアトリエ その2 小住宅の空間構成,須和間の夕日,2022年11月9日 

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