住民の安全無視の都市計画,危うい未来
村役場から太平洋方向を臨んだ写真は実に異様です。密度の高い住宅地が,臨海部の工業専用地域まで達していて,その間にはどんな緩衝空間もありません(写真1)。
写真1 村役場から眺めた住宅地と原発2基
一般に,公害や爆発などのリスクがある工業地帯には,地元の市街地とは空間的に隔絶する工夫がなされています。例えば,愛知県知多半島の石油コンビナート(写真2)。ここでは,幅100mのグリーンベルトが10kmにわたって配置されています。
写真2 知多市の石油コンビナートとグリーンベルト
(環境省HP)
千葉県市原市の石油コンビナートでは,地元市街地との間に,特別工業地区という,住宅,学校,保育所,病院などが建てられない緩衝地帯が設けられています(写真3)。コスモ石油千葉製油所のタンクが,余震の際にその荷重に耐えられず倒壊し,配管から漏れたガスに引火したのです(写真4)。近くのマンションに住む住民は,凄まじい地響きと爆風とともに破片が飛んできたと言います。もし,タンクが林立する街区に隣接して密集住宅地があったら,どんな大惨事になっていたか。
写真3 市原市の石油コンビナートの特別工業地区
(薄紫色の準工業地域のうち赤線で囲った区域,市原市HP)
写真4 千葉県市原市石油コンビナートの火災
(海からの消火活動。撮影:2011年3月12日,総務省資料)
実は,かつて,東海村にも,原発を取り囲むグリーンベルト構想がありました。1964年,原子力委員会が構想したもので,原子力施設地帯整備部会答申といいます。茨城県は,この答申を受けて,半径2kmのグリーンベルト設置の計画づくりが求められました。しかし,村をあげた開発がすでに進行中で,県は,開発を抑制するグリーンベルトなど到底考えられず,計画は骨が抜かれました。
原発の重大事故はもちろん,石油コンビナートのそれとは性格が違います。原発の重大事故は,放射能で環境を広大に汚染するので,たとえ半径2kmのグリーンベルトをつくったところで村民の被ばくは防げません。村は,この間,旺盛に開発して高密度な住宅都市をつくりあげたので,むしろ,村民の安全な避難を著しく困難にしてしまいました。
原子力とともにはじまった村の開発は,住民の安全無視の都市計画に乗っかった実に危険なまちづくりでした。今,村は住宅地開発をつづけて人口を増やそうとし,原電は原発再稼働に向かっています。私には,2つのこの政策は手を携えて,村の未来を壊そうとしているように見えるのです。
(浜ぼうふう 2024-4冬号)
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