汚染地域で住まうこと
東海第二原発の運転禁止を言い渡した水戸地裁判決
2021年3月18日,住民224人が水戸地方裁判所に提訴していた東海第二原発運転差止訴訟に,勝訴判決が出た(図1,2)。判決は東海第二原発の再稼働を禁止した。
この原発は,運転開始から40年を超える老朽原発で,これまで日本のどの原発と比べても事故が多く,3.11でも被災した原発である。また東京まで100kmしかない。もし過酷事故を起こせば,首都圏を完全に巻き込んでしまう「首都圏の原発」である。住民224人は,この原発の再稼働に深い危機感と居住不安を抱き,上述の東海第二原発運転差止訴訟に参加し闘ったのである。
図1 東海第二原発運転差止訴訟水戸地裁判決(2021年3月18日)
図2 水戸地裁判決後の勝訴報告集会(水戸市内)
この判決は,次の①②③を前提に,④〜⑦の,原発は住民の生命,身体等への被害リスク源であり,被ばくを避けるための住民94万人の安全な避難計画の策定など困難である,したがって,原発運転を禁じると判決したのである。その論理構造は次のようなものである。
①原発の運転は,放射性物質を多量に発生するので,過酷事故が発生すれば周辺住民の生命,身体に深刻な被害を与える,②原発の事故は,対策が一つでも失敗すれば破滅的事故につながる。これは他の科学技術の利用は質的に異なる,③自然災害は予測困難。福島第一原発事故前でも,専門家の意見を尊重して規制が行われていたが,事故は発生した。
④福島第一原発事故を教訓とすれば,「深層防護」の考えが重要,⑤原子炉施設は,人の生命,身体等に深刻な被害を及ぼす危険を内在させるリスク源,⑥放射性物質の生命,身体に対する深刻な影響に照らせば,何らかの避難計画が策定されていればよいなどと言えるはずもない。避難対象人口からすると今後達成することも相当困難,⑦よって,日本原電は東海第二原発の原子炉を運転してはならない。
被告・日本原電は即,東京高裁へ控訴し,住民側も,主張が退けられた地震や津波評価の甘さについて問題提起するとして控訴した。
福島第一原発事故と311子ども甲状腺がん裁判
本論は,原発事故がもたらす影響について,人間の生活環境,それがもたらす人への健康被害,とりわけ子どもの健康破壊へと焦点を少しずつ移動させながら,「原発事故がもたらす環境影響」を論じようと思う。まずは,福島第一原発事故を振り返るところから始めたい。
福島第一原発からの放射性物質の大量放出は,3月12日15時36分,1号機ではじまり,3号機,2号機がこれにつづいた(表1)。このうちもっとも大量の放射性物質を放出したのは,15日,格納容器が破損した2号機と考えられ,この日,放射性物質の放出量は最大に達したとされる。
表1 福島第一原発4基の過酷事故
ところが,「福島第一原発事故による被ばく量はチェルノブイリ原発事故よりはるかに小さい」という言説が流布されている。3基が過酷事故を起こしながら,被ばく量はチェルノブイリよりはるかに小さかった,とは本当なのか。
この言説のもとは,UNSCEAR(アンスケア。原子放射線の影響に関する国連科学委員会)の2020/2021報告書にある。報告書は,①日本人の子どもは昆布など海藻を日常よく摂取しているとして,甲状腺ヨウ素取り込み率を著しく低く設定し,②長時間の屋内退避には被ばく低減効果はないにもかかわらず,屋内退避そのものに大きな効果があるとし,③食品や農産物への対策は効果的に実施されたため,食品の経口摂取による初期被ばくは無視できるとして,飲料のみで算定するなど,およそ非科学的で非常識な評価法で著しく低い被ばく量推定値を導き出している *。この推定結果を国が利用し,そして,メディアがこれを広めているのである。
2022年,福島で放射性物質の影響により甲状腺がんになった7人の若者が,東京電力ホールディングス(東電)に損害賠償を求めて東京地裁へ提訴した。この「311子ども甲状腺がん裁判」の原告の一人は言う。「自分よりも小さい子たちも甲状腺がんになって苦しんでいる。だから,その子たちのためにも,先に大人になった自分たちが裁判を起こして,勝訴して,全員がしっかりとサポートを受けられるようにしたい」
この原告の若者の訴えに呼応して,ある福島県からの避難者は言う。「『被ばく被害』を,たった7名の,病を抱える当時の子どもたちに背負わせている現状に,どうして落ち着いていることができるだろうか」**。
しかし,被告・東電は,自分たちに実に都合のよい,上述UNSCEARの推定値を引用して,そして次のように主張したのである。「原告らの被ばく線量は,甲状腺等価線量で10ミリシーベルト以下と推定され,被ばくにより甲状腺がんが招来されたという関係は認められない」。
小児甲状腺がんは100万人に1人から2人という希少な病気である。ところが,福島県では事故後,300人以上がその希少な病気だと診断されている。甲状腺がん多発という事実にくわえ,甲状腺がんは,個人の被ばく量と地域線量(避難区域,中通り,いわき相馬,会津別)に比例しているという事実も明らかになっている。福島の子どもの甲状腺がんは原発事故による被ばくであることは明白だが,東電はこれを認めない。
関東を襲った放射性プルームと広域環境汚染
3月15日,大量に放出された放射性セシウムは,関東地方へ運ばれた後,午後,向きを変えて北関東へ運ばれ,降雨で地表に降下した。こうして茨城県,千葉県,群馬県,栃木県の各地でホットスポットが形成された。地表に落ちた放射性セシウムは土壌に沈着する。それらはほとんどが不溶性で,風や自動車の通行,農作業などで空気中に再び舞い上がる。これを吸入した場合,生体内に長く留まるとされる ***。
図5は土壌汚染度の分布を示したものである。2011年,福島県を中心に宮城県,関東地方で広域的に土壌が汚染された。2024年,汚染度は全体的に低下したが,東日本を覆って土壌は汚染されつづけている。図が示しているのは,東日本の数千万人の人々が原発事故由来の放射性物質で汚染された環境のなかで住まうことを余儀なくされているという事実である。
2011年
2024年
2111年
図5 東日本ベクレル測定マップ
(セシウム134+137合算,NPO法人みんなのデータサイト 東日本土壌ベクレル測定プロジェクト)
2011年3月4日,茨城県内で帝王切開で出産したAさんの陳情
被ばく量の推定には,人々の生活環境に降り注いだ放射性物質のもとで,どこで何をしていたか,何時間そこにいたか,何を食べたか飲んだか,子どもたちはどこで何をしていたか,何時間そこにいたか,何を食べたか飲んだか,といった記録が重要である。
しかし,住民の甲状腺計測とスクリーニングは,福島県内の避難指定区域外で1,000人余りの子どもに実施されただけである。県外では実施されていない。住民は,被ばくリスクを知らされなかった。だから記録が大切だということを知らないし,記録を残していない。被ばく量は推定できないから,リスクの大きさも明らかにされないままになった。こうして,被ばく量はチェルノブイリよりはるかに少なかったという言説が,簡単に広く信じられる素地ができた。
次に紹介する水戸市在住のAさんの話は,低線量被ばく地域の問題を浮かび上がらせている。Aさんは,2011年3月4日,茨城県笠間市(福島第一原発から136km)で帝王切開により男児を出産した。Aさんは,冒頭で紹介した水戸地裁で当時の思い,原発再稼働に対する考えを陳述した。陳述書は8枚にわたる長い内容である。その一部を引用したい。
震災後数日は電気もガスも止まってしまいました。3月14日に電気が復旧しましたが,水道は19日まで断水していたため,長男を沐浴させることもできませんでした。3月17日に小学校は再開し,長女は学校へ行くようになりました。二女もしばらくは保育園をお休みしましたが,「家にいてもつまらないから」と三連休あけの3月22日の火曜日から登園するようになりました。
当時はあまりネットで情報をみることがなかったため,あとから知ったことですが,ちょうどこのころ福島から流れてきた放射能が茨城の空を覆っていました。目に見えないとはいえ,こどもたちを通学・登園で被ばくさせてしまったのではないかと後悔しています。
原発事故の不穏な情報や余震も多く,落ち着かない日々を過ごしました。そんな中でも長男の母乳育児が軌道に乗ってきた3月下旬ごろのことでした。 「つくばのお母さんの母乳からセシウムが検出された」というニュースが目に 飛び込んでました。つくばといえば笠間からもそう遠くはなく,つくばのお母さんで検出されるならば,自分の母乳からも間違いなくセシウムが検出され るだろうと思いました。当時は粉ミルクの放射能汚染も日々報道されていいました。自分は母乳をこのまま与え続けていいのか?だからといって粉ミルクを与えることなどできない,こどもに何をあたえればいいのか毎日葛藤しました。
前述のとおり,産前からこれは自分の最後の母乳育児だからと周到に用意してきたものでしたが,その想いは千々に壊されてしまいました。その後は食べ物に気を付けるなどして,母乳育児を続けてきたものですが,本来ならば安全で安心だあるべきものが,こうして母親にも子供にも不安を与えるものになってしまうとは,今でも悔しくて,悔しくてたまりません。この大切な時間を「返してほしい」と思いますがもう返ってきません。
Aさんはいくつもの葛藤を陳述した。その葛藤は以下のようなものである。福島第一原発でのメルトダウン進行が報道されるなか,①東海第二原発も危険な状況だと父親に避難を勧められたが,術後の体では,新生児と幼児,小学生,義祖母を抱えて避難するという選択はできなかった,②たとえ避難するとしても,子どもに被ばくさせず避難することはできない,③自分の母乳が汚染されているのではという不安に怯えたが,粉ミルクの汚染も報道され,母乳育児しか選択肢はなかった,④自宅の庭や周辺環境で線量を測って高線量区域を確認し,子どもたちの安全な遊び環境の確保のために学校の先生にも線量の高い場所を手紙で知らせて対応をお願いした,などである。
Aさんは言う。
ただひとついえるのはどちらの道を選んでも,こどもを被ばくさせずに,避難することもその場にいることもできなかった,放射能から逃れることはできなかったということです。
本来であれば,JCO臨界事故で気がつかないといけなかったのだと思います。一度暴走を始めた放射能は人間の力ではとめようがない,原発と人間は共存しえないという教訓が生かされませんでした。東海第二原発は,40年を超えた老朽原発です。東日本大震災で被災をした原発です。一度動かしたらなにが起きるかわからない,何かが起きてもただちに安全に止めることはできません。もう二度と原発事故はごめんです。こういう想いもしたくない,だれにもさせたくない,何よりも子どもたちの未来に危険を残したくない,という一心でこの裁判に関わってきました。
後でAさんから教えてもらったことだが,水戸地裁でAさんがこの陳情書を読み上げていたとき,横に座っていた海渡雄一弁護士は涙を浮かべていたという。筆者もこの陳情書を送ってもらって読み,胸を揺すられた。事故時,筆者の息子はすでに成人しており,息子には影響がない,幸運だったなどとして,低線量被ばくの問題を深く考えることなくすごしてきた。乳幼児をもつ女性の苦しみを想像することができなかったのである。
筆者は,「新建研究集会in奈良」環境分科会で,陳情書を読み上げて皆で考える場としたいと考えた。全8枚を読む時間はないので,うち2枚分を選んだ。事故発生2日後以降の,避難が必要かもしれないが術後の自分にはとても無理だった,つくばのお母さんの母乳汚染が報道され,粉ミルクの汚染も明らかになったが,自分には母乳以外に選択肢がなかった,要するに,避難も新生児授乳も安全側への選択肢は何もなかった,というくだりである。
会場はしんとなっていた。静かに耳を傾けて聴いてくださった参加者の様子に,筆者が逆に感動した。Aさんの訴えが皆さんに届いたのだと思った。
さいごに
加藤聡子は,UNSCEAR報告批判と,福島の甲状腺がん分析を報告した後,次のように述べる**** 。原発の過酷事故が起きても,国と事業者は危険を知らせない,ヨウ素剤を服用させない,被ばくさせるに任せる。事故後は被ばく被害を認めない,全て風評被害とする,こうして,原発回帰へ急展開する。加藤は,さらにくわえる。「福島で成功を修めたら原発事故の際に必ず繰り返されるであろう」。これが,避難者と住民からみた原発事故の実態である。
原発事故の環境問題は,福島だけの問題ではない。甲状腺がんで苦しんでいる若い人たちを支えるためにも,私たちは福島の被ばく者,避難者,被災者の声にもっと,そして絶えず耳を傾けなければいけない。
原発再稼働問題は,原発のある地域だけの問題ではない。事故が起これば必ず広大な低線量被ばく地域が生まれる。低線量被ばくの危険は知らされないから問題にもされないが,本行忠志は,最近の科学的知見を加えて,低線量被ばくは危険であると警告している*****。
本行のこの警告を踏まえれば,私たちは,低線量被ばくによる健康被害の問題にも深く関心を寄せる必要がある。健康被害だけではない。Aさんが訴えたように,低線量被ばく地域で生活するということは,地域生活の安全性と安心に向き合いつづければならないということである。私たちは学びつづけなければならない。
* 本行忠志「福島原発事故による被ばくに関するUNSCEAR推定値と1,080名実測値および低線量被ばくについての考察」,福島原発事故による甲状腺被ばくの真相を明らかにする会『なぜ福島の甲状腺がんは増え続けるのか?:UNSCEAR報告書の問題点と被ばくの深刻な現実』,耕文社,2024
** るる「被ばくによる健康被害と向きあって」,福島原発事故による甲状腺被ばくの真相を明らかにする会『なぜ福島の甲状腺がんは増え続けるのか?:UNSCEAR報告書の問題点と被ばくの深刻な現実』,耕文社,2024
*** R. Ikehara, et al.: Abundance and distribution of radioactive cesium-rich microparticles released from the Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant into the environment, Chemosphere 241, 125019,2020
**** 加藤聡子「チェルノブイリ並み初期被ばくにより多発した福島甲状腺がん」,福島原発事故による甲状腺被ばくの真相を明らかにする会『チェルノブイリ並み初期被ばくで多発する福島甲状腺がん:線量過小評価で墓穴をほったUNSCEAR報告』,耕文社,2023
***** 前掲書*
『建築とまちづくり』2025年2月号
0コメント