県立奈良高校校舎の耐震改修を工事せずに解決するという計画 その2
5月28日の記事の続きである。まずは,県教育委員会が発表した<平城高校強制閉校+未耐震奈良高校計画移転>という暴力計画のあらましを書いておく。
奈良県教育委員会は,2018年6月,奈良県立平城高校を閉校させ,県立奈良高校が平城高校の校舎に移転する計画を発表した。この計画は,奈良高校校舎の耐震改修を今日まで40年近くも放置してきたツケを,なんの関係もない平城高校に回すというもので,平城高校を強制閉校し奈良高校へ校舎を譲り渡す。計画は,さっそく2019年度から実施され,平城高校の生徒募集が停止される。2021年度終了時に生徒をゼロにしたところで,翌2022年度4月,奈良高校の全面移転を実施するという。
この計画に反対する「奈良県立平城高等学校同窓会」は4万人以上の反対署名を集め,2019年4月,平城高校の一部生徒や保護者数人が,奈良県に対して廃校を定めた県条例の取り消し請求,同条例の執行停止を求める訴訟を起こした。
私は,学校は,生徒にとって大切な場所だが,卒業後はもっと大切な場所になる,ということを理解する経験をした。10年以上前のことになるが,大学4年のゼミ生とともに卒業研究のために水戸駅から電車に乗って日立駅(茨城県日立市)に降りたときのことである。学生は,日立駅は3年間通った高校のある駅だと言い「懐かしい」とつぶやいた。卒業してまだ4年もたっていないから懐かしいというほどでもないだろうと思ったが,振り向くと,胸にこみ上げるものがあったらしく目に涙を溜めていた。その涙にはびっくりしたが,母校とはそういうもので,そういうところだと理解した。私も母校,奈良高校を訪れたら胸がつまるような思いになる気がする。
奈良県教育委員会の計画をみていると,県教育委員会はまるで学校をハコ,生徒をコマとして扱っているように見える。今回は,卒業者の立場から学校のもつ意味を考えた。
学校は,市民生活を支え市民の利益のために提供される公共施設の一つだが,役所や図書館,ホールのような誰でも使える公共施設とは異なる。学校は,生徒や児童が集団のなかで学び成長することを目標にして提供される教育施設で,集団による学びの場,生活の場である。教育の効果を確保するために,一日,3年間,生徒は施設を専用的,排他的に利用する。このような濃密な使い方をとおして,学校は生徒たちにとって特別な場所になっていく。だから,卒業しても,教師が入れ替わっても,そこを「母校」と呼び,母校への思いはずっと心に深く刻まれる。
学生は,日立駅に降りただけで涙を溜めた。母校を目の前にしたわけではないのに。母校がそこにあり,そこへ近づいた,それだけで心が震えた。学校はそこにあるということが大切だということだ。そこにいたるもの,そこにかかわるもの,たとえば駅,商店街,道,畑,川,土手,遠景の山,坂道,学校の正門,校舎,校庭,裏山などさまざまな要素が母校に結びついている。そしてそこに教師もいる。学校は,役所や美術館のような公共施設とはまったく異なって,学校施設そのものだけでなくさまざまな要素で満ちている。
平城高校の強制閉校は,生徒から学校を奪う。卒業生たちから母校を奪う。奈良高校の生徒と卒業生も,学校と母校を失う。奈良高校の生徒と卒業生は誰も,強制閉校された平城高校に計画移転させられても,そこを母校と呼ばないだろう。
教育行政は,生徒に教育施設というハコを提供するだけではない,もっと深く大切なものを生徒の心に育む場を提供する事業を含んでいる。学校施設の耐震化問題を理由にして,生徒の教育の場を荒らしてはいけない。
5月28日の記事の投稿のあと,平城高校校友会から情報をもらった。私の間違いがわかったので,ここで修正をしておきたい。
登美ヶ丘高校と西の京高校では,生徒募集が停止され,新しい学校の生徒が入学してくる。私は,その間の2年間,学校文化は新しい学校に一部(または全部)継承されるだろう,と甘い期待を書いた。しかし,予定されている計画はそんな甘いものではないようだ。
伝聞だが,登美ヶ丘高校では,この間,1学舎2校体制をしき,登美ヶ丘高校の生徒が全て卒業した後に校則を策定,同窓会が設営され,西の京高校は,県立高校から奈良県立大学付属高校となって運営母体は大学に移転するという。
0コメント