東海モデルと玄海原発

原発サイトには絶対,住宅地を近づけてはならない。ところが,日本では,サイト周辺に住宅が建ち,コンビニも建っている,という異様な光景が全国の原発立地地域でみられる。

東海村の原発サイト周辺はそのもっとも顕著な例で,住宅をはじめファミリーレストラン,郵便局,ジムもある。このような状況を生み出したのが「東海モデル」である。東海モデルとは筆者が名づけたものだが,東海原発立地をモデルとする周辺開発規制なしの原発立地のことである *。この東海モデルは,全国の原発立地地域に広がっているが,その先端をすすんでいるのが,他ならぬ東海村ということだ。

実際に,全国の立地地域ではどのような市街地が形成されているのだろうか。7月,筆者は,佐賀県玄海町の原発サイト周辺を歩いた。東海村の原発サイト周辺と比較し,東海モデルは原発立地地域でどんな役割を果たしたのかを考える。

まずは,東海モデルが生み出された当時の事情を振り返る。意外に思われるが,周辺開発規制なしの東海モデルは国が主導してつくったモデルではない。国の方針は,原子力委員会は,東海原発の設置に当たって,住民の安全確保のために,周辺開発に規制をかけることを検討していたのである。検討の末まとめられた答申には,原発2km圏を取り囲むグリーンベルト構想が盛り込まれていた(1964年)。ここで言うグリーンベルトとは,原発周辺の農地や緑地の開発を規制し保全する区域である(図1)

下図は,都市の拡大を抑制するという本来の目的のグリーンベルトを説明する図に,原発の図を挿入してみたものである。原発をグリーンベルトで囲み,周辺から開発が押し寄せるのを防ぐという役割を持つグリーンベルトである。

図1 原発を囲むグリーンベルト構想(科学技術振興機構HPの図を利用した)


グリーンベルトの外側6km圏内も,住宅地開発を規制し,設置できるのは工場などに限定された。このように二重の構成によって,原発に住宅地を近づけないための厳しい土地利用規制が構想されていたのである。

ところが,茨城県は,農業県から脱皮して,あたり一帯を原子力工業地帯として開発していくという計画を描いていたから,原子力委員会による,東海村のほぼ全域をカバーする原発の6km圏の開発規制は到底,受け入れられなかった。

グリーンベルトはその名の通り,ドーナツ型の緑地保全地区で原発を取り囲むことが重要だが,答申を踏まえながらも県がつくった計画は,原発周辺の緑地と公園14か所を指定しただけだった(1965年)。これら部分的ながらも保全指定箇所を永続的に保全する決定をしないまま,1970年代には,指定緑地を転換して,つくってはいけない戸建て住宅団地がつくられ,工場団地も開発された。

指定された14か所の緑地,公園のうち現在,永続的な都市公園に指定されているのは,阿漕ケ浦公園と白方公園だけになってしまった。村は,東海原発立地に際して,サイト至近にあった村松小学校は早々と移転させたが,既述のように,大規模住宅団地や原子力関連事業者の給与住宅団地,バラ建ち住宅は許可し,ファミリーレストランやコンビニなどの生活利便施設も原発に近づいて建てられ,すっかり市街地になってしまった。

要するに,原発や再処理施設などが集中する原子力センター建設の地,東海村で,グリーンベルト構想が提示された意味はたいへん大きかったが,茨城県の主導で,周辺開発規制なしの東海モデルが全国に浸透していくことになったのである。

その全国の原発立地地域は,原子力施設が集積する東海村とは異なって,その多くが原発だけである。原発事業者は,原発を市街地から離れた農漁業の地域に立地させることが多かったから,東海モデルに倣う必要はなかったかもしれない。サイト周辺は実際のところ,どのような状況になっているのだろうか。

筆者が訪れた玄海原発は,佐賀県玄海町の北部,玄界灘に面する東松浦半島の岬,値賀崎に立地している。原発4基が立地しているが,サイト周辺には原発関連労働者のための民宿,旅館,社員寮をはじめ小売店,ガソリンスタンドなどが立地し,小さいが沿道市街地が形成されていた。

つまり,原子力施設が集中する原子力センターは当然だが,原発だけの立地地域でも,原発が立地,稼働することによって,住宅や宿泊施設の需要が発生する。これらの需要に応えて住宅が建ち,各種の生活利便施設が建っていくのである。これを可能にしたのが,東海モデルが示した規制なしサイト周辺開発である。周辺開発規制がないから,サイトから離れた地価の高い都市で供給しなくて済む。

玄海原発の場合,サイト周辺の市街化は,どのぐらい人口を呼び寄せているだろうか。原発が立地する外津区(ほかわづ・く)と町役場がある諸浦区(もろうら・く)を比べてみた。外津区は人口698人,363世帯(1.9人/世帯),諸浦区は人口372人,135世帯(2.8人/世帯)である(2016年3月31日)。人口では,外津区は諸浦区の2倍近い。世帯規模では,諸浦区より世帯当たりおよそ1人少ない。外津区は,原発によって人口が呼び寄せられており,小規模な世帯が多数住む区となっている。

では,全国の原発立地自治体で,サイト周辺の開発規制をしているところはないのだろうか。立地自治体の用途地域を調べてみた。用途地域とは,土地利用を住居系,商業系,工業系に分けて,用途の混在を避けてそれぞれの機能がよく発揮できることを目的とした土地利用規制のことである。

東海村と六ヶ所村の2村で,サイトが工業系の用途地域に指定されていた。東海村では,原発サイトは工業専用地域に,サイト周辺は,住宅建設が原則的に規制されている市街化調整区域に指定されているが(図2),規制緩和がすすんでいるため,冒頭で示したようにサイト周辺は住宅地化している。東海村では,都市計画規制がまったく機能していないのである。

図2 東海村の用途地域図 ** (水色と紫が工業系用途地域)


六ヶ所村では,サイトは工業専用地域ほか工業系用途地域に指定されている。驚くのが,工業系の用途地域は市街地の大部分を占有していることである(図3)。住居系と商業系の市街地は,村役場のあたりと,村の西南端,工業専用地域の南に隣接する地区にある。役場が立地する旧市街地は,役場記号に隠れるほど小さい。六ヶ所村は核燃料サイクル施設のための村と化している。

図3 六ヶ所村の用途地域図 **


東海村と六ヶ所村のほかには玄海町をはじめ,原発サイトが工業系用途地域に指定されている自治体は見当たらなかった。玄海町は,都市計画区域がない。

ここまで,東海モデルは原発立地地域でどのような形で現れているのかを,東海村と玄海町を比較しつつみてきた。まとめたい。

玄海町で見られるように都市計画規制ゼロの原発立地地域では,サイト周辺の開発を規制しなければならないところを,まったく逆に開発が進行した。都市計画規制をしている東海村でも,規制は効いていない。結局,都市計画規制ゼロの場合は当然だが,都市計画規制があっても,サイト周辺の市街化はすすめられている。そのベースには,東海モデルで示された周辺開発規制なしの原発立地があった。

こうして,サイト周辺で住宅地がつくられそこで人々が生活する光景が全国で広がった。筆者は,ここに,東海モデルが果たしたもう一つの役割を見ている。原発周辺に市街地をつくっても安全でまったく大丈夫,という原発の安全神話の定着に貢献したという側面である。


*     乾 康代『原発都市 歪められた都市開発の未来』幻冬社ルネッサンス新書,2018
** MapExpert 作成の図を引用。


(原電茨城事務所前抗議行動「星空講義」10,2019年7月19日)


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