私の「原発都市」研究と再稼働反対活動

2019年11月,新建築家技術者集団全国大会で,新建賞2019年大賞を受賞しました。受賞対象は,「著作『原発都市  歪められた都市開発の未来』と原発のない持続可能で安全な住環境づくりに向けた対話活動」。大賞受賞に際して次のような審査評をいただきました *。

研究の蓄積にもとづいた好著で,原発なしの展望を描いている点で優れ,また今日の情勢下で勇気ある著作。著作だけでも評価に値しますが,その後,市民に開いて活動を行なっている点で,全員から高く評価され,大賞に決まりました。

『建築とまちづくり』(2020年2月号)に書いた取り組みの経緯と今後の抱負をこちらにも掲載します。


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拙著『原発都市 歪められた都市開発の未来』と,原発のない住環境を目指して取り組んできた活動に対して新建賞2019年大賞をいただきました。私の人生でこれほどにない喜びでした。ありがとうございました。以下に,『原発都市』研究と,『原発都市』以後の活動を説明したいと思います。


茨城県東海村で見た原子力開発のおかしさ

悲惨な原発事故からまだ間もない2014年11月,私は,日本都市計画学会で「原子力発電所の立地規制と地帯整備基本計画 ―わが国最初の東海原子力発電所の立地過程―」を発表しました。この時,発表を聞いてくれた研究者は5人程度。関心をもたれることがほとんどない研究の出発でした。

それでも,原発の過酷事故というこれ以上はない事故が起きたからには,この研究は,原発の立地地域の今後を見据えるための大切な研究だという信念を抱いて,毎年一つずつ研究課題をこなしていきました。そして2018年10月に出したのが『原発都市』です。

研究のきっかけは,もちろん2011年3月の福島第一原発事故です。しかし,研究の芽ばえは,2003年ごろ,初めて茨城県東海村を訪れた時にありました。村役場から講演を依頼され,車で村を案内していただきました。その時,案内されたのは村内の田園地帯と3つの戸建て団地で,原子力研究所(原研,現 日本原子力研究開発機構)と原発の案内や説明はありませんでした。

原子力の村として原研と原発の説明なしにこの村を理解することはできませんが,その日,原発サイトに近づくことはありませんでした。しかし,原発2基の排気筒はどこからも見え,原発が住宅地に取り囲まれているという異常な状況はすぐに理解できました(写真1)

写真1 住宅地に取り囲まれる東海第二原発(左)と東海原発(右)=2018年8月15日、東海村役場屋上より撮影


原発の国策に切り込む研究の芽ばえ

どうして,こんな危険な状況が生まれ今日まで放置されているのか。これが私の中に「原発都市」研究が芽ばえた時でした。

振り返れば60年前,商業原発の設置を急ぐあまり,国は原発にかかわる都市計画規制の議論を尽くさず,結局,都市計画規制のないまま東海原発が設置されました。この時の東海原発の設置実績が,原発を全国に広げたい原子力ムラにとっては都合のよい先例となって,全国17か所に開発規制のないままの原発立地がすすめられました。

私の中に芽ばえた研究課題は,都市計画の理念を無視する,日本の原子力発電所立地と開発規制のあり方を分析する研究で,したがって,原発の国策に切り込むことになる研究でした。しかし,私には権力批判につながるこの研究に着手する勇気が持てず,実のところ10年近くも足踏みをしていました。前に向かって進む決意をしたのは,皮肉なことですが福島第一原発事故が起こった時でした。


「原発都市」研究への着手と展開

長い足踏み状態の間,私は,農村地域の住宅建設動向,村民72人の来し方を聞き取るオーラルヒストリー,JCO臨界事故による村民の居住動向などの調査をしながら,東海村の農村構造の理解を深めていきました。

そして,2011年3月、想像さえしなかった福島第一原発事故が起こりました。私は長い足踏み状態から脱出して,東海村における原発立地と開発規制に関する調査研究を始めました。

この研究が一段落すると,廃炉になった原発立地地域の地域再生の方向を考える研究として,2015年からはドイツ,イギリス,そして地元日本のいくつかの原発立地自治体での調査を行いました。ドイツでは,旧東ドイツ地域のルブミン村を訪れ,村長,廃炉会社会長,村進出企業関係者,観光業者など様々な方々へのインタビュー調査と,村民へのアンケート調査を実施しました(写真2)

写真2 リープヘル社の人たちと=2017年9月19日,原子炉タービン建屋を転用した工場内で,ドイツ・ルブミン村


これまでの研究で明らかになったことは,①東海村の開発計画は,茨城県や東海村ではなく,原子力産業会議(原産)で作られ,原産傘下の不動産事業者によって事業が進行したこと,②東海村でできあがった都市計画規制なしの原発立地は,いわば「東海モデル」として全国に広がっていったこと, ③「東海モデル」は,原発周辺に市街地をつくっても安全,という原発の安全神話の定着に貢献したこと,④廃炉後の地域再生に成功したルブミン村は,健全な財政力を取り戻して人口の大幅な回復と観光振興にも成功したことを示し,これらから原発立地地域の再生の方向を探るための指針を示しました。


原発反対運動で始めた「星空講義」と対話活動

今,原発再稼働反対の運動が全国で展開されています。私は,茨城大学を退職した翌月の2019年4月から,毎週金曜夕方に行われる,日本原子力発電(原電)茨城事務所前抗議行動に参加を始めました(写真3)


写真3 原電茨城事務所前の金曜行動=2018年8月30日

(サイズの関係で掲載できませんでした)


ここで始めたのが「星空講義」です。3,000字程度の原稿を用意し,その要約を10分ほどで話しています。内容は,『原発都市』以後の研究報告や原発関連のトピックです。

星空講義では,聴いてくれている人たちから,共感や同意の「そうだ」とか太鼓の「ドンドン」が返ってきます。講義が終われば,新たな情報や資料を提供してもらうことがあり,それが次の講義のヒントになります。学校の教室では経験したことのない,講義者と聞く人との間で響きあう「講義」です。

毎週,原発ネタで研究成果やトピックを探し原稿を用意するのは,結構大変なことです。「星空講義」だけで披露するのはもったいない,さらに広く読んでもらおうと考え,同年5月,ブログ「須和間の夕日」を開設しました。これまでに掲載した記事は50題を超えました。


さいごに

はしなくも東海村の案内で原発立地のおかしさに気づいたことから始まった私の「原発都市」研究。足踏み期の東海村での農村研究から数えれば,なんと15年を超えました。私の研究で,これほどに長く継続した研究はほかにありません。

その大部分は一人ぼっちの孤独な調査研究でしたが,「星空講義」を始めてからは対話でつなぐ楽しい研究に変わりました。5年前は,たった5人の研究者の前でした学会発表でしたが,今では,数10人の市民の前で響きあう講義になりました。真冬の星空講義は,話す方も聞く方も辛いものがありますが,新建賞大賞の受賞に際していただいた言葉を胸に,今後も研究と対話をつづけたいと考えています。


* 中島明子「第13回新建賞2019審査・表彰と課題」『建築とまちづくり』2020年2月号


2019年12月,復興デザイン会議では最優秀論文賞をいただきましたが,受賞対象となった主な論文は,以下のツイッターに載せています。

https://twitter.com/musashimutsuko/status/1203903124680761345


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