東海村の住宅地を守り,都市を守る

去年4月から始めた星空講義は今回で30回目を迎えた。最終のこの回は,星空講義を始めるきっかけになった1年前のスピーチをきちんとまとめることにした。


2019年4月始め,東海村に住む川崎あつ子さんのツイッターを読んだ。

私が嫁いできた東海第2原発から960メートルの我が家は,原発などないその昔からこの地にありました。我が夫が,我が家の後ろの常会の方で原発稼働後,家を建て住み着いた方から,「原発反対!言うならここから出ていけばいいんだよ」と言われたそうです。夫はむしろ後から建てた原発こそ無くすべきだと (2019年3月30日)

写真1と2は,川崎さんが自宅の窓から撮影した東海第二原発の写真である。写真1は2019年3月,写真2は2020年2月に撮影された。1年前,畑だったが,現在,原電が「安全対策工事」と称する再稼動対策工事をすすめるために,あたり一面,工事関係者用の駐車場となった。

            写真1 東海第二原発と畑(川崎さん撮影,2019年3月)          

写真2 東海第二原発と駐車場(川崎さん撮影,2020年2月)


東海村のアメニティが危機に直面している。ホテルのバスルームグッズのことではない。住環境の質のことだ。昨今,よく使われるようになったアメニティだが,そもそも日本では,住環境の質を守り高める思想を積み重ねてこなかった。私は,川崎さんのツイートを取り上げ,アメニティという概念を引用しながら川崎さんの主張は正しいとスピーチした。

アメニティは,イギリス近代都市計画上のもっとも重要な概念のひとつである。住宅及び都市計画法(Housing, Town Planning,etc. Act,1909年)はイギリス最初の都市計画法で,法の目標にはアメニティが位置づけられている。

CambridgeやLONGMANでは,アメニティは,環境の好ましさや快適であることなどと定義されている *。渡辺俊一が,イギリス都市計画におけるアメニティとは何かと論を立てて,さらに分かりやすく説明している **。

住宅地では,製材所や自動車修理工場などの騒音がうるさいとか,豚小屋の悪臭や蠅が不快であるとか,工場のほこりや煤煙が煩わしいとか,商業施設のざわついた感じであるとか,これらはいずれも「アメニティを害する」とされる。
田園地帯における住宅・住宅群もいけない。デザインや配置の悪い建物もアメニティを害する。広告の掲示も,自分の敷地内といえども厳しく規制される。
また,歴史的建造物のように特定の魅力・興味ある建築物を勝手に改造したり,壊したりすることも問題となる。樹木に関しても厳しく規制しており,むやみに切ってはいけない,切る場合は必ず樹木する,ということもアメニティの名の下に行われている。
さらに,交通上ボトルネックを生じさせるような開発形態や,近隣施設(商店,学校,オープンスペースなど)を十分に備えていない住宅地開発も,アメニティの点で問題があるとされる。

このように,イギリスでは,アメニティの名の下で,環境の改変を厳しく規制し,価値ある環境の保全を大切にしている。実際のところ,イギリスの開発概念は実に広い。建築行為のほか建築物の用途変更,外壁の色彩の大幅な変更,地表面のゴミの集積など,実質的な土地利用変更すべてを指す。これらが規制対象になる。

対する日本の開発概念は著しく狭い。開発行為とされるのは,建築物の建築と,特定工作物の建設と建設を目的とした土地の区画形質の変更だけである(都市計画法)。開発規制の対象はごく狭く,したがって規制は大変ゆるい。

イギリスで,これほどに厳しく開発を規制するようになったのは,産業革命から19世紀に至って形成された目を覆うばかりの劣悪な都市環境に,その淵源を求めることができる。

1は,都市計画の教科書でよく取り上げられる,労働者階級の居住区の住環境を描いた版画である。

石造またはレンガ造の住宅は,間口2m余りほどの長屋式住宅で,狭い裏庭がついている。裏庭にぶら下がる洗濯物の周りには,5,6人の人影が見える。1住戸に5,6人以上が住んでいるようだ。図の奥には,蒸気機関車が,大量の黒い煙を吐きながら住宅の上を走っている様子が描かれている。都市開発への有効な規制なし,工場公害野放しロンドンの地獄絵のような図である。

労働者家族は,煤煙で汚れた大気のもと,超密に建てられて緑も公園もまったくない居住区の中,陽は差さず風も通らない,極度に不健康な住宅で,過密居住を強いられていた。

            図1 ロンドンの労働者居住区(版画,1872年)


1909年の住宅及び都市計画法は,都市のこの劣悪な住環境から逃れ,田園に緑あふれる住環境を求めた中産階級向けの住宅地開発を計画する制度として生まれた。アメニティは,この法実現の目的と位置づけられたのである。

何がアメニティかは歴史,風土,文化により,したがって地域によって異なる。アメニティの概念の幅は広い。また,アメニティは,地域のコミュニティによって共通了解されているものである ***。アメニティは定義できないといわれる所以でもある。

では,アメニティの観点から東海村を振り返ってみたい。

東海村に日本原子力研究所(原研)を設置することが決められたのは1956年である。当時の村人口1.2万人,農業人口比率75%,耕地率68%の農業の村であった。

原研設置が決まったのは,東京から2時間以内のアクセス,地盤がよく地震の頻度が少ない,水量が豊富であること,という選定基準に合致したからである。これらは後付けに過ぎないが,太平洋に面している広大な防砂林を敷地に利用でき,利水の便がよく,人口も少ない東海村の農村環境が好ましいとされたのは確かである。鉱毒と煤煙公害が深刻だった隣の日立市とは対照的な,貴重で美しい田園環境であった。

東海村では,原研設置の後,東海原発,東海第二原発をはじめとして,原子力関係施設が村内のあちこちに立地するようになった。同時に,住宅地需要も高まり,都市計画規制なしのまま,住宅地は,原発の近くにつくられ,あるいは利便性を高めるためにあえて原発のすぐ隣につくられていった ****。東海村の住宅地のこうしたつくられ方は,アメニティに反しているということが見えるだろう。

原発の安全神話が機能しているうちは,あまり問題にならなかったが,3.11後,事態は大きく変わった。安全神話は崩れ,原発の「安全対策工事」にくわえ,避難計画も求められるようになった。今や,地域に原発があるとは巨大な環境リスクを抱えるということであり,常に不安を抱えながら暮らすということ,コミュニティにとって大切な環境の保全に反した行動する悩ましい原発事業者がいるということ,老朽原発を再稼働させるために環境負荷を高める巨大な構造物の建設を受忍しなければならないことになった。そのことが誰の目にも鮮明になった。

現在,東海村民の相当割合が原子力事業所とつながりを持っており,あるいは直接の雇用関係にある。だから,ごく普通に,原発の再稼動は東海村の発展にとって欠かせないという言説が流される。環境より利益を求める企業論理を支持する立場だが,原発の再稼動がたとえ実現しても20年もない。それは,村の持続可能性を追求することを放棄する選択なのである。

さて,川崎さんのツイートに戻る。川崎さんの夫が,代々地域に住んでいる自分たちより後からやってきて地域に迷惑な原発こそ無くすべきだというのは,正当な主張だということがよく理解されるだろう。

老朽原発の東海第二原発は,稼動させれば大事故を起こす可能性がある。もはや東海村のアメニティの問題にとどまらない。都市を破滅に導く選択である。都市を破滅に導く選択など絶対にできない。


* Cambridge Dictionary: スイミングプールやショッピングセンターのような,町やホテルまたはその他の場所で,人々の生活をより喜ばしくまたは楽しくまたは快適にするもの(something, such as a swimming pool or shopping centre, that is intended to make life more pleasant or comfortable for the people in a town, hotel, or other place)
LONGMAN Dictionary: ある場所を快適にするまたは住みやすくするもの(something that makes a place comfortable or easy to live in)
** 渡辺俊一「アメニティとは」,都市計画学会編著『アメニティ都市への途』,ぎょうせい,1987年

*** 植田和弘「都市と自然資本・アメニティ」p.13,『岩波講座 都市の再生を考える5 都市のアメニティとエコロジー』,岩波書店,2005年

**** 乾  康代『原発都市 歪められた都市開発の未来』,幻冬舎ルネッサンス新書,2018年



(原電茨城事務所前抗議行動「星空講義」30,2020年2月21日)


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