福島でいま起こっていること

2019年12月,政府は「『復興・創生期間』後における東日本大震災からの復興の基本方針」を閣議決定した。これまでの取り組みの成果を総括し今後の方針を示したものである。方針は,「前例のない手厚い支援により復興は大きく前進した」と大盛りの総括をしたが,福島については,「復興・再生が本格的に始まっている」という控えめな表現にとどめた。

国は,福島の復興と再生はまだ入り口に立っている状況であることを認めたわけだが,2020年1月,政府主催の追悼式典を来年で打ち切ると発表した。被災者支援の打ち切りはすでにすすんでいるところだが,この式典打ち切り発表は次のどんな打ち切りを予告するものになるのだろうか。

本稿は,これらの事態を見据えながら,これまでの報道,被災者や支援団体の発信などをもとにして,改めて福島の復興と再生はどこまですすんでいるのか,何が問題か,私たちは福島から何を学び,どう考えていくことが求められているのかを考える。


見通しのつかない廃炉作業

最長40年と計画された廃炉作業は,2020年3月,10年目に入った。廃炉作業には,①汚染水対策,②使用済み燃料プールからの燃料取り出し,③1〜3号機の炉内で溶け落ちて固まった核燃料(デブリ)の取り出し,④廃棄物対策,があるが。作業はどこまですすみ,どんな課題が立ち現れているのかを概観する。

炉内で放射性物質により汚染されて増えつづけている汚染水については,その発生,処理,処分のそれぞれの段階できわめて深刻な問題が発生している。建屋内へ流入する地下水量が削減できていないこと,多核種除去設備(ALPS)によってもトリチウムが除去できないこと,2022年ごろにサイト内タンク貯蔵が限度に達すること,今年20年の夏ごろには汚染水処分法を決定しなければならない段階にきていること,そこで,国は,海洋放出法を地元に迫ろうとしていることである。

第二の核燃料プールからの燃料取り出しは,4号機で完了,3号機で作業が始まった。しかし,1,2号機では大量のがれきや高い放射線量に阻まれて作業開始はまだ先である。当初計画から1年ないし5年遅れる見込みとなっている。

燃料プールからの燃料取り出しの先に,第三の問題,デブリの取り出しが待っている。しかし,デブリがどこにどれだけ,どんな状態で存在しているのか,その全容はつかめていない。その上,デブリをどう取り出して,どこに保管するかも決まっていない。


あまりに膨大な放射性廃棄物の処理処分問題

第四の放射性廃棄物対策については,事故炉ゆえの困難な問題が横たわっている。一般の解体廃棄物と異なり,事故炉の各所部材,設備が放射性物質で汚染されていて,汚染レベルが多様であること,処分の安全性評価が困難で,貯蔵と処分場計画のための物量確定が困難であるなどの問題がある。その先の解体廃棄物の最終処分場も未定である。

さらに,これら解体廃棄物とは別に,県内の除染で発生した汚染土約1,400万㎥の処理処分の問題がある。汚染土は双葉町と大熊町にまたがる中間貯蔵施設に搬入されている。ここには,後に述べる,特定復興再生拠点区域(復興拠点区域)からの汚染土が最大で約200万㎥加わる。

環境省は,この膨大な量の汚染土の最終処分量を減らすために,防潮堤など公共工事で再利用できるよう,再利用の濃度基準を8,000ベクレルへと大幅に緩和した。しかし,解体廃棄物の場合,基準は100ベクレル以下である。8,000ベクレルの汚染土が100ベクレルまで減衰するには170年かかり,長期にわたる管理が必要になる。環境省は,再利用実現のため,長期管理問題を討議した時の議事録を改ざんしていたことが発覚した*。中間貯蔵施設で貯蔵された汚染土は30年後,県外移転されるが,最終処分地は決まっていない。


帰還政策は成功しているか

2012年4月,国は,避難指示区域を帰還困難区域,居住制限区域,避難指示解除準備区域の3区域に再編した。線量の低い避難指示解除準備区域から順次,避難指示を解除して,住民を帰還させる狙いである。この帰還政策は成功しているだろうか。

表1は,避難が指示された地域の居住率をまとめたものである。時間の経過とともに生活の再開がすすんでいる **。しかし,より詳細に見ると,5年以上たった田村市都路地区と川内村では8,9割まで戻っているのに対し,楢葉町や葛尾村,南相馬市などでは3年以上たったが6割を超えていない。避難生活が長くなればなるほど,避難先でつくった生活基盤をおいて帰還するという選択は困難になるということであろう。


表1 避難を指示されていた自治体・地区の居住率


居住率が低い上に,いずれも高齢者率が高い。中には65歳以上が60%を超える地区もある。子育て世代が少ないのは,すでに避難先で教育や生活基盤を整えつつあり,帰還を選択しにくくなっているからである。高齢者が多数のコミュニティをどう持続可能なコミュニティにしていくのか,帰還政策の根本的な問題が残っている。


困窮する避難者,県に追い詰められる避難者

一方で,事故から9年たった現在,県内外になお4万人が避難しているとされる。 避難者への住宅無償提供は生活再建の基盤だが,国と県は,これまでに約17,000世帯への住宅提供を打ち切った。2017年3月,避難指示区域の縮小にしたがい区域外避難者(いわゆる自主避難者)に対してなされた住宅提供の打ち切りで,追い詰められてホームレスになる人,自殺を選んだ人が出た。にもかかわらず,県は,国家公務員宿舎東雲住宅(江東区)で居住している避難者に対する提訴方針を固めた。

2020年3月,さらに3,000世帯に対して打ち切りが実施された。2019年末時点,これら3,000世帯の24%は,提供打ち切り後の行き先が決まっていなかった***。

避難者がどのような生活をしているのかをうかがい知ることができる調査がある。福島大学うつくしまふくしま未来支援センターが実施した調査である(対象は双葉郡7町村に住んでいた世帯,2017年2月)。これによれば,生産年齢人口の3割超が無職,若い20,30代でも2割以上が無職と,無職割合がきわめて高かった。また,56.6%がうつ症状に近い状態である。

調査を実施した丹波史紀さん(立命館大学准教授)は,無職割合が高いのは,避難指示がいつ解除されるか先が見通せないこと,避難先を転々としている人が少なくないことがあるという。避難者にうつ症状が多いのは,生活不安と孤立,経済基盤への不安,いじめを受けたりしている人が多いことを示すのであろう。

原発事故で避難を強いられた住民が,東京電力に損害賠償を求めて全国で約30件の裁判を起こしている。2020年3月,南相馬市小高区住民が起こした裁判の東京高裁判決は,一審で認められた慰謝料の上乗せを退けた上,「ふるさと喪失」の慰謝料は認定したものの,精神的損害の少ない避難者の水準に合わせるという理屈で一律低額とした。


地元業者の復興に役立たないイノベーション・コースト構想

2017年,「福島国際研究産業都市(イノベーション・コースト)構想」は,浜通りの全ての市町村,15自治体で新たな産業を起こそうとする国家プロジェクトである。廃炉やロボットなどのほか,水素製造装置の実証運転,石炭ガス化複合発電火力発電所など復興名目の便乗型事業も加わっている。2019年までの3年間で2,300億円という巨額が投入された。

この構想は,2014年6月,赤羽一嘉経済産業副大臣が立ち上げた私的研究会の報告書「世界が注目する浜通りの再生」がもとになっている。構想の旗を振った赤羽氏は,2019年9月,国土交通大臣になった。

この外来型産業起こしは,被災地の産業復興に貢献できるのだろうか。原町商工会議所が地元商工業者を対象に実施した調査報告書(2017年)を見てみたい****。原町商工会議所は,南相馬市小高区や双葉地方(浪江,双葉,大熊,富岡)を商圏とする商工業者の地域組織である。報告書では,①事故から6年経過しているが売り上げは回復しない,②施設・設備の稼働率・営業時間は回復しない,③今後の事業継続が不安定,などの結果と会員の声がまとめられている。

構想では,南相馬市と浪江町は,ロボットテストフィールドの拠点とされている。しかし,これに参入できる地元業者は,分野と技術力から言ってきわめて限定的である。要するに,外来型の産業起こしは,地元商工業者の復興支援には役に立たないのである。


すすまない商工業,農漁業の復興

商工業と農漁業の再開状況はどうか。表2に,商工業者の地元再開率と,2019年の稲作の再開率(作付け面積率)を示した **。商工業者の地元再開率は,川内村では多数の業者が村に戻って営業再開したが,その他では低迷している。農業では,営農再開に備えて農地の表土を入れ替え,除草などの農地保全管理に補助金を出しているが,帰還する農家は増えず,営農再開率はきわめて低い。


表2 2019年の商工業者の地元再開率と稲作の再開率


漁業では,1年以上の全面自粛という苦汁をなめた後,試験操業で少しずつ漁獲量を増やし,本格操業への正念場を迎えようとする段階に入ってきた。そこへ,原発汚染水の海洋放出案が提示された。生業回復に努めてきた地元漁業者を再び突き落とすような提案である。国は,風評被害が避けられないことを認めながらも,この処分案を通そうとしている。


演出される福島の復興

2020年3月14日,原発事故以来9年間不通だったJR常磐線が全線開通した。全線開通は交流人口拡大に期待できるなど明るく報道されている。しかし,これらの報道は問題を捉えられていない。

避難指示区域の中で,放射線量がとくに高く,立ち入りが制限されているのが帰還困難区域である。原発周辺7市町村の総面積の3割に設定された。2016年8月,その帰還困難区域の中に,避難指示を解除し,住民の居住を目指す復興拠点区域が設けられた。

図1に示すように,富岡町,大熊町,双葉町,浪江町の4町に点在する。


図1 避難指示区域と特定復興再生拠点区域(復興庁資料)


双葉町では,汚染土の中間貯蔵施設を取り囲む約555haが指定された。2019年10月,町は,駅周辺を「住む拠点」と位置づけ再開発に着手した。

2020年3月上旬,この復興拠点区域の中でも,J R常磐線の夜ノ森,大野,双葉の3駅とこの区間の線路敷,それらの駅前広場と道路がピンポイントで,避難指示を解除された。つづく3月14日,JR東日本が,原発事故以来不通だった常磐線の全線開通を実施した。再度確認しておきたいが,廃炉サイト至近のこれらの区域は現在も放射線量が非常に高い区域である。

にもかかわらず,あえて復興拠点区域に指定したのは,ここを美しく整備し鉄道を営業運行させるためである。福島から始まる聖火リレー(3月26日予定)と,東京五輪(7月予定)が念頭におかれていた。すべては「復興五輪」に向けた福島復興の演出だった。ここに人々の生活が蘇るのはいつだろうか。


さいごに

福島のいまを,廃炉作業,放射性廃棄物の処理処分,被災者の生活再建,区域外避難者,イノベーション・コースト構想,演出される復興,の側面から見てきた。ここから見えるのは,国は,被災者への復興支援を打ち切り,外来型巨大プロジェクトを推しすすめるという,復興に値しない歪んだ政策である。

原発事故による福島の復興がいかに困難な道であるかは,誰もが理解しているところだが,国はあろうことか,全国の原発を再稼働させようとしている。いま,その台風の目になっている原発が,首都圏の原発,東海第二原発である。東日本大震災で被災した,運転開始40年を超える老朽原発である。この原発の再稼働に対して,地元住民と自治体議会,さらに首都圏住民に反対が広まっているなか,再稼働へのカウントダウンが始まっている。この原発が再稼働し事故を起こしたらどうなるだろうか。

原発になおも固執する日本は,再生可能エネルギーへの転換に舵を切った世界の国々から取り残されつつある。日本の誤れる選択は,いま喫緊の課題になっている持続可能な地球と持続可能な社会の構築からも大きく遅れをとるだろう。地域と地球のために,何を守り,何を伝え,何を発展させていかなければならないか,私たちは,福島のいまを知り,福島から考えていかなければならない。


* 日野行介『除染と国家 21世紀最悪の公共事業』,集英社新書,2018年.
** 東京新聞,「学校の教材に役立つ大図鑑  東京電力福島第一原発事故 9年後のふくしま」,2020年3月8日
*** 青木美希「避難者は『支援』されているか ―実態を見ずに支援を打ち切る政府」,『科学』Vol.90 No.3,岩波書店,2020年3月.
**** 原町商工会議所,「『地域経済産業活性化対策委託費(商工会議所・商工会の広域的な連携強化事業)』報告書」,平成29年3月.


(『建築とまちづくり』No.495,2020 April,新建築家技術者集団)


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