「東海村の安全神話」という神話
原発の安全神話はよく知られているが,「東海村の安全神話」というのがある。どんな神話かというと,「東海村だから,村の原発が大事故を起こすことはない」「東海村は他所とは違って安全」という信念である。
地元界隈で聞かれる。地元以外でも聞かれてびっくりすることがある。原発の安全神話は根深いが,「東海村の安全神話」もたいへん根深いものがある。
そういう私も,東海村に対して囚われていることがあった。今となれば笑い話だが,この際に書こうと思う(ただし,安全神話がらみではない)。
私は2004年ごろ,東海村を初めて伺った。村をみてすぐに,村の人々の生活空間がこれほどに原発やその他原子力施設と隣接していることはとてもおかしく,村の都市計画がとてもおかしい,なぜこんなことになってしまったのか調査研究をしなくてはいけないと思った。
しかし,この村の都市計画を研究するということは,国策に楯突く研究になるから絶対に出来ない,とずっと思い込んでいた。本当に一人で長い間悩んでいた。そこへ3.11に遭遇,研究費を得て調査研究を始めた。
茨城県立歴史館,東海村議会,国会図書館などに通い始め,毎年1本ずつ論文を発表していったが,どこからも誰からも何か言われることはなかった。私の思い過ごしだった。
さて,「東海村の安全神話」のいくつかを紹介する。
▶︎「福島の方はお気の毒だったけど,東海村は特別」(いままで見聞きした中で最強の安全神話)
▶︎「チェルノブイリ原発は,対岸の火事だったんだろうね。事故直後の6月、村は原子力平和利用推進宣言を制定した。原子力のショーウインドーという村の立場を意識したんだろうなあ」(村上前村長,朝日新聞,2012年1月22日)
▶︎「福島は不幸にして1日とかそのくらいでどんどん事故が進展しましたが,東海第二は1基しかなくて,ここにあれだけの安全対策を施して,ここだけを集中的に管理している事業者が,そう簡単に事故を進展させることは考えられません」(山田村長,誌上対談,2019年10月)
▶︎「原研・原燃がある東海村では、他の電力会社による原発立地地域に比べれば、安全が議論されてきたように思えます」(原研・原燃(?)での安全研究でもって,安全議論がなされてきたという見方は,完全な見当違い。いま重要になっているのは,市民的な安全議論。だが,村議会でも村民の間でも安全議論はまったくできていない)
上記の「東海村の安全神話」を分類すれば,①東海村(村民)の文句なしのプライド,②新規制基準への絶対的信頼,③東海村の研究機関への信頼,と分けられようか。
「東海村の安全神話」は,原発の安全神話を前提にしている。その意味では,完璧な安全神話だ。さらに,地元愛や地元の人間関係,職場関係などによって支えられているかもしれず,なかなか困難な安全神話かもしれない。
「東海村の安全神話」は東海村独自のものだろうか。もしかしたら,日本のあちこちの原発立地地域にも,ご当地安全神話があるかもしれない。
「東海村の安全神話」という神話 その2,須和間の夕日,2022年5月31日
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