「東海村の安全神話」という神話 その2


もっと力強い「東海村の安全神話」* はないか,探していた。それで見つけた。先日,東海村で連続学習会でお話しをした後,はっと気づいたのである。


個人が発する安全神話の多くは,コミュニティの中で共有されている見方や考え方,あるいは巷で流布されている言説がもとになって発露されたものだ。その発言は根拠がないか,根拠性が足らないものばかりである。また,正常性バイアスがかかったものばかりである。だから,安全の「神話」なのである。広く信じられていることから,なかなかやっかいである。

「東海村の安全神話」の多くは村民から発せられる。前回,「福島の方はお気の毒だったけど,東海村は特別」というのを紹介し,私が知るうちでも最強の安全神話だと書いた。これを読んだ福島から避難中の方からきびしい意見をいただいた。こういうのはごくごく一部の村民のものだと信じたいが,「東海村」ブランドと,その村に住んでいるというプライドというのか,私には想像を超えるものがあるようだ。

この論考の最後に,そんな村民に向けて,事故が起こったら,そんなの通用しないよ,と釘をさしておいた。

もうひとつ,組織から発せられる安全神話はたいがい,原子力ムラ界隈からのものである。最初は,「原子力の平和利用」というスローガンを用いて,平和のために利用される,人類の繁栄に貢献する,といった,未来明るいイメージにより安全神話は形づくられた。しかし,その後,事故が国内外で多発し,環境が汚染され,住民が被ばくしてふるさとを追われる,というあり得ない事態を国民が知るようになると,「安全性向上」「安全性を最優先」などと原発に安全というものがあるかのように喧伝しながら,安全神話の維持強化が図られた。

ここで私が言う安全とは,住民の被ばく,住民避難を絶対におこさない安全である。

私が今回,見つけたとても強力な「東海村の安全神話」というのは,原子力ムラの一員である東海村が拡散してきたものである。東海村が長年,村民や周辺住民に拡散しつづけてきた安全神話なら,地域住民に対してはこれほど強力な安全神話はない。

「東海村の安全神話」の核心部分をつくったのは村ではない。半世紀前の日本原子力産業会議(以下,原産)である。「東海村の安全神話」は,原産がつくり,東海村はそれを拡大再生産し拡散した。その前段の話は別の論考に譲ることにする **。

以下では,原子炉立地審査指針(以下,指針)を取り上げ,東海村が,「東海村は安全」「東海村の原発は安全」という神話をどんな方法で拡散させてきたかについて述べたい。

東海村では,東海第二原発の設置にあたって,指針が適用された。原発の立地環境の安全性を評価するための指針である。指針では,原子炉周辺に2つの区域・地帯が設定されることになっている。人が住んではならない非居住区域と,その外側に,重大事故でも被ばくを避けて逃げられる低人口地帯である。低人口地帯は,その名のとおり人口が密集して住んではいけない地帯である。その目的から,住宅団地はつくれない。

この非居住区域と低人口地帯はどのくらいの広さになるのか,これまで国は地元に示したことがない。もう40年以上前になるが,武谷三男がこれを算出している ***。それによれば,東海第二原発サイト(原発1基,110万kW)なら,非居住区域は約1km圏,低人口地帯は約10km圏となる。

ところが,東海村をみれば,非居住区域内にいくつもの人家があり,低人口地帯には多数の住宅団地がある。結局,村民3.8万人全員が2つの区域・地帯の中に住んでいる。

この事態は何を示すのか。3つある。

第一に,指針は,そもそもからして東海第二原発で適切に適用などされなかったという事実である。

第二に,原発設置後,村は,密度高い集住地区をつくらないように,開発規制をしてこなかったという事実である。

第三に,JCO臨界事故で,作業員2人が犠牲になり,周辺住民多数が被ばくしても,これまでの核施設に隣接して開発を推し進め,住民を居住させてきた政策の間違いに気づいて反省をすることなく,なおも積極的に宅地開発を許可してきたという事実である。さらに,3.11で,東海第二原発も全電源喪失に陥る可能性が大きかったにもかかわらず,なおも政策の転換を図らなかったという事実である。

13もの核施設が立地する東海村は,国内外のいくつもの重大・過酷事故で,住民がふるさとを追われ,自治体まで村を追われる事態をみてきても,なおも積極的な住宅地開発に対する政策転換をしてこなかった。この事実はきわめて重大である。世界で,福島で,どんなふるさと喪失の事故が起きても,東海村でふるさと喪失など起こることはない,「理想のまちづくり」と称して村にさらに新しい「ふるさとをつくる」(山田村長)という。これこそ,最強の「東海村の安全神話」である。

しかし,事故は起きる時には起きる。東海村では,「広域避難計画(案)」の発表から6年たつが,策定時期はまったく見込めない。それほどに困難な計画である。

事故が起きて,命の危険が差し迫っている時に,子どもを守るため,家族を守るため,そして自身を守るため逃げるのは当然のことである。周辺住民は逃げず,まず,村民に道をゆずれ,という原子力防災の非常識なルールなど絶対通用しない。東海村民は,避難を急ぐ数十万人の住民に逃げ道を塞がれて,被ばくを免れない。子どもを守れない。周辺住民は,誇り高い東海村民を侮蔑するようにして,われ先に逃げていくだろう。

あなたが見聞きした「東海村の安全神話」を教えてほしいと募集した。そしたら,こういうのをいただいた。

「『自分たちが逃げ終えるまで周辺の人は待ってくれる』と考える村民がもしいたら、それこそ『東海村の安全神話』でしょうけど」

東海村民のために周りのみんなが道を空けてくれる,周りのみんなが,原子力防災のルールを守って,自分の子どもと自分はさておき,東海村民の安全を守ってあげる,そんな「東海村の安全神話」はありうるか。いくら誇り高い村民でも,それは絶対にありえないことだ,とすぐにわかるはずだ。



* 「東海村の安全神話」という神話,須和間の夕日,2022年5月5日

**  東海村60年の歴史 原産による植民地支配と開発信奉,須和間の夕日,2021年12月11日

*** 武谷三男編『原子力発電』,岩波新書,1976年

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