東海村「自分ごと化会議」はどんな会議だったか

2020年12月に開始した東海村の自分ごと化会議は,12月19日,5回目の最終回会議で,村長へ提出する提案書(案)について議論しすべて終了した。そこで,この会議はどんな会議だったかを考えてみたい。


再稼働議論を避けた自分ごと化会議

東海村は,自分ごと化会議の目的を次のように書いている。

村では,日本原子力発電株式会社東海第二発電所問題に関する「住民の意向把握」に向けた調査・研究の一環としまして,“原発問題”をテーマに話し合う第1回目の「自分ごと化会議」を公開で開催します。

「自分ごと化」とは,なんらかのことがらを自分とのかかわりをもって捉えることだから,村の「自分ごと化会議」は,参加者が,テーマである地元の東海第二原発の再稼働が自分の家族や生活,未来にどうかかわるのかを考え,原発のあり方や課題について議論を深める会議であるはずだ。

ところが,村は,「自分ごと化」とはおよそ関係のない「住民の意向把握に向けた調査研究の一貫」と位置づけた。まったく意味不明である。

そもそも,「住民の意向把握に向けた調査研究の一環」として住民会議を開催するのなら,調査課題は,東海第二原発再稼働に対する住民意向把握の方法論か,意向把握そのものになる。だから,会議の議題は「東海第二原発の再稼働問題」としなければならない。ところが,「東海第二原発問題」としている。議題を大きくぼかしているのである。大きくぼかす裏には,再稼働の是非に議論を焦点化させないという意図がある。

議論が再稼働に焦点化すれば,関連の問題を議論しないといけなくなる。たとえば,福島第一原発事故原因が未だ解明されていないこと,原発事故の過酷性・長期性,原発再稼働の経済合理性,94万人避難計画の困難性,核のごみ最終処分場がないこと,未来の世代に多大な放射性廃棄物処分,管理問題を残すことになること,などである。これらの議論になれば,再稼働を容認してよい材料は見つからなくなるからである。

要するに,自分ごと化会議は再稼働議論を避けるための設定がなされていたのである。


提案書作成は他人ごと

自分ごと化会議は,5回の会議で参加者の意見をまとめて提案書を作成し,村長に提出することとされた。第5回会議で提示された「提案書(案)」は,次の6つの提案で構成されている。

提案1:原子力や原発に関してできるだけ正確な情報を整理し共有する。

提案2:東海第二原発の安全性を強化する。住民に丁寧に説明する。

提案3:安全に避難できるよう避難計画を整備する。

提案4:原子力事業所が多いことや交付金など東海村の特徴や現状の魅力を知る・伝える

提案5:原発に代わる新たな東海村の魅力を創り出す。

提案6:原発に賛成反対,どちらでもない多様な人が参加して,建設的な議論を行う場を多くつくる。

この「提案書(案)」には,作成過程にも内容にも問題がある。

まず,作成過程について。文案の構成を考え作文をしたのは,会議の参加者たちではなく,シンクタンク「構想日本」の担当者である。参加者が問題を自分ごと化するというテーマのはずが,構想日本の担当者にすっかりお任せしている。構成も作文もすべてお任せだから当然,担当者の指向や考えが織り込まれる。

二つ目にその内容である。提案するためには,提案に向けた課題設定,現状把握,問題点の把握,提案へと議論を深化させる必要がある。しかし,「提案書(案)」はそのような議論の上に作成されてはいない。

文案をどのようにつくったかは,「提案書(案)」の中に説明がある。「参加者のこれまでの発言や,会議終了後に参加者が記載した『改善提案シート』の内容をまとめた」。要するに,提案は,会議録と改善提案シート中の感想をまとめただけのものなのである。


会議の成果は原電への先取り的服従

参加者同士が議論して提案を導き出したわけでなく,会議で出た参加者のさまざまな意見を担当者が任意に取り出して,それを「提案」と言って並べているだけである。だから,そこに一貫性はない。一貫性はないが,文案の構成,見出し,説明文などにはシンクタンク「構想日本」の案作成者の指向性がよく反映されている。原発容認という指向性である。

構想日本の担当者がつくった提案説明文を例示する。

「東海第二発電所の事業者は古い設備の刷新や安全性向上対策工事を進めている。(中略)現在行われている工事の具体的な内容や,それでも残るリスクについてなど,まだ住民に浸透していない。村民の安心・信頼を得るためには,情報を公開し,決め細かく,丁寧にわかりやすく説明することが重要である」(提案2)

 =この提案は,原電の説明を丸写ししたような文章である。原電は,村民の提案と一致したと喜ぶだろう。

「『東海村広域避難計画』は未だに”案”のままで,(中略)避難計画を確立することが必要である」(提案3)

 =6月村議会に,原電も理事として加わる村商工会が提出した「広域避難計画の早期策定」請願とも一致する提案である。これも原電は,村民の提案と一致したと喜ぶだろう *。


提案2,3は,原電の言い分や説明と見事に一致している。「忖度」はドイツ語では「先取り的服従」だというが,これらの住民「提案」は,まさに原電への先取り的服従である。


会議の偏向運営と科学の成果への無関心

前後したが,各会議の講演内容や議題を振り返っておこう。

1回(2020年12月19日)

谷口武俊氏(東京大名誉教授)の講演,「自分ごと化会議 in 松江市」から3人のオンライン対談,参加者の自己紹介

2回(2021年3月28日)

髙島 正盛 氏(日本原電 東海事業本部 地域共生部長)

井上武史氏(東洋大学教授)「東海村の交付金事業とこれからの地域づくり」

茅野恒秀氏(信州大学准教授)「原子力発電の現状と立地地域の未来を考える」

3回(7月23日)

「東海村広域避難計画(案)」「原子力と今後のまちづくりについて」

4回(10月9日)

「 みんなで考える,東海第二発電所が立地していることによる地域の課題は何だろう?」

「私にとって,東海第二発電所そのものが抱える課題は何だろう?」

5回(12月19日)

提案書(案)について


これらを見ただけで,提案に向けた課題設定,現状把握,問題点の把握,提案という議論の展開がなされた様子はないことはわかる。驚くのは,課題設定の議論が出てくるのは,提案書作成直前の第4回会議である。ここで初めて,テーマ「地域の課題はなんだろう」が出されたのである。他方,2回目会議冒頭の講演講師は,日本原子力発電(原電)の部長だった。

原電の講演は,参加者による課題設定の議論よりも,そして研究者の講演よりも優先されたのである。

提案を導き出すためには,情報集め,科学的知見の学習が欠かせないが,そうした取り組みはいっさいされていない。参加者は毎回,手ぶらでやってくる。各人が,あつめ,学習した情報や科学論文を会議で紹介して,意見を述べ,議論することがない。

最新情報,科学的知見にいっさい関心を払わず無知のままで,思いつきの発言を並べただけの「提案」にいったいどれだけの価値があるのだろう。練られることなく出された住民の「提案」はその程度だと,すぐさま忘れ去られるだろう。

会議運営の公正性に対する疑問と,科学への完全な無関心という根本的な問題を残した会議だった。


会議はアッシュ実験

心理学におけるアッシュ実験という実験がある。自分を除いた被験者全員が間違った答えを言ったら,みんながそう考えるならそうかもしれないと考えて,多数派に同調し間違った答えを出してしまうという実験である。集団圧力のもとでは正しい答えを出せなくなる。

原電への先取り的服従という集団圧力のもとでは,服従に抗する参加者は自分の意見が言えなくなる。東海村の自分ごと化会議は,そんなアッシュ実験会議になったのではないか。

第1回会議では,自己紹介で2人の女性が,原発は「怖い」「恐怖だ」と発言した。「子どもたちの将来を考えると危険なエネルギーは使わないようにしたい」とも発言された。男性にも一人,原発に懐疑的な発言をした人がいた。

住民参加者に混じる多数の原子力関係者,後ろに山田村長と村幹部職員が一列に並び,さらにその後ろには数10人の傍聴者が注視し,耳を傾けている。メディアも来ている。そのような緊張の中で,3人の勇気ある発言は印象的だった。

ところが,その後の会議では原発への批判的発言は聞かれなくなった。その一方で,原発容認,再稼働賛成かと見られる発言が相次ぎ,さらには聞くに堪えない問題発言が堂々と発せられるようになった。言いたい放題になったのである。


「親は移住してすでに故郷に対する未練もない。今の生活に満足してるから、故郷奪われて可哀想みたいなのは全然ない。そういうもんです」(第4回会議,男性)

 =福島の避難者に対する視点は「可哀想」。10年たってももとの生活に戻れない数万人以上の避難者の苦しみを理解しない発言。司会者は発言について問題性を指摘するべきだった。原電への先取り的服従。

提案1に関する議論の中で,「バズらせる,炎上させる。原発マネーイェーイ!とか」(第5回会議,男性)

 =思慮なき浅はかな発言。司会者は発言の問題性を指摘するべきだった。原電への先取り的服従に加えられるだろう。

「自宅で原子力の話をし,それを聞いた息子が原子力に貢献したいと原電の警備の仕事についた。この会議に参加したおかげ」(第5回会議,女性)

 =見事な原電への先取り的服従,原電への絶対的服従


東海村の自分ごと化会議は,参加者が,住民としての立場を意識しながら,原電や原電寄りの行政に対し,情報や科学的知見を武器にしてキチンと考えを述べる会議にしなければならなかった。だが,そうはならなかった。当初の会議の位置づけや課題設定の曖昧さ,偏向した会議進行を考えれば,当然の成り行きだっただろう。



 * 原電が,再稼働の前提とされる避難計画の早期策定を強く望んでいることは,次の文書で確認できる。「高萩市・笠間市・常陸大宮市・城里町・大子町(UPZ影響圏)による日本原子力発電株式会社への要望」(笠間市役所,令和2年12月2日)


東海村「自分ごと化会議」に関する記事を集めました。本論入れてなんと9本。

(1)「『自分ごと化会議 in 松江』の成果」須和間の夕日,2020年9月22日

(2) 「ニーメラーの言葉に寄せて考える東海村の『自分ごと化会議』」,須和間の夕日,2020年12月9日

(3)「東海村第1回「自分ごと化会議」を傍聴して」,須和間の夕日,2020年12月24日

(4) 「東海村第1回『自分ごと化会議』を傍聴して その2」,須和間の夕日,2020年12月26日

(5)「『自分ごと化会議』の住民の意見を考える」,須和間の夕日,2021年1月2日

(6)「東海村の自分ごと化会議の参加者問題を考える」,須和間の夕日,2021年1月16日

(7)「東海村自分ごと化会議に期待した山田村長の狙い」,須和間の夕日,2021年1月23日

(8)「東海村第4回『自分ごと化会議』の問題発言」,須和間の夕日,2021年10月11日



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